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砂田喜昭 2018年1月1日更新  
戦争の悲惨さを伝え続けよう
1941年12月8日から76年

 朝鮮半島や中国大陸、さらには東南アジアへと侵略を進めていた戦前の日本が、アメリカ・ハワイの真珠湾や当時イギリス領のマレー半島コタバルを攻撃し、アジア・太平洋戦争の戦線を拡大した1941年12月8日から76年を迎えました。
 戦前の日本が海外に領土と利権を求めて開始した侵略戦争は日本国民310万人以上と2000万人を超すアジア諸国民を犠牲にしました。
 財界人の丹羽宇一郎氏は今年夏出版した著作「戦争の大問題」で、国内の被害だけでなく、中国や太平洋の島々での住民虐殺や飢えた兵士同士の「人肉食」を通し、「戦争は人を狂わせる」と指摘しました。
 戦争を直接知る世代が少なくなるなかでも、その悲惨な体験と傷痕は語り継いでいかなければなりません。

 
赤紙配り

 アジア・太平洋戦争開戦から76年目の12月8日、新日本婦人の会小矢部支部と小矢部平和委員会のメンバーは石動駅前で、「赤紙(戦前の召集令状)」を配り、通勤、通学者に「憲法9条を変えて、再び日本を海外で戦争する国にしてはならない」と訴えました(写真)。
石動駅前で赤紙配り12月8日
 富山県母親大会連絡会の呼びかけに応えて、県内各地でも同様の行動が取り組まれました。

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