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砂田喜昭 2010年11月21日更新  
防府市、坂出市のまちづくり視察報告
駅周辺開発から学ぶ


 
市議会まちづくり特別委員会は11月4日、5日、山口県防府市、香川県坂出市で、駅周辺のまちづくりについて視察しました。私も参加し、考えさせられることがありました。

開発は鉄道高架化がきっかけ


問題点1
高架化の費用 JR負担はわずか


 二つの市の駅周辺開発に共通しているのは、街を分断していたJR線路の高架化がきっかけとなつたことと、その経費をJRはほんの少ししか負担しないことです。
 防府市では5・3キロの区間に「開かずの踏切」が14カ所もあり、山口県では山口市、防府市などが合併して中核市をめざした時期に、県が事業主体となって224億円をかけて高架化しました(結果として防府市は合併せず)。このうちJRが負担したのはわずか18億円でした。
 坂出市では、2・5キロを高架化し、踏切8カ所を除去しました。ここも県が事業主体で、205億円かけましたが、JR負担は16億円でした。

小矢部市で踏切は  2カ所だけ

 小矢部市では鉄道高架化は問題にならないと思いました。石動市街地を通る北陸本線は2・5キロで、交差している道路は9本、そのほとんどが立体交差となっており、踏切は2カ所に過ぎません。

問題点2
商店街は苦労している

 
もう一つ共通しているのは商業施設、商店街がたいへん苦労していることです。

大型店と競合 防府市

 防府駅てんじんぐち第一種市街地再開発事業は、駅前に住宅、公共施設・図書館、商業施設の入るビルを造る計画でした。当初大型商業施設を中核に開発をしようと計画しましたが、予定していた業者が出店を断念したため、一旦頓挫。
 その後、「身の丈にあった新しいまちづくりを」と取組み、図書館や住宅は成功しましたが、商業施設はなかなか埋まらず、出店した商店もお客が少なくて困っているそうです。
 駅近くにはサティが1200台の無料駐車場をもって営業しており、お客はみんなそこへ流れているそうです。郊外には大型店、コンビニが進出しています。
 よそから視察に来た議員から「商店街がもっとがんばらないと」と、よく言われるそうですが、市の担当者は「大変厳しい」と率直に語っていました。商店街が個別配達など新しいサービスを始めると、大資本・大型店はすぐにそれを上回るサービスを始めるというのです。

 
アーケードの中はシャッター通り  
    「瀬戸大橋は期待はずれ」  坂出市


 坂出市では駅周辺で11の主要事業を取り組み、たいへんきれいに整備されていました。
 ところが、既存の商店街はアーケードを整備し、快適に買い物ができるようになっているにもかかわらず、店は軒並みシャッターが下り、シャッター通りとなってていました。
 坂出市議会副議長が「瀬戸大橋の開通にたいへん期待していたが、期待はずれだった。観光客は坂出を通り越して高知などへ流れてしまう」と語ったのがたいへん印象に残りました。

大型店出店自由化が 地方に疲弊をもたらした

 日本政府がアメリカの要求に応じて大型店の出店自由化を進めた結果が、地方都市にこのような疲弊をもたらしたのです。

小矢部市の駅南開発に
疑問の声も


 この現実を目にして、小矢部市議の一部から「在来線しか止まらない小矢部市で駅南開発をしても、南砺や砺波から石動駅を利用するわけがない」というぼやきの声も聞かれました。

注目したい点
防府市の住民主体のまちづくり


   
住民主体のまちづくりが大切だということを、防府市の
 取り組みで教えられました。


全戸アンケートで
 図書館を駅前に


 市立図書館を再開発ビルへ入れることは、全戸アンケートをし、その結果にもとづいて決めたそうです。
 元々駅前にあった図書館を昭和30年代に郊外へ移転した経過があり、市民の中には元へ戻して欲しいという希望が多かったそうです。
 移転前の利用者が10万人だったものが30万人に増え、これは成功だったそうです。

地権者全員の合意
子どもや孫世代のために


 一旦頓挫した再開発事業をもう一度立ち上げたときに、関係する地権者全員が、「損得勘定ではこの事業は成り立たない、子どもや孫の世代のために」を合い言葉に合意を勝ち取ったというのです。

移転補償金を
再開発事業にまわす


 土地区画整理事業と一体にこの再開発事業をしたのですが、そのやり方がすごいのです。
 区画整理事業で各地権者の建物を移転しなければならなくなりますが、地権者が受け取る移転補償金を再開発事業にそっくり再投資することで合意ができたのです。
 防府市議会も特別委員会をつくり、そこに地元の方々も含めて本音の意見交換会をやったそうです。
 市長が「止めておけ」と言ったけれども、地元の方々が全員合意しているからと、市の担当者が市長と喧喧諤諤の議論をして事業を進めたとのことです。
 民間の開発業者を入れず、いろんな国・県の制度、施策を活用し、事業執行にあたっては常に透明性・公平性・競争性を確保するなど、当時の苦労を振り返って、その担当者が「こんな事業は全国で、これが最初で最後だろう」と語ったのがたいへん印象的でした。

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