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    砂田喜昭 2011年12月11日更新  
    日本平和大会に参加して
    砂田幸子さんにインタビュー

     日本平和大会が11月25日から27日まで沖縄で開かれました。新日本婦人の会の一員として参加した砂田幸子さんに聞きました。


     
    編集部 沖縄は初めてでしたか。
     
    砂田幸子 20年ほど前に会社の旅行でひめゆりの塔、平和公園などへ行ってきましたが、見違えるようになっていました。観光地としてたくさんの人で賑わっていました。沖縄の人の底力を見た感じです。

     
    編集部 平和大会では、どこの分科会に参加しましたか。
     
    砂田幸子 動く分科会「戦跡めぐりコース」に参加しました。地元のボランティア・ガイドさんが一日同行してくれました。
     最初はアブチラガマ(糸数の壕)です。壕の中へ、ヘルメット、軍手、懐中電灯を身につけて入りました。デコボコの足下、今も人骨や歯が残っていました。岩石が崩れたり、人間が踏んだりして、歯が地面にこびりついていました。こんな形で残っているのが悲しいです。
     全員が光を消すと真っ暗で、何一つ見えません。ここで人が住んでいたのか、と驚きます。最初は住民がガマへ逃げ込んでいたところへ、日本軍に追い出され野戦病院へとなったそうです。映画などで沖縄戦をみたり聞いたりしましたが、
     現実を見て、二重、三重の痛みを強いられ、戦後は米軍基地で苦しめられていることを思うと、人ごとではないと思いました。
     ガマから出口に出ると、外は物々しくカメラを構えた人、バッチを付けた人、パトカーと、「何か事件でも・・・」と思ったら、「玄葉大臣が来ているそうだ」とのことでした。「大臣の顔を見たら文句を言いたいね」と話していましたが、「見学がすんだら早く前へ進んで」と押し出され、結局顔を見ることができませんでした。

     
    編集部 国民に合わす顔がなかったのでしょう。
     
    砂田幸子 閉会集会は新都心公園の大原っぱで開かれましたが、この公園は米軍基地が返還されてできた公園だそうで、取り返すのに20数年もかかったそうです。
     
    編集部 普天間基地の撤去を求めて、本土と沖縄の連帯でがんばらねばと思います。3日間、ご苦労様でした。

    写真は下記のページをクリックしてご覧ください。
    http://06996341.at.webry.info/201112/article_2.html

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