コラム 三笠宮妃の死去に際し、戦争と貧困を思う
三笠宮百合子さんが101歳で亡くなった。昭和天皇の弟、三笠宮崇仁氏の妻である。
私の母もまもなく101歳、毎日の食事がおいしいという。昨年秋には共産党支部の仲間から「おめでとう、100歳」と。
さて、三笠宮崇仁氏。『THIS IS 読売』1994年8月号に掲載された「参謀・三笠宮の“危険文書”発見。闇に葬られた皇室の軍部批判」を、いま一度読んだ。
南京派遣軍・参謀だった彼は、南京事件について「むごたらしく捕虜を殺せば虐殺、人数は関係ない」と。
戦前のファシズムの原因について「1930年以来の日本の農村の不況、本当に悲惨の極み」、その打開策としての「満州事変」。三笠宮氏は「希望の大地、満州。しかしそこは他国の領土・・・個人の所有地でも不法侵入罪だから、侵略だ」と、道理と国際法に則って批判。
苦難をどう脱するか、今日では国民が模索し探究する。
米国ではラストベルト地帯の疲弊から、あのトランプが復活。
他方、日本では総選挙で裏金政治への国民の怒りから与党が過半数割れに。共産党は「新しい政治プロセス」の始まりと歓迎し、暮らしの要求、平和への願い実現へ、米国言いなり、財界優先という二つの政治のゆがみを正そうとよびかけている。ただ、その力が及ばなければ様々な逆行、より悪い政治へと暗転する危険もありうる。
102歳の日本共産党、失敗と成功の歴史から学び、国民とともにたたかって道を開こうとしている。あなたも、ご一緒にこの道を。
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