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(仮称)クラシック・TV鑑賞記

 「たぶん・だぶん」コーナーにて、TVでのクラシック鑑賞をいろいろ書いてきましたが、これからはそれを独立したコーナーとしてまとめます。
 N響関係、室内楽関係は別コーナーです。


2006年

 久しぶりに、ブラボー・クラシック。BS日本にて。最近好演続き。
 ベートーヴェンの三重協奏曲。ヴァイオリン藤原氏、チェロ毛利氏と、団のトップ・プレイヤーを起用して、息のあった熱っぽい演奏。特にチェロが高音域でずっと弾きづめなのは酷に思えつつも、優雅さ、そして雄雄しさを感じさせ作品自体なかなか聴く機会も少ないが、魅力的な大作であることが印象付けられた。
 ブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエム。日本の軍国主義を非難する一面をもった重厚な作品。第1楽章の悲愴味が、第2楽章の疾走するような戦闘の描写を経て、第3楽章の平安へと収束してゆく構成が素晴らしく、演奏もまた、メリハリの効いた名演と言えよう。
 最近、日本でも認知されつつある、上岡敏之氏指揮によるブラームスの1番。あまりにテンポをいじり過ぎて好悪、評価が分かれるだろうか・・・私も気持ちはわかるがデフォルメし過ぎと感じた。ただ、フィナーレ最後のコラールのあまりに引き伸ばされた表現に違和感を感じつつも、壮麗な雰囲気に圧倒された。気になる存在ではある。

(2006.11.28 Ms)

 各地のプロ・オケの紹介番組、「オーケストラの森」。
 まず、群馬交響楽団
 創立60周年という老舗である。創立当初の苦労なども触れつつ、現在の音楽監督、高関健氏のリーダーシップのもと、意欲的な選曲にも取り組む。そのあらわれとしての演奏会でもあろう、第428回定期演奏会(2006.6.16)。
 武満徹「遠い呼び声の彼方へ!」、漆原朝子氏のソロ。ショスタコーヴィチの組曲「ボルト」全8曲。
 ショスタコーヴィチが嬉しいところ。この手の曲、プロ奏者のシラケぶりも場合によっては感じられてしまうほどの通俗的な低く見られがちな作品ながら、充分エンターテイメントとして楽しめる演奏。びっくり箱のように、管楽器そして特に打楽器(木琴のソロは秀逸だ)など、いろいろなキャラが登場して楽しさあふれるもの。終曲はブラスバンドが舞台最後列に勢ぞろい、楽天的なエネルギーの発散も素直に笑える。ほほえみが零れ落ちる音楽、なかなかクラシック系ではありませんて。高関氏、私も学生時代お世話になった経験もあり、今後とも活躍続けていただければと心より応援。
 武満作品はやはり私には難しい、が、心地よい響き、という側面ではとっつきの悪いものでもない。

 続いて、大阪シンフォニカー交響楽団
 第110回定期演奏会から。(2006.6.23)
 フォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」。サン・サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。寺岡清高氏の指揮。
 若いオーケストラということで、団員たちが自ら議論しながら曲作りをしたり、裏方仕事も請け負ったりと、面白い切り口での番組だった。コンサートミストレスの方が偶然、今年の、長野県飯田市のアフィニス夏の音楽祭に参加されていた田村さんという方で親しみをもって見させていただく。
 サン・サーンスにやや荒さも見て取れたが、フォーレの丁寧な優しさあふれる演奏は心に残った。

 ベルリン・フィル ワルトビューネ・コンサート2006 〜アラビアンナイト〜 (2006.6.18)
 毎年恒例の野外コンサート。今年は選曲が振るっている。
 「シェエラザード」そして「ペールギュント」などを中心に、なんと、ニールセンの「アラジン」も登場。コンサートの最初と最後に、「オリエンタル・マーチ」そして「黒人の踊り」が配されているというのが注目。さすが、指揮、ネーメ・ヤルヴィだ。
 他に、ジャニーヌ・ヤンセンのVn.で「タイスの瞑想曲」「序奏とロンド・カプリチオーソ」。

