今月のトピックス

 

 December ’99

12/14(火) 矢野暢 元京都大学教授 逝去

 我が心の師の一人であった、政治学者、矢野暢氏が遠くウィーンで、63歳という若さで亡くなったことを新聞報道で知った。
 大学時代にであったある一冊の本により、私は全く面識の無い矢野氏に惹かれ、尊敬し、我が師と仰ぐこととなったのだ。
 音楽之友社刊、音楽選書「20世紀の音楽 意味空間の政治学」がそれである。
 まずは、この著書の紹介文から引用しよう。

 「20世紀の音楽は、戦争、体制、民族、世俗化、大衆社会、はては南北問題など、まったく新しい時代状況とのかかわりのうえに成立している。この20世紀をいろどる作曲家群像を、<対語感覚と音楽>というユニークな視点から描きあげた、画期的な現代音楽入門である。」

 社会科学者の踏絵としての、同時代の状況をどうとらえるか、という問題に対して、音楽を題材に論を繰り広げる野心作である。私は、思った。これこそが私の求めていたものだ。大学時代、法学に全く興味を持つことを得ず、かろうじて政治学に、大学の教室に向かわせる原動力を少々感じていただけの頃、この音楽と政治学との出会いから生まれる鋭い考察の数々、感激することしきりであった。そして、何より、この著作の後半を占めるショスタコーヴィチに関する部分こそ、私にとって今なお引きづっている「曲解」の原点となっているのだ。
 いや、決して、矢野氏の著作は「曲解」などではない。しかし、氏は言う。

 「私の20世紀音楽を見る見方のポイントは、音楽が音楽独自の論理だけで成り立つ余地がなし崩し的に奪われ、音楽政治、音楽体制、音楽機械というふうに、音楽が、複数の対語関係の一方の要素に成り下がらざるを得なかった世紀、という時代認識である。」

 20世紀も終わろうとする現在、この100年の音楽を振り返るに、氏の言わんとするところは十分理解できる(もちろん対語関係的な説明を要しない音楽も当然ある。しかし、前世紀に比べて各段に、音楽の被る他からの影響は大きくなっているのは確かだろう)。純粋音楽的に、ショスタコーヴィチに既に心酔していた私ではあったが、この著作との出会いによって、もう、ショスタコーヴィチから私が離れられないほどの愛着の対象、かつ知的好奇心の対象となるばかりか、全ての音楽に対して、その背後にあるかもしれない「対語関係」を探求せずにはいられない状態へと私を駆り立てることとなったのである。

 すなわち、ショスタコ―ヴィチとソ連という国家体制とは切っても切れない関係にあるのは言うに及ばず、ベートーヴェンにしてもナポレオン戦争と続く保守反動体制(ウィーン体制)が、切っても切れない影響力を与えてはいないだろうか?二つの世界大戦が、同時代の作曲家に、ある特定の音楽を作曲させるばかりか、作風を変化させるまでの影響をも及ぼしてはいないか?等等、20世紀は当然のこと、前世紀においても同様なことを考えはじめた時、我が「曲解」は開始されたのである。例えば、未亡人クララへの愛情を抑制する自制心が、ブラームスの作風に多大に反映されているとか、といった具合。

 このHPを立ち上げて、1年が経過しようとしている現在、図らずも、矢野氏の突然の逝去により私のHPの発端を文章にまとめることとなってしまった。氏には、もう一冊、音楽之友社で同様の著作があるがもっともっと、音楽と政治、あるいは対語関係から論ずる音楽について語っていただきたかった。

 話に寄れば、私もその時は驚いたのだが、1993年、氏の女性秘書からのセクハラの訴えにより、氏は京大を辞し、謹慎。ほどなくウィーン大学の客員教授として招かれていたらしい。日本人初のスウェーデン王立アカデミー会員(ノーベル賞の選考母体)でもあり、アウン・サン・スーチー女史の恩師でもある東南アジア研究の権威でもあった氏なのだが、事の真相は知る由も無いものの、幾分哀れな晩年だったのではないか?
 ご冥福を祈ります。

奇しくもショスタコーヴィチ強化月間関連記事になってしまいました(1999.12.18 Ms) 

 

12/12(日) 岐阜県交響楽団 第58回定期演奏会

 はるばる岐阜県は羽島市まで遠征し、清流氏の所属オケによるシベリウスの「春の歌」等を聴いて来ました。
 いきなり全体的な感想、
「落ち着いたテンポ感。弦(特にVn)に比重が傾いたバランス。」といったところでしょうか。それが、良く働いたところもあり、また裏目に出たところも・・・という印象です。
 今回一番の目当て
シベリウスの「春の歌」ですが、予想外に落ち着いたテンポ感で一瞬アレッと驚き。聴きなれたCDと比較するのも良くないことだろう。スコアで正確なテンポ表示も確認していないので主観的な発言に過ぎないだろうが、それにしてももたれ気味に感じました。冒頭、清流氏の期待度充分のティンパニロールからさて、主題へ。しかし何かが違う。テンポの違和感だけでなく、オーケストレーション上の問題か?音色のブレンド具合が自分のイメージと相違していたのか?確かに低音に音の固まった響きにくい箇所のような気もするのだが。冒頭、ビオラが聴きたいのにクラリネットばかりが目立っていたのが原因だろうか?いまいちよく把握は出来なかったが、何となく違う、と思わせる不安なスタートをきった。
 しかし、主題がフルートに移るあたりからよどみは消え始め、晴れて(?)バイオリンに主題が回って来た時、始めて「春」を感じさせる安心感を得た。そして曲はほとんどバイオリンの主導で進むのだが、その安定感と言ったら素晴らしいのなんの。ただ、逆に、管楽器の存在感が薄く、曲趣がほとんど変化しないのに輪をかけてしまったような気もするのだが、どうだろう。特に再現部の、シベリウスの交響曲第2番フィナーレの再現部と同様な木管の機械的音型がもっと聞きたかった。さらに、トランペットに旋律が回ってくるところ、どうしちゃったの?ここで鳴らさなくていつ出番があるの?等々、期待が高かった分いろいろ注文も多いのだが、クライマックスに向けて感情が高まるあたりから、枝葉末節どころではなくなり、私も興奮してきたのは確か。第1のクライマックスでは涙した。ホントに。私も落ち着いたテンポ感にも慣れ始め、その落ち着いたテンポが逆に、その素朴な歌とあいまって副題の「春の憂鬱」すら想起させる感動的場面へと私を勧誘したのだ。素晴らしかった。さらに、第2のクライマックスの鐘も、救済される思いだった。いいバランスできまりました。
 清流氏のティンパニも、特に再現部のうねるロールがgood。全般的にも、ほとんど変化しない曲趣を変化させる大変重要な役割を果たしていました。オケ全体がもう少し、シベリウスの楽譜上の弱点をカバーできればさらに良い演奏であったことだろう。しかし、聴衆の一人として貴重な体験をさせていただき、とても感激しました。ありがとうございました。
最後に私の手による当曲の解説はこちら。

