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憲法に国民主権原理が盛り込まれた流れ…
映画「日本の青空」と重なった
「憲法をまもる小矢部の会」設立2周年記念
「淡川典子(あいかわみちこ)の憲法ゼミナール」に参加して
「憲法をまもる小矢部の会」の第3回総会が6月15日、小矢部市総合会館で開かれ、設立2周年記念の催しとして元富山大学教授淡川典子さんを招いて、対話的授業「憲法ゼミナール」が行われました。参加された方から寄せられた感想を紹介します。
日本と世界の平和な未来をめざす「九条の会」は現在、全国で7千を超えて広がり、草の根運動として活動している。それぞれ創意工夫しながら「憲法が活かされる社会へ」のとりくみを強めつつある。
今回の「憲法をまもる小矢部の会」が行った「憲法ゼミナール」も、その一つである。
秋葉原無差別殺傷事件から
淡川先生は、冒頭に東京・秋葉原の無差別殺傷事件をとりあげられた。
6月12日付北陸中日新聞に載った「自殺か殺人かー派遣労働者の絶望ー」と題する論評で、「彼が無差別殺人に暴発する前に、私たちは、『今の社会は変えられる』という希望を、彼に与えることができなかったのだ」という鎌田慧氏の意見を紹介。これを別の表現でいえば、彼の成長を日本の社会が支えることができなかったのみならず阻害したのだ、と指摘。つまり彼を主権者として育て上げてこなかったわけだ。
1998年、国連子どもの権利委員会は、日本政府へ、過度の競争的教育制度は子供の発達をゆがめると勧告したにもかかわらず、国は手を打っていない、とのこと。
〈子どもが育つとは、どういうことか〉ここに、大きな手がかりが見えた気がした。
さらに、印象に残ったのは、他人と冷静に議論できる主権者に育てることの重要性に言及されたことだ。「個別具体的な問題点の指摘を全人格的批判と見做し、恐慌状態に陥り、無視または見解の相違と切り捨てる。日常的に議論する習慣がない。そこには、妥協点をさぐる努力の放棄であり、交渉能力が十分発揮できない。力による問題解決へとつながる」と。
子供の教育論のみならず、私たち大人の側にも突き刺さるものがある。
軍備放棄・国民主権原理をめぐって
本題の憲法の話では、〈九条をめぐる若干の考察〉のなかで、紹介された文章があった。
1945年8月28日付読売報知新聞に「満州事変」の立役者・元陸軍中将石原莞爾のインタビュー記事が掲載された。
石原氏は軍備放棄を提唱。 「戦に負けた以上はキッパリと潔く軍をして有終の美をなさしめて、軍備を撤廃した上、今度は世界の輿論に、吾こそ平和の先進国であるくらいの誇りを以て対したい。……」
これもちょっと驚きである。
〈国民主権原理はどのように盛り込まれたか〉資料を駆使した淡川先生の語りから、当時の日本政府の「天皇統治権」を擁護する姿勢が、ありありと見えた。
時系列で見てみよう。
1945・10・27
松本憲法調査委員会の第一回総会「憲法改正の要否について議論することはこの際不必要」
1945・12・8
マッカーサーの近衛解任により、憲法調査委員会は方針変更。松本四原則「天皇が統治権を総攬せられるという大原則には何ら変更を加えないこと」
1946・2・1
毎日新聞が「天皇統治権」を内容とした憲法問題調査委員会試案全文をスクープ
1946・2・13
マッカーサーは日本側へ原案提示。
ホイットニー准将の演説「……マ元帥が米国内部の強烈なる反対を押し切り、天皇を擁護申上げる為に、非常なる苦心と慎重の考慮を以て、これなら大丈夫と思う案を作成せるものにして、また最近の日本の情勢を見るに、本案は日本民衆の要望にも合するものなりと信ずと言えり。」
1946・3・6
政府草案要綱でマ原案「国民主権」を「国民総意の至高」と訳す。
1946・7・11
GHQ民政局は「主権」を「至高」とするのは、「法学的な意味において、主権概念を伝えていない」と。
4月27日、クロスランドおやべで「日本の青空」が上映された。日本人の誇りを憲法に託した鈴木安蔵らは、民間の「憲法研究会」案を政府とGHQに提出した。GHQは「民主主義的で賛成できる」と高く評価し、GHQ案に反映された。
憲法ゼミと「日本の青空」が、こんな形で重なるとは思いもよらなかった。 (Y生)
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