今月のトピックス

 

 July ’99

7/25(日) 名古屋シンフォニア管弦楽団 第35回定期演奏会

 このコーナーで、初めて、私自身が出演した演奏会を触れることとなります。日頃えらそうなことばっか書いてますが、自分に対しても厳しくいきたいところ・・・・。

 なお、この項のどこかに、賞品つきの愉快なクイズが用意されていますのでお楽しみに。

<1> 前置き

 シンフォニアさんとは、この2,3年の断続的なおつきあいですが、組織運営が、私のオケとは比べものにならないほどしっかりしており、常に安心して練習、本番に臨むことが出来ます。とても嬉しいことです。いつも、ありがとうございます。
 そして、大曲、秘曲の類も取り上げられ、打楽器奏者としては張り合いも出てきますし、聴衆としてもいつも楽しみです。 
 過去においては、ベルリオーズの「幻想交響曲」の第1大太鼓、デュカの「魔法使いの弟子」のティンパニ、シャプリエの「スペイン」の大太鼓などなど、経験させていただきました。特に、盟友、清流氏と組んだ、
「幻想交響曲」の邪悪なるバスドラムは、忘れられない思い出です。正気の沙汰とは思えない演奏、なかなかあんな体験はできないものです。
 さて、今回は、メインの(待ってました)
ショスタコーヴィチの交響曲第5番の、鍵盤打楽器とトライアングルということで、内心、おおいに盛り上がっていた次第。
 私個人としては、某地方オケで、鍵盤と大太鼓、それに加えて、チェレスタなしのため、チェレスタ・パートまで鉄琴で演奏した、という盛り沢山、超オイシイ経験がありましたが、何せ田舎の高校のOBオケ的な団体で、あまりにオソマツな演奏、心残りも甚だしいものでした。
 今回は、実力あるシンフォニアさんでの演奏、練習の日が楽しみで楽しみでしょうがなかったのです。
 ただ、スケジュールの都合上、実質1週間前からの合流となってしまい、練習不足なのがまず、心残りではありました。さて、本番の出来は・・・・。

<2> 我が反省の弁

 鍵盤打楽器(主に木琴)のパートは必ずしも、難しいパッセージはありませんが、なかなかタイミングの取り辛い箇所があります。
 最大の難所は、第1楽章のクライマックスに向けて、リタルダンドするところ。練習の時から何度も、指摘、注意されたところでしたが、本番までに結局、自信持って叩けるところまでいけず、本番も恐る恐るの状態、そして、最後は一発ミスタッチ、あぁぁ、と意気消沈したのでありました。しかし、何とかそのショックを引きづらずに次に行けましたけど。
 そして、第3楽章のクライマックス、指揮を見ながらというのは結構怖いところ。ただ、本番はおかげと無難にはまりました。

 さて、こんな話じゃぁ、低レベルな訳で、我々打楽器奏者たるもの、もっと深き所へ進まねばなりません。
 
音色。これこそ、命。その点では、自己評価、不合格。
 東京にて、エクストラ・ハードのバチを購入、そして、楽器はコオロギ(4オクターブ)、名古屋フィルのいい楽器だ。これで、鬼に金棒、とくるはずが、なかなか自分の思うところの音色に鳴らない。というか、楽器の鳴らし方、という根本的なところでダメなんだなぁ。
 指揮者の江原先生は、打楽器の音色に関しては、かなり細かい、と言おうか、しっかり聴いている(最近私はそういう指揮者と出会っていないので緊張します)。練習の休憩中も、さかんに打楽器のあたりにやってきては、指示を出したり、実際に叩いたり。なかなか先生の指示どおりにもいきませんでしたし、自分のイメージにも十分近づけなかったのが残念です。
 特に、第1楽章のクライマックス、そして、駄目押しの(ドラがなる直前の)4つの音。第4楽章の同音連打。もっと衝撃的な音が出せたはずだ。
 第2楽章後半の旋律、もっと歌って、道化なおかしさを全面に出したかった。
 第3楽章のクライマックス。もっと余韻の豊かな深い音、特にクレシェンドする最後の3つの音。
 あぁ、ハードルが高かったのかもしれない。ただ、好きな曲だけに、もっと理想に近づきたかったのだ。
 
31歳のショスタコーヴイチの叫び・・・・、嘆き・・・・、そして(悲しげな)笑い・・・・。
 完全に今の自分と一体化できる音楽がそこにある。しかし、それが表現しきれない、もどかしさ。
 ただ、ここまでこだわりを持って楽曲に臨んだことは、最近ではなかったことです。まして、皮膜系の楽器(ティンパニ始めタイコ系のモノ)に比べ、木製、金属製の楽器の方が、音色の違いが明瞭に分かるが故の悩みでもあったのだ。(最近は私の担当はティンパニばかりで、かつ、打楽器への注意が「音デカイ」ばかりで、その辺のシビアさから遠くなっていたと言うわけか)

 でも、実は、愛知県芸術劇場コンサートホール、木琴の音の伸びが絶品だ。オケの他の音の余韻が全て無くなった後まで、木琴だけが響いている。この感覚、ものすごく心地よい。打楽器奏者の皆さんにオススメしたい。是非、芸劇で木琴のある曲やるべきだ。
 自分の生み出すサウンドの命、を強烈に体感できる。
 そして、自分の生み出すサウンドへのいとおしさ、が醸成される。
 広い空間を泳ぐ、自分の音の存在に、きっとあなたも何かを感じることだろう。これは、オケにあっては、打楽器奏者のみに許される特権かもしれない。