 続くグリーグの「ペールギュント」。シベリウスの冒頭の野暮ったいオーケストレーションとは対照的に、爽やかな開始。パストラーレな似たような雰囲気なのに響きが全く違うのが面白く感じた。二人の個性の相違が端的に聴き取れたようだ。
 さて、全体的には、迫力不足の感は否めなかったが、きっと「踏み外さない」のがこのオーケストラの特徴なのだろうか。大人びた演奏ということだろうか。それはさておき、私が特別印象的に感じたのが終曲。「ソルベイグの歌」はアマオケではなかなか持たないほどにオーケストレーションが薄く、下手なのがバレバレになるのだが、無難にこなしていたのはさすが、という感じ。安心して聴けました。ただ、中間部の3拍子がまた予想外の落ち着いたテンポでアレッとは思いましたが。

 メインであるショスタコーヴィチの交響曲第5番。やはり、何とも弦楽器の充実ぶりが目覚しい。
 バイオリン・ソロは第2楽章のトリオ、とても端正な可愛らしささえ感じさせるものでシニカルでないのが新鮮でした。グリッサンドの感じに好感を私は持ちました。
 第3楽章の冒頭があまり弱奏になっていないのは、ちょっと私のイメージとは違っていました。が、最も気に入ったのがクライマックス、木琴の叩き終わった後のオケ全体のクレシェンドの印象が深く残りました。そして続く、チェロの哀歌を導く、激しい刻み、特に2ndの精力的な演奏は、まさしくショスタコーヴィチの世界を体現していました。しかししかし、その刻みが部分的にビオラへ受け渡され、最終的に全てビオラに渡ったとき、音量が極端に落ちてしまったのがとても残念。なんとかして、バイオリンのテンションを受け継いでいただきたかった。
 フィナーレもやはり主役は弦。一番圧倒されたのが、提示部の終わりに近い、木琴の叩き終わったところ、トランペットの3連符の交じる伴奏音型が全く聞こえず、弦の歌う幅広い旋律があまりにも雄弁で雄大で、胸を閉めつけられるような感激がありました。さらに、コーダも金管をものともせず、ラの音をひたすら連呼する部分も容赦無く響き渡り、
他の項でもで私も書いたとおり、作曲者の意図を忠実に守った、「独裁者許すまじ」というメッセージがさらなる感動を私に与えました。
 金管楽器の存在感がこれほどに薄い演奏も珍しかったです。大量な人員を抱えるバイオリンが、大規模な物量作戦で金管を封じ込める様は、第2次大戦における、アメリカと日本の対決を音楽化したようでもあり、物足りない聴衆も多々みえたことでしょうが、私はこれはこれで妙に納得することしきりでした。コーダで弦が鳴れば鳴るほどカッコいいように思えてきました。
 ただ、金管のなかでもホルンだけは孤軍奮闘、粗めな場面もままありましたが、スケルツォのパートソロは言うまでもなく、フィナーレの提示部におけるがんばりなど普段気にならないようなあたりもしっかり音が聞こえ、それが良かったですね。
 やはり触れておきたい打楽器、銅鑼の音がベリーグッドでしたね。清流氏のシンパルも、フィナーレのクライマックスのロールの最後の最強音、きまったぁ。名古屋シンフォニアの屈辱を晴らしましたね。めでたしめでたし。
 最後に全体的な話として、テンポ設定がことごとく良かったです。基本的に中庸をいってましたが、フィナーレ冒頭の重々しさ、そしてコーダの落ち着いたテンポ感は、はるか旧ソ連を懐かしく思わせて感涙モノ。特に最後の最後、大太鼓が登場してからが重いのなんのって、弦主導のコーダのサウンドとあいまって、感動的な後味のみが残った次第。宮里先生、隠れタコファンだったのかしらん。

 まとめ。オケがテュッティで鳴った時、このオケはすごい説得力を与えている、ような気がしました。逆に個人技で凄い、というのは希薄でしたが、今回、改めて、オケが秩序だった団体プレイのうえに成り立っていることがよく感じられたような気もしました。私の所属するオケの演奏会が、秩序があまり感じられなかった故になおさら、強烈に感じられたのかもしれませんが。 

私にとってのショスタコーヴィチ強化月間の立役者的存在の一つである貴団に感謝の意を表しつつ(1999.12.13 Ms)

 

12/11(土) 鉄工場クリスマスコンサート(仮称)

 <0>私的前書き

 本日11月20日(土)の朝日新聞朝刊1面をご覧下さい。
 
「鉄くずが楽器に変身」稲沢の工場、来月職人さんたちが演奏会なる記事が写真入で紹介されています(朝日新聞東京本社による取材である)。
 何を隠そう(そんな大袈裟なものでもないが)、私の次なる大舞台がこれなのである。
 
 私の高校時代の吹奏楽部の後輩の会社で、鉄の廃材を使った楽器作りを暇を見つけてやっており、それをまとめて使ってクリスマスコンサートを、その鉄工場の中で行うこととなった。しかし、その職人さんたちは、全員楽器も触ったこと無い、楽譜も読めない。ということで、私がお手伝いして、コンサートのための曲作り、及び演奏指導、演奏協力を依頼されたと言うわけだ。(新聞の写真見ると、いかにも職人さんたちが演奏できそうに写ってるなァ。しかし、現実は・・・・。ただ、中には目覚めちゃった職人さんもいて、私の後輩の指示なしで音叉片手に一人で鉄琴の鍵盤を作ってしまったとか。埋もれていた天性の音感が呼び起こされたという訳か。案外そんな人はいるものでは。オケに聴きに来ないような人も、一度何か機会が有れば目覚めることもあるのでは・・・・とふと思う。)
 さて、使用楽器は、鉄廃材による
鉄琴2台(余韻の全く無い代物。カンカンいうだけだが)、ガスボンベの頭によるチャイム(幻想交響曲で使えるかもよ)、はりせん君(長い鉄板2枚によるむち)、マンモス君(写真を見ればわかるが、長い曲がった鉄パイプが何本も、象の牙のように突き出ているベース担当楽器。圧縮空気を瞬間的にパイプに注入することで音が出る)、巨大だがとても気持ちよい音の出るベル・ツリー、その他、音が出るものなら何でも使ってしまえ、というわけだ。
 これらの楽器のために、曲をアレンジするというのも骨が折れる作業だ。ルロイ・アンダーソンから数曲、そしてクリスマスソングをネタに30分のステージ構成をしなければいけない。2/3ほどは楽譜完成。これからは、練習練習。
 社員の身内、取引先の方ご招待で、バーベキューしながらの気楽なコンサートということで、今回は一般の方はちょっと聞けないのですが、またその報告はさせていただきましょう。

