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砂田喜昭 2012年1月29日更新  
東西文明の十字路
 豊かな歴史的遺産のトルコを訪ねて
(M・Y)

 猛烈な暑さもようやく終息する頃だったろうか、友人からトルコ旅行に行かないかと、話があった。
 はてさて、トルコはどういうところか、「イ・イ戦争」で、邦人救出のことがよみがえった。あれはトルコがからんでいたのではなかったか。さっそく調べてみた。
 1985年3月17日、イラクのフセイン大統領が48時間過ぎたら、イラン上空を飛ぶ航空機を無差別に攻撃すると宣言した。トルコ政府は、特別機を出して自国民に優先して日本人215名を救出してくれた。
 これに先立つこと100年以上前、1890年、オスマン・トルコの時代、日本親善訪問の帰路、軍艦エルトゥールル号が紀州・串本沖で難破。乗組員581名が死亡したが、日本側の手厚い救護で69名が救助され、トルコに送還された。
 邦人救出は、その恩返しともいわれている。両国友好の象徴的な出来事であった。
 さて、そうしたトルコへ行ってみたくなった。

 11月17日深夜、関空から空路イスタンブールへ。イスタンブールは人口約1300万の大都市である。
 国内線に乗り継ぎ首都アンカラへ。人口は約400万、第二の都市である。
 ここで現地ガイドさんに説明されたトルコ共和国を紹介しよう。人口は約7400万人、国土は日本の約2倍。世界地図をひろげると、北は黒海、南は地中海に面し、東にはイラン、アルメニアなど陸続き、西はブルガニア、ギリシャに隣接している。イスタンブールはボスポラス海峡で東西に分かれ、東はアジアで西はヨーロッパになる。東西文明の接点になっている。
 トルコは大きく7つの地方に区分され、今回の旅はマルマラ地方、中央アナトリア地方、エーゲ地方の三つで、中央から西の区域である。
 最初の観光は、「アナトリア文明博物館」、紀元前300年頃ヒッタイト人がこの地に進出し、ヒッタイト王国を建設(青銅器時代)。その遺物の展示が年代を追って展示されている(日本では縄文中期)。
 博物館に小学生の団体がいっぱいいた。私たちをみると、手をあわせ合掌のポーズをとって日本語で「こんにちは」と人なつっこく挨拶をしてくる。なかには一緒に写真撮影をねだる。先に紹介した「エルトゥールル号事件」のことを学校で習うのではないかと思われる。心温まる出来事だった。
 アンカラで見過ごすことのできない大事なことは、「アタトゥルク廟」(独立の父)に眠るムスタファ・ケマルのことである。
 オスマン帝国が第一次世界大戦で敗北した後、戦勝国の占領を許さないトルコ人たちは、ケマルのもとに結集して戦い、現在のトルコ共和国の領土をかちとった。そして、オスマン王家をトルコから追放した。

 トルコ共和国は、近代化を目指すイスラムの国である。ガイドさんの話によると憲法で政教分離をうたい、信仰は自由、酒も自由、現在EU加盟をめざしている。紙幣の表はケマルの肖像画である。
 下車して、廟を撮影。トルコ革命の誇りを感じた。

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