 結局、自分としては不満がかなり残りましたが、演奏について思案しながら充実した日々を送ることができ、また、会場では格別な体験もさせてもらえました。そして、何よりも、ショスタコーヴィチの音楽と自分が一体になれたこと、(もう、こんな機会私にはそうそうありませんので、)感激でした。
 シンフォニアさん、ありがとうございました。私を呼んでくれた打楽器パートの皆さん、ありがとうございました。

<3> 選曲の妙

 いきなり、自分のことばかり書き連ねてしまい、申し訳ございません。ただ、オケ関係者以外の方には、案外、こういった裏話、おもしろいのかもしれない、と言い訳しておきます。
 でも実は、オケの人達も、打楽器の連中は脳天気に暴れてるだけだ、としか思ってないかもしれませんので、一応、人一倍、頭を使って演奏しているんだ、ということ、認識していただければ幸いです。

 さて、コンサート全般の話へと進みます。
 今回のプログラムは、

 ヨハン・シュトラウスU世 喜歌劇「こうもり」序曲
 ウェーバー         バスーン協奏曲
 ショスタコーヴィチ     交響曲第5番

という取り合わせ。何だか、まるでバラバラな曲の寄せ集め、と思うでしょう。いやいや、これが、なかなか面白い取り合わせだと思いませんか?

 ショスタコーヴィチの音楽の特徴として、舞踊性、生き生きしたリズム感、を挙げていいと思います。
 バレエ音楽、そして劇音楽、映画音楽・・・・、彼の生涯を通じて、ワルツ、ポルカといった通俗的な舞曲風なパッセージはあらゆる場面に登場します。交響曲にも、そんな(交響曲という分野にふさわしくない)気楽な、不真面目な舞曲が顔を出しています。ただ、この5番は、最もそれらの舞曲が登場しない交響曲
(その一点を持って、この作品が、大真面目、仮面を付けた作品と言えるかも)ですが、ショスタコーヴィチを語る上で、欠かせないワルツ、ポルカを全面に展開した、シュトラウスの作品が、まずコンサートの冒頭に来ると言うのは、ショスタコーヴィチの音楽を聴く準備としては、悪くないな、と思いました。
 蛇足ながら、せっかくなら、ポルカ(ギャロップ)風フィナーレの6,9,10番などがメインならば、文句無し、ですね。
 さらに、バスーン協奏曲について。
 ショスタコーヴィチのオーケストレーションの特徴として、
管楽器のモノローグ(独白)の愛用、を挙げる事が出来ます。第3楽章の中間部が最も目立つ部分ですが、それ以外にも、随所に登場します。ただ、この第5番、バスーンのモノローグが物足りないようです。長めのソロとして、第2楽章の再現部、これまた印象的なのですが、本来のショスタコーヴィチなら、弱々しい、深刻な悩みを抱えたバスーンの長大なソロをどこかに書いています(第3楽章の中間部も木管ではバスーンのみ独奏が回ってきません)。
 それはさておき、管楽器による協奏曲は、案外、メインのショスタコーヴィチに似合ったサブといえるでしょう。特に、バスーンがお似合いです。そして、バスーンの音色に十分慣れた上で、ショスタコーヴィチに臨むのもなかなか粋なはからい、と言えましょう。
 蛇足ながら、せっかくなら、バスーンソロの目立つ8,9,10番などがメインならば、文句無し、ですね。

 ようは、今回の演奏会(全体が)、広く皆様に、ショスタコーヴィチの音楽に親しむべく仕組まれたプログラム、という色彩を強く感じたのは私だけでしょうか(だけでしょう)。通俗的な、ワルツ、ポルカ、そして、普段耳慣れないバスーンの響き、もう、これらを聴けば、ショスタコーヴィチを鑑賞する下地、伏線はばっちり用意されたというわけです。そして、最後に5番を鑑賞、圧倒的なフィナーレに心奪われた聴衆が、さらなるショスタコーヴィチ体験へと冒険する時に、シュトラウスと、バスーン協奏曲の経験が役に立つと言うわけでもあります。
 ショスタコーヴィチの交響曲第5番、日本初演50周年の記念YEARにふさわしい、
日本におけるショスタコ受容促進の演奏会・・・・・・きっと、こんなことを感じたのは、あのコンサートホールの中でも私だけなんだろうな。(いつの間にやら、コンサート自体も曲解し始めてしまった!!)

<4> トライアングル奏者が、三角窓から見たものは・・・???