(1999.11.20 Ms)

 このところ、高速道路使って約2時間、稲沢市まで休みのたびに出かけ、上記の通り、通称「アイアン・バンド」の練習、指導に明け暮れている。曲も全て完成した。12/11の本番に向けての全体練習は今日とりあえず目処をつけ、あとは各奏者のさらなる個人練習に期待をつなぎ、本番の日を待つのみとなった。
 朝日新聞の取材もあり、また、廃物利用の環境に優しい音楽会ということで、名古屋テレビ「コケコッコ―」、日本テレビ「ズームイン朝」、NHKニュースなどの取材申し込みにとどまらず、韓国のメディアまでも、その鉄工場へ問い合わせ殺到とのこと(関東、東北、北海道では11/20の夕刊に紹介されたとのことである。)。市役所を通じての、一般からの問い合わせもバンバンかかって、会社の電話がパンク状態だったとも。
 ただ、社長さんの取り計らいもあり、演奏会当日の生中継だけは断っているとのこと。純粋な演奏会という形が保てなくなるようにはしたくないとのありがたい配慮である。ただ、今後練習風景ということでの取材は工場に来るかもしれないらしい。私は遠くで見守るしかないのだが、職人さんたちには是非とも頑張ってもらいいものだ。
 社長さんには、私のこと、
「三河の坂本龍一」(ちょっと田舎じみたネーミングだなぁ)なるニックネームなどいただき、調子に乗って私のピアノ・ソロなども演奏会で披露することと相成った。曲はもちろん「戦場のメリークリスマス」!あぁ安直な。
 しかし、感無量な感動さえ覚えるなァ。この話を持ってきた高校時代の後輩とは、高校時代から吹奏楽部の有志を集めて、有り合わせなアンサンブルなど楽しんでいたのだ。みょうちくりんな私の編曲ぐせのルーツである。そして、社会人になって偶然、ある音楽団体のエキストラでその後輩と再会を果たし、その時のトラ仲間と、その時演奏したサン・サーンスの「バッカナール」にちなんで
「バッカナールズ」なるバンドを結成。名古屋市内の公園でのゲリラ・ライブなどしたものだ。通りゆく人々に1番受けたのが、リコーダー合奏による「サザエさん組曲」、これは是非とも皆さんにも演奏していただきたい一品。興味ある方、連絡下さい。楽譜も郵送しますよ。
 そしてまた、今回、突拍子も無い企画を持ってきて、おおいに張り切っている私である。伝統にがんじがらめで、頭でっかちになりやすい交響曲メインのオーケストラ活動ばかりでは、打楽器奏者としてのアイデンティティーが揺らぐような気がし始めてきた。私の今所属する団体にあっては特に感じる。演奏する喜び、その喜びをお客さんと分かち合う喜び・・・・・なぜ私が音楽を続けるのか?その問に答える何かがこの企画に内在しているような気がしてならない。全身でこの企画に体当たりしている自分にふと気付く時、普段のオケ活動ではこんな自分を感じたことが無い、のである。自分がとても生き生きしているようにも思う。なぜだろう。
 いや、逆に、オケでもこれだけの盛り上がりを自分の中に感じていた時もあったのではないか?確かにあった。私の音楽に対する情熱は変わってないようにも思うのだが・・・・
(アンサンブル・コンサートとか駅コンとかで盛り上がって夢語り合った時期もあったね。今じゃ、めんどくさい、馬鹿らしい、そんな余裕無い、の言葉で一蹴)。そんな晴れ渡らぬ心の中、そのままに、今日の夕方は、暗雲垂れ込め小雨降りしきる帰路であった。とにかく、一度でも多く、いろいろな人と、いろいろな形で音楽を通じての交流がしてみたい。私に限られた時間は多くないはずなのだ。焦りも正直ある。だから往復4時間の音楽活動に私は今すがっている、ということなのか?

(1999.11.28 Ms)

 今日、午後6時半のNHKのローカル・ニュースで、とうとう「アイアン・バンド」がお披露目と相成った。新聞のテレビ欄にもしっかりと、「中継・鉄くずが織り成すハーモニー」と書かれているじゃないの。
 あぁ、職人さん、緊張してるなァ。ベース担当マンモス君を操る職人さん、表情も動きもちょっと固かった。オマケに楽譜見失ったちゃッた。がんばれぇ。あと1週間ないぞぉ。しかし、今夜あたりから急速に冷え込みそうだ。本番当日、寒さとの戦い。「三河の坂本龍一」、ピシッと決まるかどうか?

(1999.12.6 Ms)

 <1>さて気になる本番は?

 相変わらず、毎度毎度前置きばかりが長くてスミマセン。

 当日は、午後5時からの本番。工場内のスペースを確保すべく、午前中は皆さん仕事を精力的にこなし、全て出荷し終えて、午後からセッティング。私は午後2時会場入り。まずは、職人さん達との合わせ、練習の成果はかなり見られ、みなさんよくがんばった、という感じ。ただ、社長さんだけが、入りそこねを乱発し、爆笑の連続、すかさずTVカメラも、そんな和気あいあいさを狙っていた。冒頭1曲目のみが、職人さん主体の演奏であり、ここぞとばかりカメラは精力的に多方向からせまりくる。私は、場合によったら、冒頭でパイプオルガンの音色で荘厳な開始をするように提案していたが、みなさんに聞いてもらい、その大袈裟な(続く鉄楽器のアンサンブルとの対比が面白おかしい)開始が了承された。その経緯もカメラは追っており、「じゃぁ、オルガンいれてやってみぃ」てなことになると取材陣がわっと私に押し寄せ、私の拙い指さばきなど写しており、妙にはりきってしまった次第だ。
 とりあえず、メイン曲が終わり、私と後輩、さらにその友人と、楽譜が読める3人のアンサンブルに、職人さんの賛助が入る曲など数曲こなし、時間はどんどん無くなり、3人だけの曲は一通り通したくらいでリハは終了。さて日も傾き、本番を迎えるのみ。私も、
つなぎの青い作業服に着替え、個人史上初のコスチューム・プレイ(念のため、プレイは「演奏」という意味です)に胸ときめかせた(?)。妙にエキサイトし始め、いっちょやったるわい、という、使命感なのか、いたずら心なのか、なんだかよくわからないものの、テンションが未だかつてなく高まる。

