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新幹線と在来線
1989年2月22日、私は当時の共産党県議犬島肇氏と群馬県松井田町へ視察に行ってきました。
そこで、当時の富山県知事が選挙目当てに、新幹線建設と引き替えに、在来線の切り捨てと地元負担を受け入れたことについて、強い批判を聞いてきました。
歴史的な記録として、ここに掲載します。
1989年3月小矢部市議会での再質問より
群馬県松井田町視察をふまえて
新幹線問題で、この在来線廃止の問題をなぜ重視するのかというと、政府自民党は新幹線の条件として、在来線の廃止を強くうちだしているからです。
二月二十二日、私は群馬県松井田町へ行ってきました。ここは、信越本線の横川〜軽井沢間が廃止されるというので、町あげて反対運動にとりくんだところであります。
この町では昨年の10月16日に在来線廃止反対町民大会を町当局、議会、町内会、労働組合などが一緒になって、四千名の町民の参加で開き、署名も町民の98%から集めたということであります。
松井田町では、自民党の幹部との間で在来線の存続という覚書きをとりかわしていたにもかかわらず、それが反古にされて、信越本線の廃止という方針が決定されたのです。私もその覚書きのコピーをみせてもらいましたが、二階堂進副総裁、金丸信幹事長、宮沢喜一総務会長、藤尾政調会長、藤田正敏参議院会長、渡辺美智雄幹事長代理、三塚博政調会長代理が連名で「信越本線については、地域圏交通として機能を維持するよう努めるものとすること。」という約束をしていたのでした。二階堂氏や金丸氏、宮沢氏は署名のほかに、花押まで押しておりました。これでも廃止になるというのです。
この町でも「まさか信越本線を分断したり、廃止することはないだろうと思っていた」と語っておられました。しかし、ある代議士は「松井田さんよりたいへんなところがあるんだから、今回の廃止は認めてくれ」といって説得したそうであります。もっとたいへんなところというのは、北陸本線のことで、今回の横川〜軽井沢間の廃止はその突破口として、どうしても廃止に持込むという決意で、政府はやってきていたと述懐しておられました。
この話の中ででたのは、富山県の中沖知事への不満でありました。はじめは申し訳なさそうに、ほのめかす程度でしたが、私達が共産党の議員で、在来線の廃止や地元負担に反対していることがわかると、かなり率直に語ってくださいました。「これだけ強引に新幹線建設と在来線廃止を言ってくるのは、政治的な働き掛けが強いからだ、選挙めあてに新幹線、新幹線というからこういうことになったのだ。だいたい地元負担などという話は中沖知事が言出したことではないか」とこういう話でありました。
この経験にてらしても、うかうかしておれないというのが実感でありました。重ねて市長に在来線廃止をくいとめ、地元負担を認めないという強い決意を伺いたいと思います。
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