 今回の演奏会、指揮者と奏者との間の意思疎通不足を感じる場面が、かなりあったように感じました。特に、「こうもり」の自由なテンポのゆれ、そして、ショスタコーヴィチの興奮するアッチェレランド、指揮者とオケのずれに、エキストラの私は、とまどう場面もままありました。しかし、客席でその不安定さが聞き取れていたかは不明です。得てして、舞台上の事故も客席では露骨に感じられないという傾向はありますし、些細なことかもしれません。

 さて、その他の感想として、
 「こうもり」は手堅くまとめた、という感じ。この曲の小太鼓は、つい3月にも自分のオケで演奏してますし、学生の頃からよく演奏の機会がありましたので、音楽が流れれば、自然と腕が動いてしまいます。今回はなかなか気持ちよく演奏できました。かなり目立たないように、隠し味的な狙いで演奏してみましたが、果たして、どうだったのでしょう。(あくまでも、私の演奏のわりには目立たない、という意味ですので念のため)

 バスーン協奏曲、未聴でしたが、もろ古典派の明るい作品。ティンパニのリズムに先導されて行進曲風に出てくるバスーンソロは、なかなかその楽器に合ったキャラクターで、おもわず微笑がこぼれそうです。ソリストは、サイトウ・キネンの首席、小山昭雄さんで、そのテクニック、表現能力はさすがです。3オクターブの音域全て使いまくる難曲ですが(ウェーバーの時代に、もう「春の祭典」冒頭の高さまで音域が開拓されていたのだろうか?)、余裕の貫禄を見せつけ、バスーンの音色にウットリ!(そう感じることは始めてのことでしたが)でした。

 ショスタコーヴィチは、勢いだけに任せず、緻密に積み上げていったあたり、好感を持てる演奏だったと感じました。すべての指示を着実にこなせたとは言えませんが(特に第1楽章前半の弦楽器の事細かな歌い方、モチーフごとのキャラクターの変化など、もっと先生の指示を大事にしていただきたかった、と感じました)、結果としては満足です。特に印象的だったのは、終楽章のコーダで、弦、木管がすべて、ラの音の8分音符の連続になったところで、金管の重ならない部分でクレシェンドを指示されたことです。こんな細部にまで、音楽的な配慮を見せたあたり、私は新鮮に感じました。
 わが、打楽器パートも、随所で細かなミスはありましたが、短期間のわりにうまくまとまったかな、と思います。その辺は、清流氏のページで触れられていることでしょう。(最初に予告したクイズもそちらでご覧いただけます

 最後に、この章のタイトル、トライアングル奏者が、三角窓から見たものは・・・???

 舞台最上段、フィナーレのコーダで、初めてトライアングルを構え、目の高さに楽器を持ち上げて最強音のトレモロを連続して演奏していた私。
 そのトライアングルの三角形の中に、指揮者がいる。そして、その周りにふと目が行くと、
マスゲームをする北朝鮮の人民の如く、数多くの弦楽器奏者たちの画一的な動作があった。
 さらに、横目で、最上段中央に位置する圧倒的権力を誇るティンパニ、そしてそれを称える一段下のファンファーレ部隊、そして、また再度、下を見下ろすと、宮殿のベランダ(?)から群衆を見下ろす
ルーマニアのチャウシェスク大統領の演説シーンがだぶってきた。いつのまにか私も共産党最高幹部のひとりになっていた。
 打楽器と、金管だけが、自由に音が動ける。その他大勢は、物言えぬ民、一つの音しか許されない。それもひたすら、みんな一緒に音を並べるだけ。
まるで強制労働じゃないか。
 私が、三角窓から見たもの、それは、
全体主義国家における独裁者と民衆。その関係が、リアルに音楽化されていたことに気がついたのだ。

 スターリン独裁時代のソ連が、北朝鮮のモデルとなった。金日成との出会いがあって、かつて、ルーマニアは独裁体制を確立した。
 ショスタコーヴィチの音楽は、全体主義の悲劇に対する警鐘なのだ。未だ、その警鐘が鳴り止むことはない。

 演奏に戻るなら、指揮者は、その単音の連続にまで、音楽性を吹き込ませようとした。自由のない音符たちに命を与えようとしたのだ。
 必ずしも、金管、打楽器だけに花を持たせず、強制労働にあえぐ一般民衆にも音楽を主張させたのだ。
 ひょっとして、これがショスタコーヴィチの望んだ演奏なのかもしれない。そう思うと、今さらながら感動を覚えずにはいられない。
 (実際スコアには、共産党幹部にはフォルテ2つ、一般民衆にはフォルテ3つが割り当てられている)

 今回、私の見た幻想は、曲に対する新たなる発見でもあった。この体験を与えてくれた、名古屋シンフォニア管弦楽団さんに、再度御礼申し上げ、「曲解」にまみれた、演奏会記録の筆を置かせていただきます。ありがとうございました。

ショスタコーヴィチ強化月間まだまだ続くぞ(1999.7.31 Ms) 

 

7/22(木) 祝!か、蹙!か。 日本国国歌制定(国旗国歌法案、衆院通過に思うこと)

 「君が代」が我が国の国歌に正式に決定する見込みになったことに対して一言書いておこうと思います。
 あくまで、「歌曲」としての「君が代」についてです。歌詞の意味するところ、成立過程、受容の歴史、などについては触れません。

