バナー2005年7月号
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ひろば 小林多喜二と早春の賦

 つい最近、小林多喜二を描いた「早春の賦」の舞台を観た。多喜二は「蟹工船」「不在地主」など戦前の日本で労働者や小作人の立場に立った小説を書いて、29歳の若さで特高警察に虐殺された。

 時代は、満州事変から中国全土へと、天皇制政府が侵略戦争を拡大し、国内では反動化の嵐が吹き荒れていた。多喜二はその流れに棹さし、反戦平和のためにたたかった共産党そのものを作品にした。「1928年3月15日」「工場細胞」「オルグ」等々。その作品は没後70年を経ても広く読まれている。

 一見、強大な相手に、体を張ってたたかう作家の生き様に、今日に相通ずるものを見た。自民・公明と民主が「憲法改悪」を競い合い、「平和憲法を守れ」「庶民の暮らしを守れ」の声と運動は大手マスコミからは見えにくくなっている。

 しかし、しかしである。小泉首相の靖国参拝への批判は国内外で高まってきた。中国、韓国はもとより、アメリカで「ニューヨークタイムズ」「USAトゥデー」、フランスで「ルモンド」が、靖国神社は日本の戦争責任を免罪する「戦争神社」だと、大きく報道するようになった。

 その転機になったのが、5月に共産党本部で開かれた時局講演会での不破講演ではないだろうか。外国大使館や外国のマスコミも多数参加し、その内容はパンフにして全国会議員や県知事などに贈られ、英訳が各国大使館に届けられた。

 いま私たちは、靖国問題を特集した「赤旗号外」を一軒一軒に届けている。一人の行動、一人の声は小さくても、道理ある訴えがいずれは世界を動かすと信じる。多喜二の思いもここにあった。

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