バナー2006年6月4日号
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花椿不当解雇撤回裁判
予断と偏見だけの不当判決

 
原告と支援共闘会議  控訴審でたたかうことを表明

 知的障害者更生施設「花椿」(南砺市<井口>・社会福祉法人渓明会が経営)を不当に解雇された浅谷夫妻が解雇撤回などを求めた裁判は5月31日に判決が言い渡されました。傍聴者が入りきれないほど詰めかけた富山地方裁判所高岡支部で藤田敏裁判長は「原告の請求をすべて棄却する」と一言述べただけで、判決理由も述べず、すぐに閉廷しました。


 原告側は、閉廷後本丸会館で花椿裁判判決報告集会を開きました。
 挨拶に立った不当解雇撤回闘争支援共闘会議の米谷寛治議長は「数秒間で判決を言い渡し、裁判官らはそそくさと逃げ出した。また、被告・「花椿」側には理事判決報告集会が開かれた者も代理人の弁護士も欠席しており、異様な判決申し渡しだった」と、糾弾しました。そして「@原告の浅谷夫妻を励まそう、A不当判決、ひどい判決の内容を広く宣伝し、控訴でがんばろう、B支援の輪を広げよう」と呼びかけました。
 浅谷さんの代理人、水谷敏彦弁護士は、「『結論先にありき』で、原告が指摘した事実を無視した、予断と偏見だけの不当な判決だ。」「S(施設利用者)への『セクハラ』事件については、そもそも被告側が事件の日を特定できなかったのであり、原告側が、施設の出勤簿などの資料で、Sの証言に出てくる人物がみな出勤して、しかも畑作業を行なった日はなかった、と具体的なアリバイを示して、セクハラがなかったことを明らかにしたにもかかわらず、裁判所は、出勤簿に記録がなくても浅谷氏が出勤していたという可能性は否定できないと何の根拠もなく言い張っている。事実にもとづかない、可能性を根拠にする判決は、受け入れられない」と批判しました。

 集会参加者からは、「施設をよくしようと思ったら、セクハラでクビにされた。こんなバカなことを世間に通用させてはならない」「串岡さんのトナミ運輸での内部告発も勝利和解まで40年もかかったが、そのことで内部告発の重要性が世間に認められるようになった。」と口々に怒りの声が出されました。

 原告と支援共闘会議は控訴審でたたかうことを表明しました。また富山地裁高岡支部の裁判官に証拠にもとづかない判決を下したことにきびしく抗議することを申し合わせました。

 最後に挨拶に立った浅谷敬太さんは「ここまでがんばってこられたのは、みなさんのご支援があったからだ。結果は残念だが、日本を、そして福祉施設をよくするために、肩を張らずに明るく闘い、勝利を勝ち取りたい」と述べ、参加者から大きな激励の拍手を受けました。

花椿不当解雇事件とは

 2001年4月に開所したの「花椿」で、入所している利用者への対応を巡ってトラブルが続いており、利用者を支援する役割の職員であった浅谷敬太氏がその改善を求めて積極的に行動したことが発端です。
 浅谷氏は知的障害者である施設利用者への処遇改善(たとえば投薬ミスの改善やその事実を利用者の保護者に伝えることなど)を施設側に繰り返し求めました。しかし、いっこうに改善されなかったため、浅谷氏は県や国に施設の運営を改めさせるよう指導を求めたり、保護者会やマスコミにも訴えました。
 また、8月、発作を起こした利用者を浅谷氏が緊急に高岡市民病院へ搬送し、施設長への報告が事後になったことも施設側からは規律違反として問題視され、浅谷氏は2週間、出勤停止処分とされました。施設側は、処分が開けても、支援職員として職場に復帰させず、草むしりや彼の自家用車内で待機させるなどの不当な人権侵害を繰り返していました。
 そこで浅谷氏は2001年9月労働組合をつくり、施設側と交渉し、元の職場へ復帰させることを要求しました。渓明会理事会(岩峯理事長・当時)は、組合側と職場復帰で合意し、この解決に向けて、施設長を交代させるなどの努力をしました。
 しかし渓明会内部には岩峯氏の方針に批判的な部分もあり、2002年5月21日、施設利用者への「セクハラ事件」をでっち上げ、浅谷氏を不当解雇したものです。
 浅谷氏は、入所者への不当な扱いと、それに抗議し改善を求めた自分への差別と弾圧を告発しつづけ、解雇後かろうじて生活を立て直した2004年5月、「福祉施設のあり方を変えるために、誰かが声を上げなければならない」と、提訴に至りました。


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