バナー2006年4月2日号
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明治憲法の影がちらついている日本
      国民救援会砺波支部の 憲法学習会 から


                                 (by H)

 3月24日夜、国民救援会砺波支部の主催で、憲法学習会が開かれました。会場の津沢コミュニティプラザには30名余が参加し、満席となりました。
 
 講師の、元富山大学教授・篠原巌さんは、「憲法に関して行動するとき、日本の現実社会をどれだけ理解しているかが大切です。改憲論議が起こったことを自分の生活を考えなおすチャンスと考えてはどうだろう」と切り出しました。「そういうと、『生活が厳しく憲法どころではない』という人もある。でも、誰でも経済生活とともに政治生活も持っているのです。経済生活が見えても政治生活が見えない、あるいは、見ようとしない、のが日本の民主主義の現状です」と付け加えました。
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 日本国憲法前文のはじめの一文は明治憲法を批判しているのです。天皇制政府は、外国との平和的な協力関係をとらなかったこと、国内ではあらゆる自由を抑圧したこと、そして戦争の震え上がるような恐怖と悲しみをもたらしたことを確認します。その上で、主権が人民にあると宣言しているのは、あの戦争の悲劇の根源が天皇制であると認識して、それをきっぱりと拒否しているということなのです。
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 ただ日本社会が、どれほどこの反省を生かしているのか、疑問が残ります。戦前の明治憲法の影が政治経済文化のさまざまな面でちらついているのです。
 ドイツではナチス時代の反省は徹底しています。たとえば中学の教科書の前書きでさえ、政治的教養の重要性を次のように強調します。「(もし政治のことを理解しないと)君は後になって市民としての権利を自分に役立つように使うことが出来ない。君は現実とは違うが『ありそうなこと』を、政治家や新聞テレビや教科書や、ひょっとすると教師によっても吹き込まれる危険がある」(これはナチスの時代に実際に起こったことなのだ)
 政治とは何でしょう。ドイツでは中学の教科書に、それは「民主主義的支配」だと明記している。民主主義の社会でも政府は権力を行使します。それは「支配」なのだ。国民はそれによって支配されるのだ、という関係をしっかり理解させようとします。この土台に立ってこそ政府を束縛する立憲主義の意味や基本的人権がよくわかるのです。
日本でもこのような点をはっきりさせて、「地に足の着いた」憲法を守る運動を進めたいものです、と結びました
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参加者から、小学生の通学を見守らねばならない問題をどう見ればよいか、国民保護法の具体化が市議会で図られようとしているがどう対応すればよいか。仙台の北稜クリニックの守被告にまたもや有罪判決が出た、裁判所はおかしいのではないか。などの質問や意見がでました。
篠原さんは日本は「自由を捨てなければ暮らしが立たない」おかしな社会になっている、など日本社会の実情に迫るコメントで討論に参加されました。


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