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新しい元号「令和」
慣習的使用に反対しないが、使用の強制には反対 日本共産党
5月1日から元号が「令和」に変わります。
日本共産党は元号の「慣習的使用に反対しないが、使用の強制には反対」との立場を発表しています。
一、元号は、もともとは中国に由来するもので、「君主が空間だけでなく時間まで支配する」という思想に基づくものである。それは日本国憲法の国民主権の原則になじまないものだと考えている。
一、わが党は、国民が元号を慣習的に使用することに反対するものではない。
同時に、西暦か元号か、いかなる紀年法を用いるかは、自由な国民自身の選択にゆだねられるべきであって、国による使用の強制には反対する。(以下略)
「しんぶん赤旗」には元号を併記するとのことですが、『週刊明るい小矢部』では、これまでと同様、西暦で通します。
「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ
品田悦一氏「短歌研究」5月号より
新元号が大伴家持の父、大伴旅人による万葉集巻五「梅花歌三十二首」の序からとったものと、安倍総理が語っていました。
最近発行された「短歌研究」5月号に「新元号の深意」として品田悦一氏の「『令和』から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ」が掲載されています。
それによれば、「典拠の文脈を精読すると、〈権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない〉という、おそらく政府関係者には思いも寄らなかったメッセージが読み解けてきます。」とのことです。
品田氏が拡散を望んでいると記されていたので、以下、引用します。
大伴旅人のメッセージ
万葉集巻五 梅花宴での短歌
「天平二年(730年)正月十三日、大宰府の長官(大宰帥)だった大伴旅人が大がかりな園遊の宴(梅花宴)を主催し、集まった役人たちがそのとき詠んだ短歌をまとめるとともに、漢文の序を付したのです。その序に「于時初春令月、気淑風和」の句が確かにあります。〈折しも 正月の佳い月であり、気候もすがすがしく風は穏やかだ〉というのです。」
長屋王事件 藤原一族が全権力掌握
品田氏は万葉集巻五に掲載された短歌を読み解きながら、天平元年(729年)に都で何が起きていたかに話を進めます。
「皇親勢力の重鎮として旅人が深い信頼を寄せていた左大臣、長屋王{平城京内の邸宅跡から大量の木簡が発見されたことでも有名な人物}が、天平元年つまり梅花宴の前年に、藤原四子(藤原不比等の子=武智麻呂・房前・宇合・麻呂)の画策で濡れ衣を着せられ、聖武天皇の皇太子を呪い殺した廉(かど)で処刑されるという、いともショッキングな事件が持ち上がったのでした。この事件は後に冤罪と判明する・・・。」「そればかりではありません。」として「母方の血筋が藤原でない親王がゆくゆく天皇になることを恐れた藤原一族は、亡き皇太子の母であるとの口実で」藤原一族の媛(ひめ)を聖武天皇の皇后に押しつけました。光明皇后。これが8月のこと。
「もう一度梅花歌群に戻りましょう。『都見ば賤しきあが身またをちぬべし』のアイロニー(軽い皮肉をふくんだ逆説的な表現)は、長屋王事件を機に全権力を掌握した藤原一族に向けられていると見て間違いないでしょう。あいつらは都をさんざん蹂躙したあげく、帰りたくもない場所に変えてしまった。王羲之(万葉集「梅花歌」序の典拠の一つ『蘭亭集序』の作者で、大伴旅人が古人として慕った中国東晋の政治家・書家)にとって私(大伴旅人)が後世の人であるように、今の私にとっても後世の人に当たる人々があるだろう。その人々に訴えたい。どうか私の無念をこの歌群の行間から読み取って欲しい。長屋王を亡き者にしてまでやりたい放題を重ねる彼らの所業が私にはどうしても許せない。権力を笠に着た者どものあの横暴は、許せないどころか、片時も忘れることができない。」
品川氏が読み解く
大伴旅人の令和の代の人々へのメッセージ
権力者の横暴を許さない、忘れない
「これが、令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人のメッセージなのです。テキスト全体の底に権力者への憎悪と敵愾心が潜められている。つまり「令和」の文字面は、テキスト全体を背負うことで安倍総理たちを痛烈に皮肉っている格好です。」
「安倍総理ら政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。一つは、新しい年号「令和」とともに〈権力者の横暴を許さないし、忘れない〉というメッセージの飛び交う時代が幕を開け、自分たちが日々このメッセージを突き付けられるはめになったこと。二つめは、この運動は「万葉集」がこの世に存在する限り決して収まらないこと。もう一つは、よりによってこんなテキ ストを新年号の典拠に選んでしまった自分たちはなんとも迂闊(うかつ)であったということです。」
(注) 品田悦一氏(しなだ よしかず、1959年生まれ)は日本の日本文学研究者。東京大学総合文化研究科言語情報科学専攻教授。専門は日本古代文学(歌謡・和歌特に『万葉集』の東歌)
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