 本番開始。狭いスペースながら70人ほどのお客さんが集まる。後ろの立ち見の人は結構つらそうだった。キャパからすれば、120%の入り具合といったところ。近所の子供達が前列を占め(社長さんの3人の子供の集客力か?)、車で遠くから見えた方もいると聞く。はるばるなんと刈谷から、アマチュアカメラマンと名乗るお爺さんも来て、なんでも事前のTVを見て、おっかけになったらしく、練習風景も撮らせてくれと、足しげく何度も通っていたらしい。キャパ120%の感動が、さらに私のテンションを高める。立ち見が出る演奏会なんてそうそう経験できないって!

 社長さんの挨拶、メンバー紹介と続いて、オープニングは「鈴の音とともにサンタクロースがやって来る」なんじゃそりゃ。そんなクリスマス・ソングあったっけ。実は、「ジングルベル」の冒頭、ソミレドソ、と「サンタクロースがやって来る」の冒頭、ソミレドソミレドをひっかけた、その2曲が渾然一体となったメドレー的なアレンジで攻めてみた。その主役になるのが、低音、パイプオルガンをイメージした、マンモス君なる楽器。そしてそれを操るのが、社内で最も若く(10代)、最も内気でおとなしい職人さんだ。今回の練習で、他の職人さん達との交流も増え、テレビの中継にも慣れ、社内でも人気急上昇となった彼、やや無表情ではあったが、けっこうややこらしい旋律をちゃんと暗譜しており、素晴らしかったです。つかみはOKであった。と思う。
 さて、続いて、主となる3人の旋律楽器によるアンサンブルに職人さんの、鈴とか、鉄製打楽器の助けを得て、ルロイ・アンダーソン特集。正直、アレンジもやたら難しかったが、演奏もなかなか困難であった。曲は
「そりすべり」「シンコペーテッド・クロック」「プリンク・プランク・プランク」ほとんど、鍵盤打楽器で旋律を受け持ったのが私である。ここ最近で、最も困難な楽譜、を私は演奏したのだ。しかし、目立ったミスもなく、速弾きも無難にこなせ安心安心。チューブラーベル的な楽器の速弾きは、前回の練習で、もろワンフレーズはずしたこともあり、気にはなっていたが本番はきまって良かった良かった。

 ここで私は休憩。社長さんの子供達による演奏。「ぶんぶんぶん」(懐かしいな)やら「あわてんぼうのサンタクロース」をやっていた。なかなかうまいものだ。小学校のころの学芸会みたいなノリだな。でも、私の速弾きなんかより、ずっと心に響くものがある。子供は特だ!なんて言っちゃァいけないが、それにしたって、子供が一生懸命、拙いながらも練習の成果を披露するという姿は、微笑ましいと同時に安心できる。
 そして、続いて、ミニチュアのハンドベル・コーナーなどがあり、お客さん(子供たち)の飛び入りも交えて、
「きらきら星」「もろびとこぞりて」を。上手くいかないのが面白い。でも、こういう経験の積み重ねの中から、音楽好きな人が育ってくるのだろうな。生活の中から、将来にまで尾を引くような音楽体験を何でもいいから得て、音楽にもっともっと様々な人が親しんでもらえたら、この世の中も、ちょっとは暮らしやすくなるのではなかろうか?素朴に、音楽をかしこまらずに楽しむ人々の笑顔を垣間見つつ、考えさせるものはありましたねえ。

 第1部終了、社長さんは太っ腹なところみせて、お客さん相手にくじ引き、プレゼント・コーナーとなる。その間にひたすら暖をとる私。なぜって。

 第2部、私のピアノ・ソロ「戦場のメリークリスマス」で、しっとり、うっとりと開始(ウソつけ!)。十八番中の十八番。まさかこんな大勢の見知らぬ人々の前で演奏しようとは。・・・・はるか昔、高校の音楽室でとにかくピアノを弾きまくってた時代があったな。夏休み、課題授業みたいなので出校しながらも、興がのっちゃって、LPをかけながらサントラの曲ほとんどをピアノで演奏してたら授業が終わってた、なんてこともあったなぁ。思い出深い「戦メリ」・・・そういや大島渚監督も久々に映画撮ったみたいだなァ・・・・ピアノを弾く私は確実に15年若返っていた。内心だけは。
 続いて、高校時代の後輩のフルートとの合わせで、当日急遽選曲した
「ウィンター・ワンダーランド」そしてグノーの「アベマリア」、これまた15年若返ってしまうな。でも、ルバートのふてぶてしさはやはり30代かな。高校時代は、もう少し品の良い解釈をしていたことだろう。

 第2部後半、再びアイアン・バンドだ。「クリスマス・メドレー」、随分前に木管5重奏用に書いたアレンジを再構成したもの。「もろびとこぞりて」「サンタが街にやって来る」「荒野のはてに」「鼻のトナカイ」と、交響曲の4部構成に倣った心憎いアレンジ自画自賛、しかしながら、諸人こぞりて街にやって来て、私は荒れ果てた末に赤くなる、この並びが妙にショスタコーヴィチ的だ、と今、感じた。ショスタコーヴィチの5番の各楽章に、この4つのサブタイトルを付けて見ても面白いかも・・・・意味不明だ!)。最後にマンモス君を使って、トナカイを演奏させる間、私が後打ちのポーズを客席に向かってちょっと大袈裟にやったら、みんなノリがいいねぇ。あっという間に会場が一つにまとまる。これですよ。この感覚を、もっといろいろな人々に味わってもらいたいな。
 続いて今度は賛美歌、落ち着いて
「あぁ、ベツレヘムよ」。鉄でできたパンパイプが主役、鉄の鐘と、私のチェンパロの音色で格調高く。
 そして、私のパイプオルガンの伴奏にのせて、社長さんの鉄琴ソロによる
「清しこの夜」。取引先の親父さん達の叫び声。「いよっ、社長!」果たしてその出来は、社長さん、2番の途中でど忘れ?綱渡りだったなあ。3度下でハーモニー支える職人さんが持ちこたえてなんとかセーフ。
 さて、最後は、改めて
「ジングルベル」同じパターンを繰り返しつつ、編成を巨大化させる「ボレロ」風なアレンジ。終わり近く3番から、へ長調をハ長調に転調するという手も使い、数少ないツールを使いつつ、単調にならないように、いろいろ苦労したつもり。最後は鐘がひたすら鳴り続けて幕。最後を締めるに相応しい大団円となりましたかどうか。すかさず「アンコール」コール・・・・。新曲はとても用意する余裕なく、メドレーから「赤鼻のトナカイ」、お客さんの飛び入りも歓迎、とまでは良かったが、実際、飛び入られて、デカイ鉄缶の類を無秩序に叩かれちゃぁ、ちょっとまずいねぇ。最低限のルールを守ってやらなきゃ、人様に聞かせる音楽にはなり得ないよ。しかし、そこか゜、素人考えの限界か。おまけに、私の後輩が、一人リピート忘れて滅茶苦茶になってしまい、聞くもおぞましい、音による暴力のようなアンコールとなったのが口惜しいいい。