 その他、スメタナの特番。「我が祖国」全曲を1曲づつ異なった指揮者での演奏。全曲通して聴くと、最後の2曲の内容の重さが認識できる。祖国の独立への強いメッセージに心打たれる。
 最後の「ブラニーク」はクーベリックの指揮。特に良かった。
 興味深かったのは、番組中の解説でも触れていたが、前半の田園風景の場面に印象を残すような設定がなされていた点。和声があまり変わらないままに、木管がそれぞれに勝手な旋律を吹きつづけるところ。確かに、この部分の停滞感は、緊張感と高揚感に満ちたこの終曲のなかで異質な楽想だ。それをしっかりと認識させていたのが心に刻まれる・・・そうか、ニールセンにもあるぞ・・・交響曲第3番のフィナーレの中盤、交響曲第4番の第一部の中盤、それぞれに、同様の田園的風景が描かれているのだ・・・この和声的停滞感が、現代的な姿をまとった時に、交響曲第5番第1楽章後半の、小太鼓カデンツァの部分の背後の「停滞する和声」に変容してゆくであろう・・・。偉大なる先駆者スメタナ、とニールセンは思ったか否か?この発見は自分にとっても有益だったので一言付け加えたかったところ。

(2006.9.6 Ms)

 歴史ドラマ「エロイカ」〜ベートーヴェンの革命〜と題された海外ドラマをBSで見る。
 ベートーヴェンのパトロン、ロプコビッツ公爵邸における、交響曲第3番の私的初演の様子に、様々なベートーヴェンにまつわる人間模様を重ねた面白い構成。全曲を、オルケストル・ド・レボリューショネル・エ・ロマンティークという古楽団体が演奏。その楽章間や、演奏中に、ベートーヴェンの音楽の新しさへの、共感、批判などを、貴族たちが述べあい、また、老ハイドンがやって来たり、さらには、ベートーヴェンと恋人とのツーショット・シーン、・・・ただし、恋愛が身分の差ゆえに成就しない決定的な亀裂を映し出す・・・、さらには、演奏後、居酒屋でナポレオンの皇帝即位を知った彼が、スコアの表紙を破るシーン等々を織り交ぜる。
 金管やティンパニの衝撃的な用法に驚き、貴族が奏者を身近にまでやってきて覗き込んで微笑んだり、また、第1楽章の再現部直前の、不協和な部分で、演奏が中断したり(写譜屋のミスだと弟子のリースが騒ぎ立てるや、ベートーヴェン、すかさずそれで正しい、とリースを罵倒する)、初演に立ちあった人々のそういった行動が、正確な史実ではないだろうが、彷彿とさせる興味深い作りだった。
 若きベートーヴェンを演じたのイアン・ハート氏、なかなかにはまった役どころではあった。

 第1回高松国際ピアノコンクールのドキュメント番組。
 以前、浜松のコンクールの番組が面白く、興味を持って見る。地元の女性ピアニストの挑戦など、日本勢への密着取材あるも、取材した日本勢は上位には食い込めず。
 また、フョードル・アミーロフという異色のロシア人ピアニストは印象的だ。自由奔放な演奏。ただし、祖国ロシアで雪の中、上半身裸で騒いでいたシーンには驚いた。かなりの異色な人材か。今後、頭角をあらわしてゆく異才であろうか。

 もうひとつドキュメントもの。
 小澤征爾 教育ドキュメント 中国と結ぶ「終生の絆」。中国の学生たちを相手に奮闘する彼の姿を追う。
 ただ、これは、あまり成功していない番組と感じた。まず、中国での演奏会直前に小澤氏が病気でドクターストップがかかってしまい、演奏会の最後の追い込みが、サイトウキネンのメンバーたちに指導が委ねられてしまった点。さらに、中国の若手演奏家たちを集めての音楽塾であったが、オーディションの段階で、個々人の能力におおいに期待させれられた彼ではあったが、いざ、合奏が始まるや、「一人っ子政策」ゆえか、自分のことしか考えない若者たちばかりを相手に、かなり小澤氏もてこずり、カメラを前に、こんなのやらなきゃ良かった、くらいの発言をしてしまっていた点。
 それを納得ゆくかたちまで本番でもっていけたとは思うが、そのプロセスで、小澤氏が病気で不在、なのだから、番組としては、物足りない感じが否めず。
 ただ、小澤氏が北京で暮らした家が、まだ残っており、感慨深げにいる彼の姿は印象に残った。また、母の名が、「さくら」さん。母の死の後、今、当時の小澤宅に住む中国人が、「桜」の木を植えてくれたという。

