コラム 原爆と人間写真展 焼き場に立つ少年
この紙面の左上の原爆写真は長崎での『焼き場に立つ少年』。亡くなった弟を背負い焼き場で直立不動の姿勢で立っている。頭から口元、指先、つま先まで、この写真が訴えることを想像してほしい。
撮影したのは、アメリカ海兵隊のカメラマン、ジョー・オダネルで、1945年に、空襲による被害状況を記録する任務で日本に上陸した。『トランクの中の日本』(小学館・刊)に掲載されている。
私用のカメラも携え「苦痛に耐えて生きようとする懸命な被災者たち、無残な瓦礫と化した被爆地にレンズを向けているうちに、それまで敵としてとらえていた日本人のイメージがぐらぐらとくずれていった」、「その余りの強烈さにたじろいだ」と。彼はそのネガをトランクに納め、二度と開けまいと鍵をかけた。
被爆地で放射能を浴び、帰国後に体調を崩した彼は「もう逃げるのはよそう」と、1989年ついにトランクの鍵を開けた。「1945年夏、きのこ雲の下で何が起きたのか? その怖ろしい事実を伝えていくのが使命だ」と。1990年アメリカで最初の写真展。
ところが唯一の戦争被爆国日本に、核による「拡大抑止」を唱える政府・自民党がいる。ヒロシマ・ナガサキの惨害を、世界のどこかで起こすこともためらわないのか。
核による脅しが現実味を帯びている昨今、今年の平和式典で長崎市長も、広島市長も「核抑止」論を拒否した。私たち日本こそ核兵器の廃絶、威嚇の禁止、被爆者救済を世界に問うべきではないのか。
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