 演奏会が終わっても、子供たちや、子供連れは帰らず、鉄楽器を自分達で叩いて楽しんでいた。そして、ピアノを弾かせて欲しい、という小学生低学年くらいの少女が母親とともに私のところにやってきて、「ジングルベル」のジャズバージョンをすらすらと。まずおどろいたのが、紺色のマニキュアを全ての爪にしていたこと。1曲さも得意げに弾き終えると、次々と鉄楽器をいじり始めた。ちょっと、小憎らしくも思えたので、少女の弾いたジャズバージョンを、私は即席で真似して(当然、全て覚えられないから)適当にアレンジしながら弾いてみた。少女は、ちょっと不思議そうな顔をしたが、また、すぐ鉄楽器に向かっていた。マンモス君で「ラピュタ」を演奏し始めたので、ピアノでハーモニーをとっさにつけたらこれまた、ちょっと振りかえり、また続けていた。そこまできて私はふと思った。これって、音楽によるストーカーだよな。でも、周りの人は、私が、少女の演奏に即興で伴奏しているのに気付き、4半世紀の年齢差を越えた、つかの間のアンサンブルに聞き入って感心していたようだ。楽譜のないところから、もう2度と同じ形では繰り返されない音楽が生まれる(ジャズとかはまさしくそうだ)。そんなひょっとして貴重な音楽の誕生という場を、いろいろな人に提供できたとするなら、私の音楽に関する技術はささやかながらも、有効に作用したと言えないだろうか?そして私は考えた。 

 音楽という衣をまとった時に限り、コスプレもストーカーも、健全なものに思えてきたのである(!?)。

 <2>さて気になる後日談?

 当日入っていたTVカメラは、まず中京テレビ。翌日12/13の「ズームイン朝」での生中継で、職人さんのみの演奏が全国ネットされる。その紹介の合間に、おとといの演奏会の模様ということで、映像が流れるという。てなわけで、ビデオまわして出勤、帰宅後見てみたら・・・・・・・・・、やはり、職人さん達が主役、しかし一瞬、おぉぉぉっ。約1秒、青いつなぎを着た私が、「赤鼻のトナカイ」の冒頭ソラソミの4音叩く雄姿が遠景で・・・・・。こんなことでうれしがる私は、相当ミーハーであることをさらけ出してしまったようだ。
 さらに、もう1社。インターナショナル映画。世界110ヶ国に向けて、日本の話題を5分づつくらい配信するのだとか。そのカメラマンに聞くと、以前は、この手の変わった演奏会を撮ったところ、アラブの石油王だとか、チベットの山奥の王様だとかが、それを見て招聘させた、とかで、社長さんも次の社員旅行は、楽器持ってネパールだ!と叫ぶ。その時は私も?????

(1999.12.17 Ms)

12/5(日) 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第17回定期演奏会(ファミリー・コンサート)

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 November ’99

11/21(日) 大分トリニータ J1昇格ならず

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 October ’99

10/23(土) 電子楽器テルミンとその仲間たち −ポルタメントな人々−

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10/15(金)、16(土) ラハティ交響楽団 シベリウス交響曲全曲演奏会 より 第3、4夜

 嗚呼、こんな感動的な演奏会、かつて体験したことはありませんでした。幸福な2日間でした。

 正直、言葉でくどくどと説明するのが、馬鹿馬鹿しいとも思います。この感動、聴いた人だけのものです。演奏会報告を読もうとも、同じ、ラハティのCDを聴こうとも、その感動を再現できるわけもありません。
 今回のこの文章、これを読む皆さんのため、ではなく、自分のためのメモ程度のものとして記しておきます。あの感動は、いくらここで活字を打とうとも、ぜったい再現はできないのです。残念ながら。

 全4日あった演奏会の、後半2日を私は体験しました。交響曲は後期のもののみで、4〜7番。そしてバイオリン協奏曲。交響詩「エン・サガ」オリジナル版。以上がプログラムでした。さらに多くのアンコールあり、そして、演奏前も、15日はフィンランドの民俗楽器「カンテレ」ソロのプレ・コンサート。16日は指揮者ヴァンスカによるプレ・トーク。と盛り沢山の内容です。

 そのヴァンスカ氏の最終日のトークで、心に残った箇所があります。
 最近は、アンプなどの機器によって大きな音を出す方に努力する傾向にありますが、私は、逆に小さな音をもっと大事に音楽を表現したい。小さな音の世界を広げることで、大きな音を、より大きく感じることが出来る。それ以上に、音楽の出発点は沈黙である。沈黙こそが美しい。その沈黙に近い音、音楽を表現したい・・・・といった趣旨のお話がありました(あぁ、ニュアンスがイマイチ違うような。)。
 ここで、シベリウス晩年の言葉が、ピンとくるわけです。「沈黙こそが雄弁なのです」
 その、雄弁なる沈黙に近づこうとしたシベリウスの音楽を、ヴァンスカ&ラハティは、見事に表現した、と断言できましょう。

