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その時歴史は動いた
ホワイト議長の頬に涙・国連会場はスタンディングオベーション
「核兵器禁止条約の国連会議」 報告集会 in富山
核兵器禁止条約が採択された国連会議に日本共産党代表団の一員として参加した笠井亮衆院議員が8月24日、富山市で開かれた日本共産党富山県委員会主催の報告集会でその感動的な場面を語りました。
小矢部市内から参加した方の感想を紹介します。
被爆2世の笠井議員
「とうとうやった!」と
母に報告
大変感動的な報告でした。
被爆2世でもある笠井衆議院議員から、採択された国連会場の様子が報告されました。
「7月7日の午前10時50分 その時歴史は動いた。ホワイト議長の頬に涙が溢れ、国連会場はスタンディングオベーションが起き、抱き合ってガッツポーズが起きた。
笠井さんが核兵器禁止運動で海外へ行った1973年頃は、核兵器禁止は夢物語と言われ、一歩一歩進めるしかない、今は凍結で少しずつ減らしてゆこうという時だった。
長い間、ヒバクシャの方が渾身の思いをして、核兵器廃絶を訴えてきた。被爆2世としてとうとうやったという万感の思いが迫った。87才になる母の所に行き報告した。」
笠井議員からの報告は、私達聴衆の胸を揺すり、こみあげる喜びを会場の空気に感じ取る報告集会でした。(AY)
核の傘、ノー!
条約に《核兵器の「使用の威嚇」も禁止》
条約の内容について詳しく説明された。《核兵器の「使用の威嚇」の禁止》が新たに盛り込まれたので、いわゆる「核の傘」も禁止されることになる。傘といえば「相々傘」を思い出して、何となくほほ笑ましく感じていたのだが、実体は、日本を攻撃すれば、日本はアメリカの核兵器であなたを攻撃しますよ、と脅していることになる、と気づいた。相手に原爆を食らわせてまで、私は「我」を通したくない。核の傘、ノー!(KK)
70年間の
苦労の末の成立
共産党の参加は、
日本の不名誉を救った
笠井さんは、核兵器禁止条約が、122カ国の賛成多数で成立した瞬間を生々しく感動を持って報告された。本条約は、1年ほどで成立し早すぎると言う人も
あるが、ちがう、70年間という苦労の末の劇的な成立なのだとの話は納得できた。条文の内容についても参加各国や諸団体の詳細な討議の末、核兵器禁止の抜け道のない条文になったとの話だったが、これが民主主義の真髄なんだと分かる話だった。
参加国中オランダは、唯一本条約に不賛成だったが、討議に参加した。対照的に不参加で条約に反対した日本政府のとった態度は、被爆国とは思えない非民主的なものだ。
共産党の参加は、日本の不名誉を救ったとの評価が出るのは当然だと思った。
安倍政権は、本条約のみならず、一事が万事、独裁専制政治を行っており、一刻も早く打倒しなければならない。(HA)
被爆国・日本政府は
会議に参加すらせず
オランダは
会議に参加し、議論
ヒバクシャを中心にした努力が世界の世論を動かしたのだと思う。これまでの努力が無駄ではなかった。たった一発で広島や長崎のような大都市を壊滅させるような核兵器が現実的な兵器でないことが理解されたのではないか。
被爆国である日本政府が情けない。アメリカの顔色ばかり見て会議に参加しないのだから。その点、オランダは立派だ。反対はしたが、出てきて議論に参加していた。(TY)
北朝鮮も許せないが、
核保有国も核兵器を廃棄せよ
この条約が発効し核兵器が禁止となれば、北朝鮮もやりにくくなるのではないか。北朝鮮の核開発も絶対許せないが、核保有国も核兵器を廃棄せよと迫らねばならないと思う。(TY)
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