バナー2017年1,2月号
本文へジャンプ 更新日 2017年1月30日 

コラム  赤松小三郎ともう一つの明治維新を読んで


 今年は大政奉還から150年、「赤松小三郎ともう一つの明治維新」を読んだ。明治維新といえば坂本龍馬が有名だが、彼の「船中八策」には現存する資料の裏付けがないという。「真田丸」で知られる上田藩の赤松小三郎という人が、幕末(1867年5月)に「御改正口上書」という建白書を幕府や薩摩に提出していた。

 彼はこの建白書で公武合体を提唱したが、その政体は民主的で、6人の実務者による内閣と、普通選挙による二院制の議政局とした。薩摩と土佐の盟約(1867年6月)をつくり平和的な大政奉還と民選議員による議会制民主主義・主権在民の国づくりをめざしていた。この国づくり提言は日本人の中から生まれたもので、現憲法に通じる。決して外国の押し付けではなかった。

 ところが日本を中国と同様の植民地化を狙っていたイギリスが薩摩を通じて介入し(同年7月)、薩摩・長州同盟を結び(8月)、薩・土盟約を壊し(9月)た。そして翌年、明治元年、薩・長が鳥羽伏見の戦いで徳川政権を倒し、武力による明治維新という結果になった。

 明治政府は赤松らの議論を封印し、天皇を現人神とする絶対的権力による専制政治の道を歩んだ。

 その時代から、自由民権のためにたたかい続けた人々がいた。この流れを受け継ぐ日本共産党がこの正月、第27回大会を開き、野党と市民の共同で安倍自公政権を倒し、野党連合政府で憲法9条が生き、格差是正し国民一人ひとりが尊重される国をつくろうと呼び掛けた。37歳で暗殺された赤松の想いをも受け継いでいるのではなかろうか 。

トップへ戻る 
砂田喜昭のホームページへ戻る