バナー2015年11月22日号本文へジャンプ
砂田喜昭 2015年12月8日更新  
ベトナム平和の旅

 このほどベトナム平和の旅に参加された市民の方に、手記を寄せてもらいました。ベトナムは世界で唯一、アメリカに勝利した国として知られています。

 日本ベトナム協会の主催で、ベトナム南方面の旅に行く機会があった。小グループ8人の旅で、和気あいあいの楽しく有意義な平和の旅だった。
 ベトナムは当然ながら10月とはいえ、真夏だった。ホーチミンの市街地のバイクの洪水は相変わらずだった。そこここで、ベトナムのたくましさを人々との触れ合いで感じた。また、さりげなくて、やさしい人情、少し前の日本の風景にも似てベトナムの風はどこか鄙びて懐かしいものを感じた。


ベトナム戦争の
その後を知る旅



 古都フエや、世界遺産のホイアン、メコンデルタでの河下り、ベトナム戦争のクチ遺跡、ダナンの枯葉剤被害の後遺症による障害者施設訪問、ホーチミンの「戦争証跡博物館」そして館長との懇談の機会を得る等、観光もあったがそれ以上にベトナム戦争のその後を知るための見学や、交流の機会がたくさんあった。(写真)
 サイゴン(現・ホーチミン市)のアメリカ大使館前でガソリンをかぶって焼身自殺した仏教徒ティック・クアン・ドックの慰霊碑

ダナンの障害者施設

枯葉剤、
三世代にわたり影響



 ダナンの障害者施設の訪問で、枯葉剤の後遺症は悲惨で、まだ三世代にわたり影響が続いている現状には驚いた。ベトナム戦争終結40周年という年で、いまだアメリカは一切、謝罪も何の補償もなく、アメリカの民間の団体等が支援をしているとか。
  ふと、日本があの侵略戦争で犯した罪「慰安婦問題」「南京事件」等につながった。戦争被害にもっと誠実に向き合ってほしいとつくづく思った。障害者の施設はまだまだ不十分で、日本の施設がうらやましいという話も出て「日本もまだまだなんですよ」と話した。ベトナムのこうした施設の課題も大きく見えた交流だった。


ベトナム語と日本語で「自由ベトナム行進曲」 
       を大合唱



 メコンデルタの小さな島に上がり、島のひなびたレストランでのハプニングも印象に残った。ギターを弾いていた島の人や歌い手の人とベトナムの唄と日本の唄での交流が、あうんの呼吸で始まったのだ。最後に全員があの懐かしい「自由ベトナム行進曲」の大合唱になった。ベトナム語と日本語がひとつになって従業員まで一緒に歌った。私は40年ぶりくらいで歌ったがすらすら歌詞が出てきた。他のお客さんたちはびっくりした顔で大拍手だった。グループの仲間が歌の名手ばかりだとその時知った。

  5泊6日の短い旅だったが、楽しい思い出がいっぱいの、ベトナム 平和の旅だった。 (T・A)

 トップへ戻る
砂田喜昭(Yoshiaki Sunata)のホームページへ戻る