 さらに、その沈黙に最も近い音楽を、本当に聴きたいの一心で、その弱音すら聞き逃すまいと集中する聴衆。弱奏終止する作品でも、指揮棒が降りるまでは静寂。拍手による余韻の妨害もありません。確かに、演奏中の会場の静けさあってこそ、彼らの演奏は一層際立ちます。ヴァンスカも、そんな聴衆の「聴きたい一心」がステージに伝わり、それがまた、いい演奏につながった、とも言っており、私達聴衆に向かっても感謝の言葉をかけてくれました。
 そんな、彼の言葉に表わされているように、まさに、聴衆、演奏者、そして作曲家が渾然一体と化した、史上最高の(あくまで自分史上ですが)演奏会体験でした。
  正直、この場で私の拙い文章をもって演奏会報告を書くのもためらったのですが、なんとか、書いてみましょう。
(事実、今日は旅の疲れもあり、東京で買ったCDなど聴きつつボーッと暮らしていたが、ネット上のコンサート報告、そして「NORDIC FOREST」のページの小林さんのコラムなど読むうち、火がついて、日も落ちた頃より画面に向かった次第。小林さんのコラムこそ必見。リンク一覧からどうぞ
余談だが、今回の上京で入手したCD、ヴォーン・ウィリアムズの作品で、個人的に彼がシベリウスに献呈した交響曲第5番と素材の関連性があるという劇音楽「天路歴程」が、旅の疲れを癒してくれ、パソコンに向かう気力を与えてくれたことを付記する。)

 15日、第1曲は、交響曲第4番
 いきなり、最も苦手な作品。彼の交響曲の系列のなかでも異色、である。旋律的な要素が乏しく、断片的で、理解しにくいものである。オーケストレーションも薄いところが多く、彼の音楽の一側面、男性的といおうか、たくましさがまるっと欠落しているようだ(個人的には初期シベリウスを好む私としては、最も苦手というわけ。一般的シベリウスファンからすると邪道かなあ。)。期待というより、もの珍しさが先に立った、という感じ。
 そんな勝手な先入観のもと聴き始めたのだが、意外と、オケとしては、技術的にはそれほど上手くはないと感じた。やはり、木管の音程の不安定さが気になるところあり、こんなものかな、とも思った。しかし、弦の統率は素晴らしい。
 曲自体の印象としては、第3楽章に最も深く感銘を受けた。ここもまたとてつもなく断片的な音楽だが、終わりも近づき、主題が弦によって息も長く、幅広く歌われるクライマックスを迎えた時、感情が揺さぶられた。悲しげな旋律が、高く高く登りつめ、明るさを見出そうかという瞬間、その頂点から一気に崩れてゆく・・・・・シベリウスを聴いているのでは無いようにすら感じた。彼につきものの「自然」とか「宇宙」とか・・・・そんな次元ではない。人間の感情の動き、これが全面に出ているように私は感じた。ショスタコーヴィチ(毎度毎度登場してすみません。どうしても彼の音楽との比較、という観点で曲を聴いてしまうのです。)の、ヴァイオリン協奏曲第1番第3楽章とか、弦楽四重奏曲第3番第4、5楽章とか、と同じ世界を私は感じた。
 クライマックスの築き方、という点では、初めてアダージョ楽章で全合奏が現れる交響曲第15番でのインパクトに近いものも感じた。「死」と向き合った人間の叫び、そんなことを感じながら、曲は第4楽章へと進み、ショスタコーヴィチの交響曲第10番プロコフィエフの交響曲第6番のフィナーレと同様、先行楽章の重苦しさを払拭できない軽軽しいフィナーレに妙に納得し、そのわざとらしさに耐えられなくなったところで、金管打の鉄槌が落ちて、曲はもがき苦しみながら徐々に収束、短調へと転換、しかし、悲しみを必要以上に主張するわけでもなく(チャイコフスキーやマーラーの短調終止とは明らかに異質)、あっけなく終わる。といったプロセスが、「自然」的ではなく「人間」的であることに気付き(曲解し)、第4番に対する意識がかなり変わったものとなった。
 特に、フィナーレでは、金管、そしてティンパニがかなり目立ち始め、こじんまりとした偽古典的な、といった今までの曲に対するイメージを変えさせた。弦の弱奏における沈黙への接近、そして金管打の容赦無い強奏、そんなダイナミックレンジの驚異的な広さを誇るオケ故に、私も苦手な4番が克服できたのかもしれない。
 そんな個人的事情もあって、なんだかいつもの通り、長々と余分なことまで書いてしまいました。やはり、私はまだまだ「雄弁なる沈黙」には程遠そうだ。「貧困なる饒舌」・・・・あぁ最悪。政治家にありがちか。

 休憩をはさんで、交響曲第6番
 これはまずまず好きな作品で、おおいに期待をして望む。冒頭の夢見心地な、ふわーっとしたメルヘン、ファンタジー的な世界・・・・・。やはり、いいなぁ。音楽が速まって、木管がハープの伴奏に乗って(個人的には、柄にも無く、「シンデレラの馬車」を想起するのだが。あぁ恥ずかし。)軽快に動き出すあたり、うーん、ちょっとがさつな印象も受ける。それとは逆に、ハープはもっと聞こえて欲しかったな。
 スケルツォの速さには目が回りそう。彼の演奏、速いところはやたら速い。オケも大変そうだったが、最後は大音響でねじ伏せた、というところか。
 フィナーレの冒頭の交唱も素敵なところだ。もう少しゆっくりの方が好きだが、CDで予め知っていたので諦めて。中間部分で何回も同じ主題が繰り返されつつ、オーケストレーションが複雑になってゆくあたり、ティンパニの激しさが私のイメージとはかけ離れてはいたが、気に入った。6番も4番と同じく、あまり興奮する類の曲ではないと思ってはいたが、見事に裏をかかれた。その野蛮ですらあるクライマックスを受けて、冒頭の交唱のリズミカルな再現(管と弦の役割が交代しているのは何か理由があるのだろうか。人間の宇宙への送信、さらに宇宙からの人間への受信、と想像してもみたがあまり説明になりそうも無い)を経て、切々と弦の歌うコーダのなんと美しいことか。夢のような一時はあっというまに過ぎ去って行った。