<1> 歌詞と旋律のちぐはぐな関係

 日本歌曲の大御所的存在、中田喜直氏(「めだかの学校」、「雪の降る町を」などの作曲家)(当コーナー、’99.5月でも登場)の指摘を待つまでもなく、歌詞の長さと、旋律の長さの不釣合いが、「歌曲」としては、致命的欠陥といえましょう。中田氏はこの国歌の題名を、その著作の中で「君があ用は」と記していますが、とにかく歌詞が伸び伸びで、歌詞が、日本語として理解できなくなるような旋律が付曲されているわけです。
 また、日本語の持つアクセントと、旋律の音の高低の不一致も気になるところです。冒頭の「君」は、
レ−ド、という音の動きですが、「きみ」は発音すればわかるように、上昇する音程を必要とします。この歌曲で、最も重要な意味を担っていると思われる「君」という言葉が、日本語として正しく歌うことができない、とするなら、私はこのレ−ドという音の動きは、「君」に対して礼を失するのでは、と考えるのですが。(「君」が何を意味するかは別にしても)
 私個人の記憶としては、小学校入学時に始めて「君が代」を意識したように思います。ただ、その歌が何なのかはわからなかったのですが。記憶に残っていることは、まだ、歌ったことのない、未知の曲であったこと、旋律が全く認識できなかったこと、歌詞が認識できなかったこと、お坊さんの唱えるお経なのかな、と思ったことくらいです。当然、歌詞は平安時代の古語ですから、現代人はすぐ理解できないでしょうが、古語を理解する平安人でさえ、始めてこの歌曲を聞いて、さて意味がわかるのでしょうか?百人一首の和歌の読み上げも、音が伸び伸びですが、ここまで逸脱しているでしょうか。「君が代」の歌詞を百人一首的に歌ってみても、この旋律とは全然違ってくるはずです。

 そこで、一つの試みとして、この歌詞に、違う旋律を付けてみましょう。ここではショスタコーヴィチに作曲依頼をしてみました。若い頃、妻となるニーナに「日本の和歌による歌曲」を捧げているくらいですから、うってつけの人材です。
 そうしたら、なんと、彼の代表作、オラトリオ「森の歌」の冒頭の一節が付曲されてきましたので、紹介します。ここでは、楽譜を掲載できませんので、もとの歌詞(日本語訳)と併記しますので、想像してみてください。

「君が代」の歌詞     「森の歌」の歌詞     
君が代は いくさは終わ
千代に八千代に り告げ、喜び
さざれ石の の春来ぬ
巌となりて 楽し勝利の日よ
苔のむすまで 歌は地に満ちて
  花火空を飾る

 多少の説明が必要ですね。「森の歌」の歌詞のほうが、1行多いのですが、「森の歌」の旋律に乗せて、「君が代」の最後の「苔のむすまで」がリフレインされる仕掛けになっています。この付曲で素晴らしい点は、前述の「君」のアクセントが正しくはまっていることをまず挙げねばなりません。そして、「喜びの春来ぬ」の部分でハ長調から変ホ長調ヘという異次元への跳躍を思わせる広々とした表現があり、まさに、「千代に」が「八千代に」と永遠性、継続性を強調するところでの転調は、さすがです。また、「巌」の「いわ」が(この旋律で唯一の)オクターブ上昇で緩やかに歌われるのも、細かな石が少しづつ集合して巨大な岩石にまで成長する、そのスケールの大きさを思わせ、感嘆してしまいます。
(お断りするまでもなく、フィクションです。)

 歌曲としては、こちらの方が完成度が高い、といえるでしょう。音楽的観点からみれば。
 しかし、日本の国歌が、旧ソ連の作曲家の作曲で、また、完全に西洋の音楽語法で作曲されるのも、一般的には受け入れがたいと思われます。この例を、採用するよう主張するつもりは全然ありませんが、国歌の制定の際、「歌曲」としての完成度、といった議論が聞こえてこなかったのが不思議でしたので、具体例を挙げて、歌曲としての完成度を検証してみました。
(中田氏の新聞投稿ぐらいしか「君が代」の音楽的検証を目にしませんでした。)

<2> 和声付けの不思議

 もう一点、「君が代」を語る上での問題点は、和声付けの問題です。
 思い出してください。「君が代」の歌い出し、「きみがあよおはあ」の部分、
伴奏はユニゾン、つまりハーモニーがついていません。旋律線と全く同じことを伴奏もしています。同じように、終わりの「苔のむすまで」の「すうまああでえ」もユニゾンです。これは、何故か?
 明治初期、宮内庁の職員が、「君が代」を作曲したのはよかったが、伴奏をつけることができなかった。そこで、お雇い外国人の音楽教師に伴奏をつけるよう依頼した。しかし、確かドイツ人の彼は、日本の旋法を理解しておらず、困惑した。なにせ、西洋の調性感覚と全く異なる旋律なのだから。困った彼は、一応、
ハ長調として伴奏付けをしたものの、レで始まり、レで終わるところは、どうひねってもハ長調としての和声付けが出来ず、伴奏をつけずに提出してしまったというわけだ。
 つまり、この伴奏もまた、欠陥品なのだ。さらに、未完成なのだ。
 
芥川也寸志さんは、その著作の中で、我が国歌は「サシミのフライ」だ、と嘆いておられました。日本の伝統に基づく旋律を西洋の感覚で伴奏している、というのは考えてみれば不自然です。それも途中で投げ出した未完成の楽譜を元に、国歌が演奏されつづけているのだ、もう1世紀以上。

