バナー2005年5月15日号
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八重桜を訪ねて、北陸道散策

 
 党と後援会が親睦の催し

 四月二十九日(みどりの日)小雨にぬれて木々の緑がより鮮やかな道すじを源平の戦いで名高い倶利伽羅古戦場―現在の倶利伽羅県定公園へとたどりました。
 集合場所は埴生護国八幡宮のエントランスとして整備された倶利伽羅源平の郷埴生口。埴生八幡宮は寿永二年木曽義仲が平維盛の大軍決戦するにあたり戦勝祈願したことで知られ、社殿は国指定重要文化財です。
 埴生口を午後二時出発、若宮古墳への坂道をのぼりました。県内で唯一円筒埴輪がおかれていた前方後円墳で、ここに立つといにしえの集落が浮かんでくるような気持ちがしました。
 ここから石坂へ出て昔多くの旅人が往来した北陸道を、矢立―塔の橋―砂坂―猿ケ馬場―倶利伽羅公園と出発してから約一時間半余で到着しました。
 驚いたのは一面の霧で、晴れていれば遠く河北潟まで見渡せるはずなのに、深い谷からたちのぼる霧はすっかり視界をさえぎっていました。
 しかし見上げる八重桜の花はやさしくゆらいでこれほどの桜の名所にした故高木勝己氏と地元の人達の熱意に感激。
 猿ケ馬場から公園へと散策すれば芭蕉の「義仲の寝覚めの山か月かなし」の句碑や今石動城の城代であった篠島氏の墓、五社権現(現在ここは四社)手向神社や不動さんで親しまれる不動寺など、さまざまな名所で往時を偲びました。
 
 そのあと寿永荘へ移動し、入浴後、楽しい交流会のひとときを過ごしました。   (S)

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