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「憲法と民主主義を守る大結集を」
オールとやま県民連合総会
昨年の参院選を野党と市民の共同でたたかった「オールとやま県民連合」の総会が4月27日、富山市で開かれ、土井由三共同代表が主催者挨拶で、憲法を無視して暴走する安倍政治を退場させるために、粘り強く市民と4野党の共同を広めよう、そのためにも「オールとやま県民連合」の組織を草の根で、できれば小学校単位でつくろうと呼びかけました。
その後、法政大学教授で「立憲デモクラシーの会」共同代表の山口二郎さんから「政治危機と私たちの選択」と題して記念講演が行われました(写真)。小矢部市内からも参加しましたので、参加者の感想を紹介します。
山口二郎さんの記念講演を聞いて
日本は戦争できない国だ
山口二郎さんは、@「アベ化」とは何か。A日本の危機的現状。B政治転換の突破口。そしてC戦争の危機と憲法について語りました。
私は、Cの「戦争の危機」について共鳴した。それは、日本は戦争できない国だということ。日本の工業が高度化すればするほど、都市型社会が先鋭となり、戦争に耐えられないモロイ構造になってきた。大都市に、ましてや原発大国の日本にミサイルが撃ち込まれたら日本は破滅。したがって、日本は戦争できない。してはいけない。この現実を見ようとしない保守派こそ「平和ボケ」だ。
日米と立場が違う。北朝鮮危機についても政治的解決しかありえない。
「軍事には軍事を」と恐怖心をあおる政治家の罪は重い。(YM)
北朝鮮問題、理性ある外交努力こそ
よく対話していて、ネトウヨに影響を受けている人たちや、自民党支持者の方は「平和は、軍事力による抑止力が最も重要である」という意見を述べる。
こうした人達こそ戦後の平和な日本で、まるで戦争というもの を他人事のように語る「平和ボケ」したものだという話は、全く的を射た指摘だ。
北朝鮮とアメリカの緊張が益々高まる今こそ、戦争を他人事のように語る「平和ボケ」の意見に対し、理性ある外交努力での解決が求められる。(AY)
「建前」に向かって前進することが民主主義
ネット上で、政権寄り(?)の人たちから、「学者の言うとおりにしていたら平和が守れるか」「恥さらし」などさんざん罵声を浴びる山口二郎さん、そんな先生の話が生で聴けると期待して参加した。
データを分析して導き出す論の進め方はいかにも学者さんだが、その前に「市民」さんであることに好感を持った。厳(いか)つい目つきながら「アベ政治に挑んでも挑んでもなかなか叶わなく、くじけて諦めそうになる」旨の発言が、ぐっと私を引き寄せた。
民主主義の歴史は「建前」を前進させる歴史なのに、アベやトランプは、建前が現実とかけ離れているからと公然と否定しているとの指摘や、明示的に禁止されていないことは何をやってもよいという権力側の開き直りとの指摘に頷いた。(TT)
世界の「アベ化」 デマをためらわず、
嘘がばれても恥ずかしくない政治屋の横行
世界は「アベ化」しているという。 デマをためらわず、ウソがばれても恥ずかしくない政治屋がはびこっている。トランプも然りである。その下で言葉が崩壊する。権力が暴走する。
歯止めとなるのは力だけ。選挙により国民の意思を示し、権力者を更迭することしかない。国民は、憲法と身の回りの経済を鏡として、アベ化に慣らされてはならぬ。(KiK)
切り捨てられる人への共感をなくしてはならない
プロクルステスのベッドというのも面白かった。今の政府は、財源がないからと弱者を切り捨て、アメリカへの基地提供と称して沖縄を人身御供として捧げ、原発事故は制御されているとして被災者たちへの支援を切り捨てる。このように安倍政権は、ベッドからはみ出た人の足をベッドの大きさに合わせてチョン切るギリシャ神話の盗賊プロクルステスだという。
恐ろしいのは人々の、足を切られる人への共感の消滅というか「しかたないね」と切り捨てる心の退廃を我が事として自戒せねばならない。
私は、ズーと会社人間で、ほとんど開発ばかりやっていたので、対人関係に煩わされる事が無かった。それが2011年3月11日の原発事故以来、社会の出来事、動きに急に目覚め、共産党に入り少し活動などやり始めたら、なんとウソやゴマカシの多い、いやな国であることかと思い知った最近である。多分社会に目覚めたときと、安倍政権が動き始めたときが折悪しく重なっていたのだろう。昔の全く自由だった青春時代がなつかしくてかなわぬ。
“逢ひ見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり” (HA)
「共謀罪」を廃案に
憲法記念日に街頭宣伝
内心の自由を奪い、市民運動を萎縮させ、国家権力による監視社会をつくる憲法違反の「共謀罪」法案を廃案にしようと、日本共産党小矢部市委員会は5月3日、市内で街頭宣伝をしました。
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