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砂田喜昭 2017年3月17日更新  
「政治は任せるものでなく参加するもの」
市民と野党の共闘なら政治を変えられる
富山県革新懇が懇談会を開催

 市民と野党の共闘で日本の政治の新しい時代を切り開く先駆けとなった新潟県。富山県革新懇の主催で新潟県革新懇の代表世話人滝澤豊秋さんの話を聞く懇談会が2月25日、県民会館で開催されました。滝澤さんは、新潟県での市民連合の誕生と選挙での取り組みの経験を話されました。
 これに参加した荒木義昭さん(市内金屋本江在住)から投稿がありました。 次に紹介します。


 
市民連合の誕生で
  劇的に変わった新潟県


 新潟県で市民連合が誕生したのは2015年12月でした。その後の一年で新潟県は一変した。新潟国際情報大学の佐々木寛教授と日本共産党の新潟県委員長との会談を機に市民連合へ各界からの参加者が増え始めた。そして、この市民運動が参議院選挙で県政初めての野党統一候補に森ゆう子さんを擁立させた。

「投票に行こう」と市民が
動き、逆転した参院選


 参議院選挙では、投票率アップが勝利を決めると言われ、市民参加の新しい選挙運動が生まれた。安倍総理が3回も応援に駆けつけるなどしたが、最後に接戦を制したのは上越市での逆転で、「市民連合上越」の「投票に行こう」という市民参加型のユニークな取り組みだった。

 市民と4野党の
本気の共闘が知事選勝利へ


 知事選挙では、泉田知事が8月30日に突然撤退表明し、自民党は全国市長会会長で長岡市長を17年務めた大物候補を担ぎ出し楽観ムードに浸っていた。更に連合が自公候補を推薦し、民進党は自主投票と決定。そんな中、佐々木教授等は諦めないで候補を探した。そして米山候補が民進党を離党して9月23日(投票日10月16日の22日前)に無所属で立候補を表明。選対責任者に森ゆう子参院議員が申し出て就任。
 10月7日の新潟駅前決起集会に日本共産党・志位委員長と四野党の応援で3000名近い聴衆が広場を埋め尽くし「米山コール」が巻き起こった。この熱気が市民と野党の本気の共闘を県下に拡げた。これは原発再稼働への県民投票となり、全国から数百万円のカンパが寄せられ、勝利へとつながった。

アベノミクス不況は
マグマのように拡がっている


 11月22日の市民連合会議で森ゆう子議員は市民参加の新しい民主主義が始まったと語った。滝澤代表は、「東京・大阪・京都だけが革新政治の中心ではない。アベノミクス不況はマグマの様に拡がっている。新潟大の教授等が革新懇に参加してきている。9条の会の皆さんも本当に頑張った。中心は新婦人やママの会等の女性たちだった」という。
 今新潟市民連合には最初から民進党が参加し、4野党で納得できる共同政策作りが始まっている。滝澤代表は「新しい政治は始まったばかり。5年10年と市民連合が続いてゆけば、政治は任せるのではなく、参加して行くものだと変わり、参加型民主主義はゆるぎないものになる」とまとめられた。私たちも地元小矢部市で署名運動などに取り組んでいるが、この動きを市民に見えるような動きとするために、どうするかを真剣に考えねばと思った。

〈解説〉 革新懇とは 

 日本革新懇は、平和・民主主義・生活向上の目標にもとづく政治革新をめざして1981年5月26日に誕生しました。国民みずからが政治革新の目標でたちあがり、共同の力で政治を動かすという運動方向が、日本政治や国民の現状に基本的に合致して無党派、保守の人も大勢参加し、全国各地につくられ活動しています。

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