 最後に、交響曲第7番
 前2曲は、実演は初めてだったが、7番はおかげと何回か生で聴いている。演奏頻度は当然高いだろう。オケも最も余裕をもって演奏できたのではないか。複雑なオーケストレーションも見事整理されており、シベリウスの繊細な音世界を堪能するのに十分な出来であったように感じた。
 始まって程なく、ビオラ、チェロの歌う聖歌が感動的だった。それを導くフルート、ファゴットによる下行音型でファゴットが半音間違えて、ガクッとこけてしまったが、続くビオラは動揺無く良かった。かなりゆっくり目で、幾分弱く入り、少しづつ確信を持ち、徐々に徐々に厚く響き渡り、そしてトロンボーンの朗々たる主題へと受け継ぐ、そのプロセスは素晴らしい。そして、そのトロンボーンも、オケの織り成す波打つような背景から完全に独立することなく、しかし消え去るわけも無く、絶妙なバランスで、そして音色で私の耳をとらえた。トロンボーン主題の再現は2回とも感動的であった。特に最後の再現の部分では、最初、弦がかなり控えめに背景にあったが、どんどん増殖し、ついには前面に立ち現れ、そしてついに私達を包み込んでしまうようにすら感じた。低弦が人数不足と見たが(ベースは5人)、うねるような半音階スケールも満足。最後の、金管和音のクレシェンド、デクレシェンドの大波の後に来る、弦のシードー、という終止も気持ちよくきまった。
 私としても、最も安心して聴けた。こうして、4、6、7と並べてみると、どんどん世界が明るく、広くなっていくのがわかる。精神衛生上もなかなか良いプログラミングだったのではなかろうか。
 しかしながら、日本のオケがやっても、充分な練習期間もなく本番を迎えるというスタイルでは、これだけのレベルの演奏会にはならないのだろうな。曲に対する理解、愛情、それに裏打ちされてこその快挙だ。多少の技術的な難点など、最終的にはそれほど問題にならなかった。
 来て良かった。聴いて良かった。これが偽らざる感想だ。

 アンコールは、事前にあれこれ詮索したが、やっぱり、というのは、まず演奏された「悲しきワルツ」。現行版の方で安心。原典版は、違和感があるし。しかし、驚異のピアニッシモ、ここに極まれり。聴衆も緊張を強いられる。その緊張が解かれた時、初めてフルートが現れ、晴れやかな旋律が歌われるというわけだ。とても気持ち良かった。
 もう1曲、「ぺリアスとメリザンド」から間奏曲は、軽快に飛ばしてくれた。アンコールピースとしても適度な長さ、内容でいい感じ。また機会があれば取り上げたいな。この夏、ドイツでスコア買ったことだし。

 アンコールが終わり、客席が明るくなっても拍手鳴りやまず、オケが全部引っ込んだ後、ヴァンスカが一人舞台に出て、全身でその拍手を受けとめ、深々と礼をし、そしてコンサートは幕、となった。1曲1曲、終わるごとに拍手鳴りやまず、そんな、聴衆の節度ある熱狂も演奏会をいいものにしていたと思う。シベリウス・コンサートらしい熱狂だ。ショスタコーヴィチの場合は、これほど(聴衆も)節度はない。
 なお、第四日のみ、皇太子夫妻がみえていたようで(3階席の私は、何が起こっていたかわからなかったが)、本日みえた辺り、なかなか通なのかな、と思った次第。皇后もシベリウスのピアノ作品を愛奏されているというエピソードもあったし。シベリウスと日本の皇室も、縁ある性(さが)というわけか。
 てなわけ(どんなわけだか)で、最終日は、「エン・サガ」原典版より始まります。ちなみに、ビオラを演奏される皇太子殿下、ビオラ独奏の無い「エン・サガ」原典版はお嫌いだったのでしょうか、おみえにはならなかったようです。

近日中に続きは、また。

(1999.10.17 Ms)

 第4夜については、私の心にそっとしまっておこう。ただ、交響曲第5番はかつてない感動を私に与え、また会場全体もそうであったことだろう。ねばるようなフィナーレの後半、終わりが近づくにつれ私の中に、「この幸福よ、終わらないでくれ。」といった感情が高まる。こんな気持ちにさせた演奏がかつてあっただろうか。そして最後の和音、説得力ある、雄弁なる沈黙。
 「エン・サガ」原典版の興味深いオーケストレーションは生演奏でこそ楽しめた部分も多い。バイオリン協奏曲はソロがいささか曲芸じみたものだったがご愛嬌ってところか。アンコールも盛り沢山であったが、やはり圧巻は最後の「フィンランディア」。ちょうど100年前のフィンランドでの熱狂を彷彿とさせるような演奏でもあり、その雰囲気を観客も感じ取っていただろう。今年最高のステージを終えるにふさわしい感動に満ちあふれたもので満足することしきり。
 またいつか再会を望みたい。

(1999.12.26 Ms)

 

10/13(水) デンマーク音楽祭 

  今年、5月のトピックスでも紹介しましたが、愛知県の安城市は、「日本のデンマーク」と呼ばれる農業の盛んな地域です。
 その安城市にて、このたび、デンマークより、弦楽四重奏団、ピアニストを招いて、デンマーク音楽による室内楽コンサート(安城市HP参照)が開催されます。

 そこで演奏される、ニールセンの弦楽四重奏曲第1番作品5、を聞いてみたら、なかなか良い曲でしたのでちょっと興味を持った次第です。しかし、その他の曲目が・・・・・

 ハーメリック(1843−1923) コンチェルト・ロマンス

 ハイセ(1830−1879) ピアノ五重奏曲

 はてはて、どんな曲なのだろう。ニールセンの親の世代か・・・。ロマン派にどっぷりつかった、シューマン、メンデルスゾーン風な作風かなぁ。
 そこで、これらの曲を愛聴されている方、もしくは、聞いたことのある方、どんな作風なのでしょう?どんな感想をお持ちですか?
 教えていただければ幸いです。その情報を基に、聴きに行くかどうか考えようと思います。

 しかし、途中、琴による演奏がはさまれるとは言え、オール室内楽、おまけに観客のほとんどが始めて聴くであろう曲ばかり、かなり冒険したプログラムだとは思います。がんばれ、安城市、将来は、デンマークからオケ呼んで、ニールセンの交響曲チクルスを企画してくれませんか?

