バルトーク

ハンガリーの風景

 

 バルトークというと、ついつい、「弦チェレ」とか「中国の不思議な役人」とか、いわゆる「現代的な」、わかりにくい、小難しいイメージが付きまとうのではないだろうか。
 「管弦楽のための協奏曲」あたりは、比較的分かりやすい、オケ関係者にとっては、有名曲と言えるだろうが、それにしても、第1,3楽章は、非常に厳しい面を見せている。
 また、ハンガリーの民謡の採集から生み出された、民謡的な素材を元にした作品にしても、「舞踊組曲」に聴かれるように、素朴な民謡をそのまま引用する、というよりは、大胆に加工して、それこそ「現代的」な難しそうな、耳当たりになっているようだ。(個人的感想だが、「舞踊組曲」の第2曲に、トロンボーンのグリッサンドを繰り返す有名旋律があるが、それも、ハチャトリヤンの「剣の舞」ストラビンスキーの「火の鳥」が、何となくユーモラスに聞こえるのに比べ、バルトークは、ユーモアに聞こえず、えらく真面目に聞こえてしまう。そんな印象を持つのは、私だけかな?)
 また、子供向けのピアノ練習曲、20世紀の「バイエル」、と呼ばれる「ミクロコスモス」の巻末に、「ブルガリアのリズムによる6つの舞曲」があるが、この題名に、彼の作曲方法が象徴的に表れているようにも感じる。通常は「ブルガリアの民謡(旋律)による・・・・」といった題名の方が一般的だろう(ロシア国民楽派あたりに多い。ショスタコーヴィチも「ロシアとキルギスの民謡の主題による・・・・」という表記の作品がある。)。あえて、バルトークの場合、民謡そのものでなく、民謡を特徴付けるある一つの側面を抽出し、それを作品に生かしている、ということなのだろう。

 前置きが長くなってしまったが、さて、そんな、大真面目な感のある、バルトークの、それも管弦楽作品にあって、とても楽しい作品を今回は紹介しましょう。
 99年7月の「エルムの鐘交響楽団」交響楽団さんの第8回演奏会のアンコールで演奏された「豚飼いの踊り」をフィナーレに持つ、「ハンガリーの風景」がそれである。(当HP内の、今月のトピックス、99年7月も参照してください。)
 さすがに私も、この作品は知らなかったのだが、帰りがけ、会場の出口にアンコール曲名が掲示されているのを見、題名に見覚えがあったのだ。
 早速、家に帰って、CDを確認すると、妻の買っていた「ハーリヤーノシュ」の余白に、この曲があったので、聴いてみたところ・・・・・。
 とても、懐かしい気分にさせられたなぁ・・・・。
 5曲からなるこの作品の第1曲「村の夕暮れ」
 私が小学校の3年か、4年の頃、音楽の授業、教科書ではなくワークブックの方に「夕ぐれ」と題された鑑賞教材が掲載されており、鑑賞したことがあるのだ。うろ覚えだが、ピアノ伴奏付きのクラリネット独奏の版だったと思う。クラリネットの音色に親しもう、という目的だったのかもしれない。ゆったりと、クラリネットが、ラーソミソ/ラソソミー・・・と一節歌い始めると、小学生の私も、「おや、」と感じるものがあった。クラリネットの音色ではなく、旋律線自体に。普通、音楽の時間で聴いてきたヨーロッパの音楽とは違って、日本の歌みたいだ、と直感し、3度繰り返されるその旋律、1度聴いただけで覚えてしまった。作曲者名は覚えてなかったが・・・・。そのゆったりとした日本風旋律にはさまって、速いパッセージが奏されるが、これまた日本風(ようは、5音音階に基づいているだけのこと)で、特徴あるシンコペーションが、子供にも新鮮で、カッコよく聞こえた。
 鑑賞後の感想も、何を書いたか何となく覚えている。

