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砂田喜昭 2017年4月22日更新  
「ヒバクシャ国際署名」国連を動かす

 「核兵器禁止条約の国連会議」が3月27日から31日まで開かれ、「国連会議」のエレン・ホワイト議長は7月7日までに法的拘束力のある核兵器禁止条約を採択ができる見通しを表明しました。史上初めて核兵器に「悪の烙印」を押し、廃絶への一歩を踏み出すこととなります。
 唯一の戦争被爆国日本政府は参加しませんでしたが、日本から被爆者代表や日本原水協、志位委員長を団長とする日本共産党代表団が参加しました。日本共産党は国連会議の成功のために「要請書」をもつて38の国と国際機関へ直接働きかけるとともに、「文書発言」「演説」を行いました(詳細は「しんぶん赤旗」日曜版4月2日号)。

 この10年あまりで世界から5千万人以上の核兵器廃絶・禁止署名が国連に届けられ、今回、日本から170万人の「ヒバクシャ国際署名」が届けられました。これには小矢部市民の署名も含まれています。エレン・ホワイト議長は「この署名は、私にとって強さを与えてくれる」、キム・ウォンス国連軍縮問題担当上級代表も「核保有国を禁止のプロセスに加わらせるには署名キャンペーンが重要」、ドゥアルテ元上級代表は「草の根からの一つ一つの署名が国連を動かした」と語りました。

戦争の時代を語る茶話会

政府はいまもウソをついていて、昔のようにならないか心配だ

 矢部平和委員会は戦争の時代を語る茶話会を3月28日、若林公民館で開きました。

 市内を戸別訪問してヒバクシャ署名を集めていると、高齢の方から「父をフィリピンで亡くした」、「トランプ大統領の核兵器増強に心配している」、「女学校時代にとやま大空襲に遭って、焼け出された」、「南スーダンの戦闘を衝突と言い換える安倍内閣はおかしい」と、多くの声を伺いました。このことがきっかけとなり、こうした戦争の時代を生きた一人ひとりの声を語り合い、いまを生きる大人の役割を考える機会にしたいと、企画したものです。

 当日は90歳代の方2人、80歳代の方3人が体験を語られました。

 「戦争中は男の人に代わって馬や牛を使い銃後の守りをした。夫はボルネオやスマトラで木の皮や草を食べて飢えをしのいだが、3ヵ月ほどで餓死するものが続出した。」

 「わら人形を作り、落下傘でおりてきた米兵を竹槍で突き刺す訓練をした。」

 「空襲で、伏木や井波から探照灯で敵機を照らしても、高射砲は6千メートルしか飛ばず、1万メートル上空のB29には届かなかった。」

 「大本営は『勝った、勝った』と報道していたが、通信兵だった夫は負けていることを知っていた。昭和19年春には戦う力がなかった。もう少し早く戦争をやめれば広島や長崎の原爆投下も防げた。」

 体験談を聞いた参加者は、「政府は負けることがわかっていてもウソをついて国民を騙したが、いま森友問題や南スーダンの日報問題などで、またウソをついている。昔と同じようにならないかと危険を感じる。」などと感想を語り合いました。

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