(1999.9.18 Ms)

デンマーク音楽祭、なんとチケット完売。決断が遅れたため、行きそびれてしまいました。あぁ残念。しかし、恐るべし安城市。このプログラムで満員か。この調子なら、ニールセン交響曲チクルスもいけるぞ。(1999.10.10)

 

10/9(土) ミルト・ジャクソン 逝去

 ちょうど、私が下記の記事の通り、ヴィブラフォンの演奏に感激していたその日、ヴァイブ界の大御所が死亡した。
 ミルト・ジャクソン、享年76歳。モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)のメンバーとしても有名であったが、私にとっての「ヴァイブのバイブル」は、MJQとは別に、彼個人をフューチャーしている、1955年録音の
「OPUS DE JAZZ」(オパス・デ・ジャズ)である。
 ピアノ、ベース、ドラムをバックに、ヴァイブとフルートがソロとして絡み合う、とても洒落たコンセプトの作品。サウンドもライトで可愛らしささえ感じる。大学時代、偶然レンタルCD屋で手に取り聴いてみて、一発で気に入った。そして、びっくり。聞き覚えのある曲が・・・・・
 実は、TBS系の名古屋のローカル局、CBCの番組終了時に、この「OPUS DE JAZZ」に収録されている、「You Leave Me Breathless」の冒頭の超カッコイイ、ヴァイブのソロが流れていたのだ。高校時代、受験勉強で夜更かししていた頃、気分転換に、または、寝る支度をしながら、この一節をよく耳にしたものだ。そんな、懐かしさもあって、この作品はお気に入りとなった(今、流れているかは未確認)。
 打楽器のエキストラ出演における鍵盤打楽器対策もあって(鍵盤の練習はやはり、本物の鍵盤で練習したいし)、社会人となって早い時期に私はヴァイブを購入した。その決断の背後には、このミルト・ジャクソンの演奏があった。

 そして、今、ヴァイブは実家の倉庫の中。演奏で使う機会もなかなかやってこない。
 ジャズのアドリブにも挑戦したいが、あぁ、そんな夢への実現には、なかなか近づかない(自分の勉強不足)。
 彼のことを忘れてしまい、そして、ヴァイブのことをひさびさに思い出したその日、彼は亡くなった。
 私の目標とすべきミュージシャンの一人として、これからも私の中では生き続けるだろう。冥福を祈ります。

10/18朝刊にて訃報に接す(1999.10.25 Ms)

10/9(土) 猪俣猛 VS 和泉正憲 打楽器アンサンブルコンサート 「大地の鼓動」 

 打楽器をたしなむ私としては、こんな企画があればついつい遠かろうと出かけてしまう。今回は、岐阜のサラマンカホールまで、初遠征。
 世界的ジャズ・ドラマーの猪俣氏率いる、ジャズ軍団(ドラム、パーカッション、ヴァイブ、ベース、そしてマリンバ)と、名古屋フィル首席の和泉氏率いる、いわゆる打楽器アンサンブルとの、対決、そして競演。打楽器アンサンブルの、現代音楽的アプローチをマスタベーションと一蹴する猪俣氏のプログラム上の言葉そのままに、難しいところの全く無い、ノリノリの楽しいコンサートとなった。
 ただ、個人的には、いわゆる打楽器アンサンブル(タイコ類だけの)は、やはり物足りなく感じてしまう。スピアーズ(懐かしい!ブラスの作曲家だ)の作品も、中学生用っぽくて鑑賞には耐えられず。
 それに引き換え、ジャズ的アプローチの猪俣作品の数々の素晴らしさ。特に、ヴィブラフォンが圧巻。常に片手2本づつマレットを持ち、恍惚的すらある神がかりなアドリブ。そう言えば、私もヴァイブ持ってるんですよ。あぁ、やりたい。一気に火がついた。
 メキシコ公演の為に書いた、「ウン・ポ・キート」は、観客に手拍子のみならず、歌でも参加させ(恥ずかしがりやの客が多かったが)、嬉しくなってしまう。前田憲男氏との共作「モーニング・アフター」は、一転して癒し系の美しい作品。ヴァイブの歌にグロッケン、チャイムも絡むあたり、気に入った。ブルーベックのジャズナンバー(?)のアレンジ「ブルーロンド・ア・ラ・ターク」は、3/4+3/8の変拍子的な(バルトークすら思わせる)パターン、そして部分的にスウィングが挿入され、曲の完成度も高く、カッコイイ。
 最後に、私が中学の頃、バンドジャーナル誌の付録として知った「大地の鼓動」から「自由への戦い」。学生のアンサンブル・コンクールでもよく知られたこの作品、人数に物言わせ、編成を大きくしたこともあって、かつ、猪俣、和泉両氏始めパワフルな熱演に、今まで自分の抱いていたイメージを覆すほどのスケールの大きさ、深さを感じた。イスラエルでのベドウィンとの交流から生まれ、戦争を乗り越え、生きてゆくたくましさを表現したかったという、作曲者本人の思いを聞いたからこそでもあるが、演奏会のトリであり、メイン・テーマにふさわしいものであった。

 しかし、ドラムス対ティンパニという図式は、冒頭のグッドマン(ニューヨーク・フィル首席ティンパニ奏者)の「ティンピアナ」、そしてアンコールの、猪俣氏のドラム・スクール用の練習曲のアレンジの2曲で実現されていたが、トータルの印象としては、結局、ヴァイブ始め、旋律楽器の方に傾いていた。やはり、打楽器アンサンブルと言えども、旋律的要素は不可欠ということか?
 オマケだが、和泉氏、アンコールでバチを飛ばしてしまうというハプニングがありましたが、とっさに予備バチに持ち替え平然と乱打を継続。プロたるもの、さすが。

 さて、今回のコンサート、私に明日への活力と指針を与えてくれた。
 オーケストラのみならず、打楽器そのものを中心に据えて音楽活動したい。中絶したままの、打楽器アンサンブル計画の再開を決めた。人前で演奏する機会も当面無い。が、長い視野で、ゆっくりと継続して行こうと思う。一緒に聴きに行った先輩が、比較的恵まれた環境でオケをやっているとのことで、練習会場、楽器の手配はつきそうだ。とりあえずは、大袈裟にせず先輩との練習会を来年あたりから始めようと決めた。オケの数少ない出番を待ち焦がれ、ひたすら休符ばかりを数えてばかりで、休日をとられてたまるか。もう、貴重な休日なんだって。有効に練習をしたいな。追われるのも嫌だが、今の自分、待っていただけじゃないか。オケの中で待っても、待ち人来らず、過剰な期待は慎むべし。オケはオケで、気楽に構えよう。私の本当にやりたいのは「打楽器」だ、と久々に感じつつ、岐阜を後にした。

 なお一方、まだ詳細は未定だが、高校時代の後輩の紹介で、楽譜も読めない人達も加わっての、手作り楽器によるアンサンブルの企画が現在進行中。プレイヤー、そしてアレンジャーとしてその企画に参加することとなった。その企画も、いつか紹介したい。飢えていた私は、すぐさま飛びついたと言うわけだ。楽器がホントに出来あがるかが不安だけど・・・・・。

(1999 10.10 Ms)

 September ’99

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