 確かに、編曲された時点では、まだ、民族音楽の研究も不充分であったろうが、もう、現代においては、伊福部昭以降、日本の旋律を日本的な和声付けで処理するだけの作曲技法を、日本は身に付けているではないか!
 ここで、私の主張なのですが・・・・。
 国歌が、民主主義のルールにのっとって、国民の代表たちによって制定される以上、私は、それを尊重したいと思います(他人に強制したくもないですが)。
 しかし、
今ある「サシミのフライ」的伴奏は、すぐさま廃止すべきでしょう。
 日本の伝統を汚す、「押しつけ」伴奏ではありませんか!
 「押しつけ」憲法の改正を主張する政治家の皆さんは、この「押し付け」伴奏については何ら違和感を感じないのでしょうか?
 日本の伝統音楽に対する誤解を世界中に撒き散らす、「君が代」の現行伴奏を私は認めたくはありません。

 TV「題名のない音楽会」で、10〜20年前頃、黛敏郎氏が「君が代」の編曲が気に入らないと言って、自らオーケストラ編曲したものを聞いたことがあります。まさしく、雅楽、越天楽を思わせる、みやびな日本的な美しさに満ちたもので、こんなに「君が代」は美しい音楽だったのか、と子供心に感動した覚えがあります。式典で全員が斉唱するにはもったいないほどですので、鑑賞用の「君が代」として、採用してもよい編曲例だと思います。

 国歌が正式に決まる以上、もっと我々も国歌に親しみたいものです。例えば、音楽教育の場で、「君が代」の自由な伴奏付けを行ってみるのも一つの試みとしていかがでしょうか。
 ハ長調では無理でも、ト長調なら理論上は、最初から最後までの伴奏付けが可能です。かなり、奇妙にはなるでしょうが、その「おかしさ」を経験すれば、西洋と日本の音楽感覚の違いが明確に理解できるでしょう。(ちなみに、ニ長調、ニ短調でも可能ですが、もうお笑い確実な、音痴な音楽になります。西洋の理論だけでは、日本の音楽が理解不可能なのは実感できるはずです。)
 
ドビュッシー「沈める寺」風に、和音を積み上げていけば、案外違和感がないはずです。ドビュッシーが、インドネシアのガムランに影響された作品をモデルにするなら、同じアジアの感覚の共通性が「君が代」を通じて浮かび上がるでしょう。
 レを主音とする西洋の教会旋法はドリア調ですが、そのドリア調に基づく編曲も興味深いでしょう。
シベリウスに依頼すれば、きっと「君が代」も、交響曲第6番の冒頭(まさしくドリアだ)の如く生まれ変わり、一切が無、といった、日本古来の「諸行無常」を思わせるものになるのかもしれません。

 さて、今回の国歌制定の流れに、上記のような、音楽的観点からの議論は、国会においてなされたのでしょうか?
 なんだか、政治と音楽の接点でもあったこの騒動、音楽的センスに欠ける政治家たちだけの政争を見るにつけ、ショスタコーヴィチがソ連で見ていたものと、きっと同じものなのだろうな、と感じた次第。
最近、日本がだんだんソ連に見えてくるようで、末恐ろしいです。
 しかし、返す返すも、国の象徴となるべき国歌が音楽的な欠点だらけ、というのは、それが日本の文化度の低さ、伝統に対する軽視の現れだとするなら、こんなにふさわしい国歌もないですね。妙に納得するよなぁ。

(1999.7.24 Ms)

7/11(日) 新交響楽団第166回演奏会

  トリニタのページ、演奏会評のコーナーにて公開中。

 (1999.8.8 Ms)

7/10(土) エルムの鐘交響楽団第8回演奏会

<0>私的前書き

 思えば、前回上京したのは2月、オーケストラ・ダスビダーニャを聴きに行った時である。その後、3、4月の年度末、年度当初の超多忙な日々を暮らし、4月で仕事の内容が大幅に変わったこともあり、ずっと休日ものんびりできなかったなぁ。やっと、この頃落ち着いてきたこともあり、またもや、東京へ、アマ・オケ・ツアーを挙行することと相成りました。今回は、二本立てです。まずは、最近、ネット上で知り合った打楽器奏者の方の所属する「エルムの鐘交響楽団さん」から。(北大OBを中心に結成されたアマ・オケだそうです。継続的に、北欧ものに果敢に取り組んでおられるということで、今回のツアーに組み込ませていただいたわけです。)

 久々の旅行らしい旅行ということで、前から楽しみであった。昼前に豊橋より新幹線に乗り込み、午後2時過ぎ東京着。まずは、やはり、銀座ヤマハへ行ってしまうのである。来るべき「革命」に備えて(凄い表現だな)、シロフォンのバチを購入。エキストラ・ハードである。それもい玉をしている。どんな音ぶっ飛ばしてくれるか、楽しみである。店頭においてあるシロフォンを、袋に入ったバチで何種類か叩き、品定め中、店員さんに怒られたのは私です。この場を借りてヤマハの方に謝罪します。
 楽譜コーナーで、本日演奏されるベルワルドの第3番のスコアを探すが、1、2、4番のみで3番はなし。買い占められたか、エルムさんに。

