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    砂田喜昭 2011年8月31日更新  
    原発なくそう8.21志賀集会
    志賀原発の廃炉訴え集会、町をパレード


     「原発なくそう!8・21志賀集会」が石川県志賀町文化センターで8月21日に開かれ、志賀原発の風下に当たる小矢部市からも市民が参加しました。参加者は会場から溢れる450名、そのうち50名が富山県民でした。
     集会では日本共産党の井上さとし参院議員が、原発からの撤退、自然エネルギーへ転換を訴える日本共産党の提言の内容を報告しました。その後、各界からの発言が続きました。


    35年間
    反対運動つらぬく


     志賀原発から600メートルのところに住んでいる男性は、35年間反対運動を続けていると報告。「私の母が団結小屋におにぎりを運んでいた。当時私の地区では多くの人が反対だったが、北電の懐柔や子どもの就職への圧力などで、しだいに反対運動から抜けていった。私の地区からこの集会に参加したのは妻と二人だが、これからも志賀原発を廃炉にするまでがんばりたい」とあいさつして、大きな拍手に包まれました。

    「子どもが心配」
    お母さんたちが訴え


     福島市生まれの新日本婦人の会のお母さんも報告。「原発事故でこの夏休みに子どもを両親の元に連れて行けない。放射能でいつ体調不良になるか不安を抱えて生きていかなければならない。お母さんたちと集まって、学んで、原発をなくしたい」との訴えは、小さな子どもを抱えているだけに切実でした。

    「富山県も安全協定を」
      県知事も表明


     火爪富山県議は「富山県議会で自民党議員からも『過酷事故はないと信じていたが、間違っていた。脱原発に進まないと』との発言も出た。知事も国にEPZ(重点的に原子力防災対策を行うべき地域・10キロ圏内)の拡大を求め、富山県としても北電と安全協定を結ぶことにしたいと記者会見で述べた。富山県でも住民運動センターを作ることを準備している」と報告しました。

    「食べ物への被害と
     不安」農家も訴え


     石川県農民連の会長は、「干し草から放射性セシウムが出た。牛肉もダメになった。一番大切な食べ物への被害と不安が広がっている。農業をダメにする原発を許してはならない。私の住むところは志賀原発から70キロ、敦賀原発から80キロ、どちらで事故が起きても大変」と訴えました。

     集会の後、約1時間かけてパレード。志賀町でこのようなパレードに接したのは、町民にとっても初めてのことのようで、玄関先に出て、その様子を静かに見守っている人が何人もいました。

    写真は次のページに
    http://06996341.at.webry.info/201108/article_11.html

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