 4月頃から、在京のプロオケの演奏が続いて放映されている。
 東京交響楽団、ユベール・スダーン指揮、ブルックナー8番(2005.11.12 サントリーホール)。
 日フィル、コバケン指揮で、得意の幻想交響曲(2006.4.13 サントリーホール)。N響アワーの時間枠で「オーケストラの森」という新番組。
 さらに、東京フィル、チョン・ミョンフン指揮。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を庄司紗矢香のソロで。そして、ショスタコーヴィチの5番(2005.11.18 サントリーホール)。N響以外にも触れる機会を地方に住む人間に与えてくれる良い企画である。

(2006.5.31 Ms)

 岩城宏之氏の昨年末の、ベートーヴェン交響曲全曲演奏会、「振るマラソン」は、報道ステーションでも特集として紹介されていたが、NHK−BSにおいても、1時間の番組として放送された。
 現代音楽指揮者としての側面も強い彼が、ここへきて、ベートーヴェンにほれ込んでいるという。ストラヴィンスキーのためには死ねないが、ベートーヴェンのためには死ねる、と。チャイコフスキーやブラームスと違って、チャンとやらなきゃいけない、遊べない、そんな理由から、敬遠していたのが、何故変わったか。
 最初は、三枝氏のプロデュースで、3人の指揮者による全曲演奏会に参加したところ、4時間の待ち時間に耐えられず、次の年は、こんなことなら全曲やらせて、といったのが始まり。そして昨年末が2回目の、一人の指揮者による全曲演奏会。10年続けると豪語する。
 全部凄い、打率10割、とベートーヴェンの交響曲を評す中、5番に差し掛かった時に、これはさらに凄い、と、5番の魅力・エネルギーを再認識できた、と。個人的には、8番がお好きと。第九はどうも、下手な劇仕立てで苦手、とも。
 9曲をかいつまんで放送されるのを追いながら、こちらも、ベートーヴェン、どれをとっても、飽きないし、聴きたくないという感興には襲われず。いつ聴いても、感動できるものばかり。やはり、永遠のMr.クラシックだ。個人的には、ここ2年あまりで、サヴァリッシュ・N響の7番、ヴァンスカ・読響の5番、ゲヴァントハウス・ブロムシュテットの3番、と心に強烈に印象を刻んだ演奏によって、ベートーヴェン讃歌は続いている。
 あと、岩城氏の凄まじい病歴、がん摘出の1回ではない。そのたびに指揮者として甦ってくる強靭さもさることながら、N響指揮研究員から、海外公演の指揮者への大抜擢という強運、かなり波瀾の人生だ。そんな紹介も織り交ぜ、面白く見させていただいた。

 ルツェルン祝祭管弦楽団。アバドのマーラー7番。これは仰天だ。ベルリンフィルのメンバー始め、トップ・プレイヤーたちの演奏の、何と生き生きしたこと。この複雑怪奇な作品が、よどみなく、完璧に私たちの前に立ち現われた。曲の魅力いや魔力に惹き込まれる。
 「夜の歌」と言えば、ラトル、バーミンガムの来日公演におおいに感激したが、最近、自分の趣味の変化でご無沙汰していたところ。見事、昔の私の感覚をも蘇らせてくれた。いい曲だ。
 第1楽章の鬼気迫る表現は、ショスタコーヴィチへと素直に流れてゆくだろう。今、ショスタコーヴィチの5番と真剣勝負している最中なだけに(予想外の長期連載だ)、マーラーの7番にもかなり好感を持って受け入れている自分を再確認。
 そして何と言っても第5楽章の、いびつな歓喜。だんだん、私にとっては違和感も薄れ、こういう構成破綻でも、充分自分が素直について行ける感覚なのに驚く。とにかく、楽しい。次々と出来そこなった主題たちが中途半端な再現・展開をしながら、つぎはぎだらけな感覚を強くさせつつ、そんなパロディを心底楽しむ。演奏の勢い、これは特筆しておきたい。

 ベルリンフィルの野外コンサート。「フレンチナイト」と題して、真ん中に、懐かしの「ラベック姉妹」を独奏に迎えた、サン・サーンス「動物の謝肉祭」と、プーランクによる2台ピアノの協奏曲が置かれる。随分、お年を召したなあ・・・。

