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砂田喜昭 2015年4月13日更新  
教育委員会制度が変わる
教育への政治介入を狙う
教育委員長を廃止し、市長が教育庁を任命

 小矢部市は3月議会に、教育委員会制度を変える二つの条例を提案しました。
 教育委員長を廃止し、教育長をこれに代えます。
 これまで教育長は教育委員会が任命していましたが、新しい教育長は市長が任命し、その任期は3年で、市長が自身の任期中に自らの手で教育長を選べるようにしました。
 国が「地方教育行政組織法」を変えたことを受けたもので、この狙いは、安倍政権が「戦争できる国づくり」を目指して国や市長が教育に介入しやすくするためです。

国民運動と日本共産党の国会論戦が
教育委員会制度の根本を守る


 しかし、広範な国民の反対運動と日本共産党の国会論戦を通じて教育委員会が教育に関する最高意思決定機関である建前を維持し、三つの根本方針(@教育の地方分権、A一般行政からの独立、B民意の反映)が再確認されました。

強まる介入の動き

 来年度使う中学教科書検定が6日に発表されました。
 教科書の右傾化に乗り出す安倍政権による検定基準などの改悪後初の検定で、日本軍「慰安婦」問題を正面から記述しようとした教科書の記述が大幅削除されるなどしました。自民党政権の立場を子どもたちに教え込む方向の強まりが懸念されます。
 首長の政治的な考え方で教育が左右された悪例が、大阪の橋下市長のもとで起きました。橋下市長が強引に任命した『民間人校長』が「保護者にセクハラ」などの問題を起こしました。卒業式での「口元チェック」を校長にさせるというおよそ教育現場にあってはならないこともおきました。

戦前の軍国教育を反省
 政治介入から教育自主性を
  守るのが教育委員会制度


 戦前の教育は、教育の自主性を権力で圧殺して、教育勅語で「お国のために血を流せ」と、軍国少年を育てる教育を徹底しました。NHK朝ドラ「マッサン」で、出征する一馬に、家族が「生きて帰って」と本音を口にできない時代でした。
 戦後これを反省して、戦争しない国づくり、憲法9条のもとで平和国家づくりが進められてきました。
 教育の分野でも、教育勅語を否定し、「平和と真理を希求する人間の育成」のために国や行政が教育の自主性を侵さない仕組みを作ろうとして教育委員会制度をつくったのです。

介入を阻止した実例

 大阪市の橋下市長が、違法な思想調査を全職員に実施しようとした時、大阪市教育委員会は反対を決議して、教育委員会が管轄する教職員、教育委員会事務局の職員には実施を許しませんでした。
 松江市で「はだしのゲン」の学校図書館からの撤去事件が起きた時に、市教委は「子どもに見せるか見せないかは現場の判断にゆだねるべき」として、閲覧制限を撤回させました。
 乱暴な政治介入から、教育委員会が子どもや教職員を守った実例です。

教育委員会活性化へ砂田市議4つの提案

3月議会で、砂田市議はこれを踏まえ教育委員会を活性化させる4つの提案をしました。

@子ども・教職員・住民の声をつかむ「目安箱」を

 
砂田市議 教育委員会が保護者・子ども・教職員、住民の不満や要求をつかみ、自治体の教育施策をチェックし、改善することが大切だ。そのために「教育委員会に直接学校の実態を教職員から直訴できる目安箱のような仕組み」をつくったらどうか。
  
教育長 市教育委員会は、現在、学校や教育委員会事務局に寄せられた意見を教育委員会会議で紹介している。所管施設の訪問なども実施をしている。アンケートの実施など、市民からの意見を聞く方法、その他の取り組みについては、教育委員会会議の中で話をしたい。

A教育委員会会議の透明化を

 
砂田市議 教育委員会会議の透明化をどう進めるのか。議事録の公表や、会議の開催時間や場所等の運営上の工夫を行うことにより、教育委員会会議をより多くの住民が傍聴できるようにすること。
 
教育長 会議録をホームページで公表したい。

B教育の自由と自主性を守れ

 
砂田市議 政治的介入から教育の自由と自主性を守ることが重要である。
 
教育長 新制度においても、教育委員会が教育行政の最終権限を持つ執行機関と位置づけられている。今までどおり政治的中立性の確保や地域住民の民意の反映、継続性、安定性の確保など、教育の自由と自主性を十分に尊重する。

C子どもの権利条約の周知を

 
砂田市議 子どもの権利条約では「締約国は、適当かつ積極的な方法でこの条約の原則及び規定(@生きる権利、A守られる権利、B育つ権利、C参加する権利)を成人及び児童のいずれにも広く知らせることを約束する」とあるが、これをどのように具体化するのか。
 
教育長 教育委員会としては、他県や他市町村の事例を参考として、市民に広く周知する方策を検討したい。

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