 はじめのふぶんは、遠くの山に日がゆっくりとしずんでいくみたいです。
 つぎのぶぶんは、農民が畑仕事を終わって、ひょこひょこと家に帰って行く様子みたいです。

 恥ずかしいが、この単純な感想をもって、第1曲のミニ解説に替えておこう。きっと、私は、祖母と一緒に自宅から少し離れた畑で、野良仕事をしたときの様子を思い浮かべていたのだろう。小柄な祖母は、ネズミ年ということもあってか、こまめにまた、てきぱきといろんな家の仕事をこなしていた。今もなお、健在だ。田舎の畑での光景が、素直に浮かぶこの作品、自分の心にずっと刻まれていたのだ。しかし、題名以外、どういった曲なのかはわからずに大人になっていた。
 そして、数年前、ピアノとバイオリンのデュオの楽譜を探していた時、バルトークの小品集を見つけ、「ミクロコスモス」や子供のためのピアノ曲からの編曲作品で、簡単そうなものが並んでいるのでパラパラ見ていると、この、ラーソミソ/ラソソミー・・・を発見、即購入。「夕ぐれ」との再会を果たしたのだ。そして、今回、偶然にも我が家にCDが存在していた、ということであった。
 さらに、そして、この8月、東欧へ旅行に出かけ、ブタペストの楽譜屋で、「ハンガリーの風景」のスコアも購入。約400円であった(ブタペストでの話はまた別項で紹介したい。しかし、物価がえらく安かった。物によってはスコアは100〜200円だ。日本で3000円以上はする20世紀ものも、500円あればだいたい買える。しかし種類は少ないが)。ハンガリーでは、空港とブダペストを往復しただけで、田舎に足を伸ばしたわけではない。が、街のど真ん中に流れる雄大なドナウ川、その向こうの遠くの山に沈みつつある太陽を見ながら、何となく日本人に似た顔つきのハンガリー人たちの中にあって、この20年近い「夕ぐれ」探しの自分史を思い起こせば、感慨もひとしおであった。
 私が、10歳ごろ田舎の畑で見た「夕ぐれ」と、30歳にしてブタペストで見た「夕ぐれ」、バルトークの音楽によってしっかりと重なり合ったのだった。

 このあたりで終わりたいが、他の曲についても触れておかないと・・・・。
 第2曲は、「熊の踊り」。漫画的な、楽しい曲。不協和音、無調的な進行も、親しみやすい。不気味、とか、恐怖、の表現というよりは、重々しく、のっしのっしと歩く様が浮かんでくるような曲。
 第3曲は、「メロディー」。やはり5音音階による、ゆったりとした、ひなびた、単純な歌が繰り返されながらオーケストレーションを変え、夢見心地な境地(フランス印象派的)へとたどり着く。
 第4曲は、「ほろ酔い加減」。これこそ、バルトークの発した最高のギャグ作品かもしれない。
 装飾音符のついた8分音符が連続しながら、テンポが速くなったり遅くなったり、千鳥足の酔っ払いのリアルな描写だ。演奏が難しそう。しかし、みんなそろって、飲んで演奏すれば案外簡単かも。酔った経験通りに楽譜が書いてあるのだから。
 おっとっと、おっとっと、とふらふら歩く様。イレギュラーに、ヒック、ヒックとしゃくれたり。冒頭の主題が再現されたころは、ちょっと危険。2本のクラリネットが交互に、2音の装飾付きの音符を連発するあたり、ウィッ、オエッと末期症状。しかし、最後の小節のみラルゴとなって、大の字に寝てしまいましたとさ。といった感じ。しかし、ここでやはり、真面目なバルトークらしく、ユーモアあふれる曲がどうも深刻に重く終わってしまい、最後のオチに失敗したのでは・・・とも感じられる。吉松隆氏曰く、「真面目な顔して『結局は薬局なのです』なんて言う」イメージそのままな感じだな。
 第5曲が、エルムの鐘交響楽団さんのアンコール。「豚飼いの踊り」。楽しいダンスを彷彿とさせる。最初の弦の短いグリッサンドは豚の鳴き声かな。途中、ダンスが最高潮に達する辺り、「ラピュタ」の「君をのせて」の前奏のニュアンスがちらっとよぎったが気のせいか?

 さてさて、とても親しみやすいバルトークの一面をのぞかせるこの作品、少なくとも管弦楽作品としては例外的な部類に属するものだ。そもそも、子供用に作られたピアノ曲をランダムにセレクトしてアレンジして組曲に仕上げたらしいが、バルトーク自身、「農村を訪ね、民謡を採集し、農民達と過ごした時間が、生涯でもっとも充実した幸福な時代だった」と回想しており、その時代の産物である素朴なピアノ曲をペースにしているからこそ、他の管弦楽作品とは趣が違っているのだろう。
 彼としては、この編曲作品は「お金の為に」まとめたと告白しているようだ。真面目な彼が精一杯の聴衆へのサービスを込めて作ったのだ。しかし、ほとんど取り上げられることもなく、1931年に発表されたものの26年間無視されていたとのことだ。いまだ、その不幸な運命を引きづって「隠れ名曲」に甘んじていると言うことか。

 バルトークには、同傾向の作品としてルーマニア民俗舞曲があり、これは結構取り上げられている作品だ。この「ルーマニア」が好きな方ならきっと「ハンガリーの風景」も気に入っていただけるだろう。編成も特に特殊楽器を用いない2管編成で、アマチュアでも容易に挑戦できそうだ。是非、親しみやすいバルトークの一面も広く知っていただきたいものだ。ただ、この作品が演奏されなかった理由の一つとして、フィナーレの終わり方の問題があるかもしれない。途中でダンスが最高潮に達するとその後は、どんどん収束、dim.rit.・・・・そして最後に強奏が一発。演奏効果、の面で盛り上がりに欠ける、という指摘はあるのかもしれない。しかし、その理由だけをもって取り上げないのは解せない話だ。それ以上に、多くの魅力溢れる作品なのだ。是非是非お勧めしたい作品の一つです。

東欧旅行後、仕事多忙のため更新できず、やっと頭痛をおして一項目書き上げる。来週もまた仕事多忙だなァ。(1999.9.4 Ms)


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