 さて、先に、ホテルにチェック・インしようとも思ったが、少々時間もあるので、ホテルに近いこともあり、泉岳寺を訪れた。NHK大河ドラマ「元禄繚乱」を見ていることもあり、近くなので寄ってみた。意外と観光客も多かった。浅野内匠頭、そして大石内蔵助らの墓参りをしたのである。
 一つの人生訓として、私は忠臣蔵を見、その物語に惹かれている。今まではそんなことに興味も無かったのだが。年を取ったと言う事か・・・・。
 ストレスに耐えかねて、切れてしまった内匠頭には、同情すると同時に、家族、家臣を思えば、何故、我慢できなかったのか?とも思うが、そんな人間的弱さは、誰でも持ち合わせているもの。(少年隊のヒガシが!)吉良上野介に切りつけた場面は、内心スカーっとしたものだ。そして、吉良への復讐のため、大石は自分の本心を隠しつつ、大事業への布石を着実に打ち、殿の無念を無事晴らす・・・・この大石に関するストーリーが、私には、ショスタコーヴィチの交響曲第5番との類似性を思わせ、ますます、第5番にも心惹かれるようになった。大石もまた、
来るべき「革命」に備えを怠らなかったと言うわけか。この辺り、また別項で紹介したいと考えている(ショスタコーヴィチ強化月間の一環として)。
 お参りをしつつ、念願成就のための忍耐を、大石、ショスタコ両者から学ぼうと、改めて決意したのであった。・・・おっと、皆様、話が横道それてスミマセンでした。

 その後、午後5時前チェックイン、軽く腹ごしらえして、小雨降りしきる中、始めて「なかのZEROホール」へ向かう。
 打楽器奏者のJUNKOさんからのチケット預かりの袋には、ネット上の私の通称名「SMACKY」と書かれてあり、「すまっきー」と申しますが、と係の女性に声をかけたら、
笑われました。怒られたり、笑われたり、大都会における、通りすがりの人たちとの、ふとした交流もまた楽し、である。
 ホールは、結構新しいようだが、多目的ホールだろうか、舞台の奥行きが妙に広く、オケの最後列からまだ、随分スペースがあり、オケ全体がこじんまりと見えた
(反響もイマイチと感じた)。私たちの普段使っているホールが、全く奥行きのない舞台で苦労しているので、些細なことながら気になってしまった。ただ、それだけのことである。ようやく、演奏の感想へと話は進みます。ようは、ここから読んでいただければ結構ですよ。(なぁんだ!)

<1>ニールセン 序曲「ヘリオス」(私なりの曲目解説はこちらへ)

 冒頭の低弦のロングトーン、暗闇の中、打ち寄せる波を思わせる。そこに、ホルンの呼びかけ、(各々が違うタイミングでハイトーンへの跳躍。ちょっと聴くのが苦しかったです。)徐々に海は白み、朝を迎える。(当演奏では、少々、明るくなるのが早かったようだが、)その過程こそが、この作品の最大の魅力だ。
 (正直言って、)頼りなく思ってしまった冒頭ホルンだが(ゴメンナサイ)、しかし、朝を迎え、4本のユニゾンへ移行すれば、もう、過去のことなど、私は忘れた!!揺るぎ無い自信に満ちた朝を迎え、感動が高まる。1本づつのホルンは、か細くとも、4人がまとまってこそ、力強い存在となる。オケの基本だ。
 そのホルンの変貌ぶりにこそ、この演奏の聴き所であったように感じるのだ。そして、それを見届けた後、トランペットのファンファーレ、ティンパニのトレモロ。順風満帆に音楽は航海を始めるという訳だ。

 さて、ただ惜しく思ったのは、全体に平板に流れた傾向。テンポ設定に変化があまり見られなかった点。特に、Allegroへの移行は、もっと感動的にもっていけたはず。序奏を少しゆっくりめに演奏していたならなぁ、と内心思ったのだが、アレグロに突入する感動は確かにあった。この解決感、心地よい。ニールセンの作品自体の持つ素晴らしさで、演奏もカバーされたか?
 第2主題的部分も、チェロの旋律、穏やかに流れて行く。しかし、続く、プレスト、ニールセンお得意のこまごました、弦楽器による、フーガ、・・・・あぁ乱れゆく、あぁ残念!!・・・後年の「不滅」あたりを想起させる難しそうな部分ではある。見事に散華したのは惜しい。結局は、冒頭アンダンテ、主部アレグロをも少したっぷりと歌って行ければ、このプレストも安全な速度で行けたのではなかろうか?とも思ったが、まずは、パイオニアとしての演奏であることを思えば、これは次に続くべき我々への教訓ということとしておこう。
 私の感触としては、この「ヘリオス」、十分アマオケで演奏可能、かつ演奏効果もある名曲であることは確認できた。エルムさんの演奏、素直に言うなら、様々な落とし穴にはまってしまった、ということになろうが、私にとっては、とても有意義な経験となった。練習不足だったのでしょうか、きっと。
 エルムさんの実力は、続く2曲で、十分堪能できましたから。

<2>ベルワルド 交響曲第3番 「風変わりな交響曲」

 作曲家も、作品自体もまったく知名度がなく、私もCDは持っているものの、ほとんど聴いてない、覚えていない代物であった。「ヘリオス」の生演奏を一番の楽しみに、この演奏会を訪れたわけだが、ベルワルドについても、この機会にCDを聴き直し、なかなかの名曲であることを確認し、さらに、今回の演奏で、その面白さを堪能できたのが大収穫であった。
 さて、この作品の何が「風変わり」だったのだろう。標題が無ければ、あまり感じさせないところだ(ショスタコやアイヴズの作品のほうが強烈に変わり物だ)。ただ、前期ロマン派の当時としては、

 1.第1楽章冒頭の和声、旋律が「風変わり」
 2.時折見せる遠隔調への転調、もしくは遠隔調の和声の借用が「風変わり」(第2楽章の冒頭2小節など)
 3.長調の交響曲でありながら、フィナーレ第3楽章が短調であるのが「風変わり」。(ただしコーダの最後は、お約束、長調で勝利宣言!)

