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砂田喜昭 2010年12月6日更新  
旅の風景 ・・・ 広島・原爆資料館

 広島の原爆資料館で、原爆投下先になぜ広島が選ばれたのか、展示してあるのを見て驚いた。
 「TOP SECRET」と記されたアメリカの公文書、「第1回目標検討委員会議事録1945年4月27日」に、次のようにある。


a.直径3マイル(約4・8q)以上の市街地を持ち、その周辺にも居住地が広がる地域を、検討すること。
b・c・d (略) 
e.陸軍海軍統合目標検討グループは、上記17地域のうちすでに破壊された地域を除外すること。



人体実験を意図した原爆投下

 これは、アメリカには最初から原爆投下で人体実験をする意図があったことを示すもので、私はたいへん驚いた。
 また、原爆の開発に携わった科学者が、無警告で日本に原爆投下することに反対の意見を提出していたにもかかわらず、アメリカ政府はそれを無視して原爆を投下したことを示す文書も展示してあった。科学者は次のように主張していた。


 核爆弾を日本に対して早期に無警告で使用することは、得策ではないと考える。もしアメリカが、人類に対してこの種の新しい無差別破壊兵器を最初に使用するのであれば、アメリカは世界中の人々の支持を失い、軍拡競争を加速させ、ひいては今後の核兵器の管理をめぐって、国際協定を結ぶ可能性を損ねることになるだろう。


日本の加害責任にも目を向けて

 原爆資料館の展示でもう一つ感心したことは、日本の被害を強調するだけではなく、日本が侵略し加害者であった事実を、各国教科書の展示を通じて示していたことだ。

外国の教科書に学ぶ
 広島は原子爆弾で大きな被害を受けましたが、それらの国々(日本の植民地、占領下の国々)も日本のために大きな痛手をこうむっています。教科書にはその国の痛みが詳しく書かれており、その国で日本がどうみられているかもわかります。
 国際化は、双方の国の歴史を正しくとらえることで初めて成り立ちます。お互いの痛みを未来へどう生かすかが大切です。



 原爆資料館には、たくさんの小中学生が訪れていたが、その心にしっかりと受け止められることを願った。               (砂田喜昭)





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