バナー2006年3月6日号
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憲法・教育基本法は、私の命、私の先生
 
        富山和子さんの講演会 から

 ”憲法9条の会in￿とやま”が2月25日、富山市内で講演会を開きました。「憲法と私」と題して、評論家で立正大学名誉教授の富山(とみやま)和子さんが講演。
 【富山和子さんの紹介】1933年生まれ、群馬県出身。早稲田大学文学部卒業、水問題を森林林業の問題まで深めたこと、「水田はダム」の理論でも知られている。著書『水と緑と土』は環境問題のバイブルといわれ、30年を超えるロングセラー。「富山和子がつくる日本の米カレンダー、水田は文化と環境を守る」を製作、農林漁業を守るキャンペーン中。


 戦前、戦中、戦後を経験した富山和子さんは、憲法と教育基本法は私の命と述べられ、「私たち日本人は外国の文化に見習わなければならないものは沢山ある。でも、これだけはと誇れるものもある。一つは平和憲法、二つには日本は木を植える文化がある。縄文から一万年、足元を崩さず文化を育ててきた。世界の奇跡だ。」「私は、憲法の話でなく、木を植える文化の話を、ずっとし続けてきた。だが、今はそうとばかり言っていられなくなった」と心境を披露。

福祉や環境の
 最大の敵は戦争


 次に、3年前、大学の新入生に対するオリエンテーションでのお話。「社会福祉を学ぶ学生に、私の専門である環境社会学は福祉と一つのところでつながっている。それは命だ。イラクで人殺しが始まっている、あなた達はどうする。あなた達は平和憲法があるから幸せにやっている。あるからじゃない。たたかって守ってきたのだ。福祉とか環境とかを心がける人だったら戦争反対を真っ先に言わなきゃならない。なぜなら、最大の敵は戦争だからだ。一生懸命福祉の勉強をしても戦争があれば一瞬でパーになる。」
 また、富山和子さんは大学を辞めるとき、「若者よ怒れ!あきらめるな!わかった顔をするな!」と若者に語られたとのこと。
 さらに、自分の生い立ちに触れ「私は戦争を体験し、戦後、新しい憲法が制定された。飢えと飽食を知っている。敗戦後、貧しかったが、わが生涯の一番輝いていた時期だった。憲法と教育基本法に育てられた。敗戦の日本をどうやってつくっていくか、本当に輝いた時代だった」「大学卒業後、編集の仕事として、執筆した事件で基本的人権をないがしろにした問題をいやほど見てきた。いま、共謀罪が取りざたされている。こわい」
 その後いろいろの問題を手がけてきたが、「私の先生として、ものの考え方の基本は憲法、基本的人権であり、現場で働く人たちの声が私の肥やしになっている」
「憲法はやさしい。あたたかい。涙が出てくる。どんな命も生まれてきてよかったという精神」「憲法は国家権力を制限する、人権を守れと」「一番怖いのはマスコミ、憲法集会で沢山の人が集まった、報道しない」「9条があるから外国から信頼される。9条があるから経済の発展もあった」と続けられました。

一つでも多くの「九条の会」を!

 最後に、1991年、富山和子さんの米カレンダーを映像化したときに、朗読した一節を披露。
 「“水田はダム”水田は水を蓄えるダムと私が言い出してから20年になる。最初、ショックだとか変った理論だとか言われたが、同じことを20年言い続けてきたら、いつか仲間が増え、口から口へとその見方が伝わって、今では当然のように理解してもらえるようになった。まるで地下水のようだ。水田にはられたこの水も地下にしみ込み、何年もかけ、やがて下流で大河の水になる。農業をまもれという市民の願いも同じように世に浸透する。いつか本流になって政治を動かすにちがいない」「まだ本流にならない農業、9条のほうは早く本流になって世論を動かしてほしい。」
 結びとして「一つでも多くの『九条の会』をつくってほしい。勉強会もしてほしい」と訴えられました。
     (Y生)




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