 よくよく考えたら各楽章の頭から、誰も当時やってない前衛ぶりを発揮させている、と言えよう。
 また、それ以外にも、

 4.第2楽章、緩徐楽章の中間部に、スケルツォを挟んだこと。
 5.両端楽章が、ソナタ形式の基本形から少々逸脱していること。
 6.第3楽章の途中に第2楽章の主題がそのまま再現されること。

 なども「風変わり」ととらえて良いだろう。しかし、実験精神旺盛な方だったのだろうか。アイヴズ、ボロディンなど、素人作曲家はアイディア豊富、という感じだ。実は私も素人作曲家の端くれだ。偉大な先輩として、ベルワルドもこれから色々聴いてゆきたい。

 さあ、その演奏であるが、冒頭から、なかなか、北欧のすがすがしさを思わせる好調なスタート。「風変わり」ではありながらも、どことなく最近流行の「癒し」をも感じさせる魅力的な箇所だ。北欧モノお得意なだけに、こういう表現はいい感じです。
 第2楽章も、長調ながら、ほのかに北欧的な淋しさを漂わせる雰囲気がよく出ていました。冒頭の弦楽も良かったですが、特に、ティンパニと低弦の刻みの上に歌われる木管の主題が、とても気に入りました。シベリウスを遥か遠くに感じさせるオーケストレーションです。ティンパニの微妙なcresc.dim.も心地よい音量バランスでした。そこへ、予想外のティンパニ一発強打のソロ。実は、第2楽章は、ほとんどCD聴いてなかったので、その存在を知らず、静寂の中、いきなり、「驚愕」させられました。プログラムノートの、「ハイドン」はここにいたのか!!やられたっ!!
 続くスケルツォは、メンデルスゾーンを思わせる、軽やかな妖精の足取り、といった雰囲気。やはり、弦の乱れも気にはなりましたが、かえってその後の、テンポを緩めてシベリウス風が再現するところの解決感、安心感が高まり、感動的に感じられました。
 フィナーレは、一度聴いたら忘れられないインパクトを持った、カッコイイ出だしです。中間あたりで、弦が細かく動く中、木管が短いモチーフを受け継いで行くところ、その中でもかなりファゴットが目だった存在感でした。そして、それは次のバルトークへの伏線、布石であったのです(後述)。その流れの中で、ティンパニも、やや唐突に強打があり(ニールセン「不滅」を遥か遠くに感じさせる発想です)、これが「驚愕」だとばかり思っていた自分は第2楽章で、してやられてしまった訳です。
 全体的には、ティンパニのそんな仕掛けもあいまって、また、金管も当時としては、そこそこ活躍の場を与えられ、最後もベートーヴェン的な大団円が待ち受けており、スケールの大きさをも感じさせてくれましたが、第1楽章冒頭や、第2楽章前半の繊細な部分との対比も際立って、私にとっては、飽きのこない作品、演奏であることを体感することが出来ました。

 生演奏での初体験のインパクトという意味では、アイヴズの2番、ボロディンの1番に続く、楽しい経験、思い出となりました。私にとってのベルワルド体験の第1歩として、この演奏会は忘れられないものとなりそうです。

<3>バルトーク 管弦楽のための協奏曲

 東海地区においては、単独のアマ・オケでこんな難曲をやることは考えられないので、大丈夫なのだろうか?と大変心配に思ったものだ。
 しかし、特に、木管楽器にあっては、その実力を発揮し、この曲こそこの演奏会で聴いて欲しい、という気合を感じ取ることが出来ました。第2楽章が、最も「協奏」風で各楽器のソロの受け渡しが、とても楽しいのですが、その1番手、ファゴットが凄い、凄い!!ピリッと辛味の効いた、刺激的なソロでした。どんなプロの演奏も、こんなにアクセント付けていないだろう。装飾的な半音上昇、そして、フレーズ最後の高音、そして、低音へ向かうトリル、こんなに熱い演奏を聴かせてもらえたのは初めてです。ファゴットの表現能力の幅広さを思い知らされた、という感じで、やはり、ファゴットのキャラクター、かくあるべし、とすごく興奮させられました実は、私の編曲作品にファゴット四重奏曲「魔法使いのビビディバビディブー」というのがありますが、まさしくこのキャラクターです。嬉しくって、もう!。ただ、冒頭は、少々気持ちだけが先行していたか、思いきりの良さが逆効果になりそうな不安もちょっぴり感じさせましたが、再現はもう、余裕綽々でもう、ブラーヴォーの一言。
 管楽器の配置も、金管を左右に配置(Hr左手、Tp,Tb右手)、ファゴットが管楽器の中央上段にあり、圧倒的存在感を誇っていました。オーケストラ全体のための「協奏曲」ですが、指揮者によって最初に立たされたのが、当然ファゴット。この結果は、演奏会前には想像できなかったなぁ。でも、拍手が、満場一致でそれを認めていましたね。次回以降、ファゴットの大活躍する作品を期待したいところです。ショスタコの9番とか・・・。

 さて、今回驚いた点として、チケットをいただいた打楽器奏者の方、この曲のティンパニ以外の打楽器を全て掛け持ちで演奏されたこと。
 メンバー表を見て、おやっとは思ったのですが、まさか掛け持ちでできたとは!!それも第4楽章の大笑いの場面、そしてフィナーレの最後などはけっこうハードワークです。見る分には、とても楽しく、まさしく打楽器協奏曲的な感じ。私の認識不足ではあったのですが、新たな発見でした。「打楽器のためのソナタ」を書いている作曲家なのだから、これくらいは、やらせて当然ってことか。JUNKOさんお疲れ様でした。

<4>その他

 アンコールは、これまた、聴きなれないもので、????
 バルトークか、コダーイだろうとは思ったのだが。バルトークの「ハンガリアン・スケッチ」から「豚飼いの踊り」。またまた意外な選曲だ。
 ビオラが、犬の鳴き声のような、グリッサンド風なフレーズをいきなり演奏し始めたときは、何が始まったのやら、会場に犬が乱入したんだか、私の頭の中は意味不明なパニックでした。私自身かなりの曲数聴いている自信があり、ちょっとやそっとじゃ、ここのところ知らない曲をアンコールで聴いたことが無いので、とても新鮮な驚きでした。
 後日談として、実はこの「ハンガリアン・スケッチ」、我が家にもCDがあり、「ハーリヤーノシュ」の片隅にひょっこり録音されていたのには気がつかなかったなぁ。
 (
「ハンガリアン・スケッチ」も「隠れ名曲教えます」で取り上げましたので、そちらもどうぞ。)99.9.4

 次に、ハプニング。ベルワルドが始まる前のこと。コンマスがチューニングのため立ちあがったところへ、指揮者の登場。一瞬、指揮者は立ち止まり、会場いっぱいに響き渡る高笑いを残し、再び出直すことに。
 指揮者は、ロバート・ライカーさんという方で、外国人指揮者を音楽監督にしているアマオケはなかなか珍しいのではないでしょうか。
 バルトークが終わってから、ファゴットが真っ先に立たされたことは前に書きましたが、その後、各管楽器奏者はもちろん、弦楽器奏者も一人づつ立たせていたのは良かったですね。「オーケストラみんなのためのコンチェルト」なのですから。ライカーさんの人柄を想像させます。
 ただ、打楽器が最後になったのは、まさか忘れてたわけでは・・・・お二人とも超絶的なソロを演奏したんですから、早く立たせてあげたかった、と思います。私も、打楽器奏者として、なかなか立たせてもらう機会は少ないですが、自分の為にお客さんが拍手してくれる、という瞬間、感動しますもの。
忘れてちゃーいけませんよ!  

 最後に、観客数がちょっと少なかったようです。エルムさんのHP掲示板によると、約400人だとか。せっかく、これだけ意欲的なプログラムに取り組んでみえるのですから、もっと多くの方にも聴いていただきたいものです。これからも、自分たちのカラーを大事に守りながら、活動を続けていただきたいと思います。また、おもしろい曲を取り上げるようなら、是非ともお邪魔させていただきたいと思いました(日程さえ合えば、馳せ参じますよ)。

<5>私的後書き

 演奏会後は、再び小雨降りしきる中、中野駅へと向かう。10時前にホテル着。
 翌日は、アマオケ鑑賞第2弾、として、芥川也寸志没後10年コンサート。オール芥川作品を掲げての「新交響楽団」さんである。
 昼食は、芥川さんを偲んで、新宿のロシア料理店「ペチカ」でランチ、そしてCDショップで、飽きもせずショスタコーヴィチ漁り。やはり、今回も小雨降りしきる中、サントリーホールへ。この新響さんの演奏会の模様は、また別項にて。ただ、アンコールが、NHK大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマだったのは、良かった良かった。泉岳寺参りの翌日の話だけに、感動もひとしおだ。
 夕食は、吉祥寺まで出向いて、スウェーデン料理店「ガムラスタン」へ。昨年の北欧旅行と、昨日の「ベルワルド」を想起しながら、スウェーデンの味を堪能。その日最後の客だったのではなかろうか。帰り際にパンも包んでいただいた。ありがたいことです。
 東京で北欧を語るには、もってこいの場所です。1本大通りから入った静かな住宅街に、落ち着いた雰囲気の洒落た店。久々の旅行の最後を飾るにふさわしいフィナーレである。満足満足。

 しかししかし、新幹線の半額の料金で乗れる、帰るべき夜行バスは午後11時50分発。「ガムラスタン」を後にしてから、山手線2周というオマケがついた。経費節約も大変なのだ。翌月曜日は、午前5時半帰宅。しっかり仕事も休みを取ったのでした。

寝苦しい夜、午前3時過ぎに目覚め、思い立って書き始める。序曲「ヘリオス」を思わせる日の出の来なかった曇りの朝を迎えつつ完成(1999.7.17Ms)


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