 読売日響。BS日本の「ブラボー・クラシック」では、なんと、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第2番。コリヤ・ブラッハーの独奏。
 外山雄三氏の指揮ということで、あまりはじけた印象は少ないが、いまいち実演の機会に恵まれぬ作品ながら、十分に曲の真価を問うに足る演奏であった。ただ中太鼓・トムはもっと激しく、鞭打つような打撃が欲しかったな。第3楽章の諧謔性は、木管楽器も良く出していた。ある意味、古典のパロディのような主題で、それが妨害されるような曲の進み方。このおかしみがしっかり感じられる。ティンパニもまた良し。

(2006.4.29 Ms)

 NHK−BSの話題に戻りまして・・・。
 エリーザベト国際音楽コンクール2005・入賞者ガラコンサート。ヴァイオリンの上位3名。
 ショスタコーヴィチの協奏曲第1番。シベリウス、そしてベートーヴェン。ショスタコーヴィチの1番は、ホントによく取りあげられるようになったな。
 3位は女性で、ゾフィア・ヤッフェ。ドイツ人だから、というわけではないだろうが、随所にロマン派的な、テンポの揺れ、フレーズの最初や最後のタメ、が聞かれてフェイント箇所多し。聴いていて面白い。第2楽章のトリオでのタメは強烈だった。フィナーレのコーダの加速も尋常じゃない、鬼気迫るもの。かなり奔放さが見られて大変惹きつけられた。ただ、その奔放さにオケが付いてゆけない点が気になった。オケはリエージュ・フィル。
 アンコールはヒンデミットの無伴奏ソナタOp31−2。5音音階風な、でもそう単純なものではなく、ひねくれた旋律線が印象的。ヒンデミット初期、なかなか発掘しがいがあるな。
 2位は、ヨシフ・イワノフ(ベルギー)。やはり、オケのがさつさが目だってしまう。オケの中でのアンサンブルもいい加減で、ゆるーいムードが気になってしまう。ソロは堅実で、ただ、やや固めだったように思えたが、第3楽章の主題の歌い方に特徴あり(小節線をまたぐ部分にリズムの強調がある)、自分らしさの主張など感じ取られ好感。
 1位は、2年前のN響定期での演奏でも知名度をあげている、セルゲイ・ハチャトリアン。存在感が群を抜いている。音色、歌い方、が細かい隅々まで考えぬかれて作られているのが感じられる。オケもさすがにシベリウスとは比較にならぬほど気合いも入り聴いていて安心。

 ラベルの最晩年の悲劇をドラマ仕立てで紹介する、「ラベル、その病と苦悩」。2000年のカナダの番組。
 57歳で交通事故に遭遇、頭を強打し、言葉や体の自由を徐々に蝕まれ、作曲が出来なくなった彼が、意を決して5年後、当時としてほぼ例のない脳手術をし、その数日後に他界。
 頭の中に新たな作品は浮かぶのに、音符として表現できない、さらには、歌うことすらできない・・・作曲家としてのあまりに悲劇的な病状に、衝撃を感じた。音楽史上の最大の損失の一例だろう。本人も、まだかつての一流の作曲家たちほどに多くの作品を残せていないことを気にし続けていたようだ。
 交流のあった女流ピアニスト、ギャビー・カサドシュが、普段は陽気に接してくれる彼が、今や力なくほほえみ、誰かもわからぬ様子であった時の悲しさを話すや、ついつい、私の父の姿もだぶり、生きながらの人間性の喪失という悲劇は、ラベルとその周辺の人々にも大きな影を落としただろうことが容易に想像できてしまう自分もまた悲しいものだ。そのピアニストの演奏する、ラベルのピアノ曲「悲しい鳥」が、こんなにも心に哀しげに響いたことはなかった・・・(番組そのものが、1999年に亡くなったカサドシュに捧げられていたのも、悲しさをさらに演出していた)。
 友人たちの計らいで、モロッコに転地療養、現地の民俗音楽に触れながら、気分も高揚し、明るさを取り戻し、楽譜に向かう彼。「ボレロ」の依頼者から、再度バレエ音楽の委嘱を受け、音符を苦労しながら書き付けるものの、とても完成には至らず、さらなる失望感を味わう彼の落胆ぶりは見ている方も辛い・・・。
 そして、手術のシーン・・・。手足を縛られベットに横たわる彼。当時、全身麻酔は脳を肥大化させるという理由から、頭部の部分麻酔だけで頭蓋骨切断、脳の状況を見るという方法で、なんという残酷な・・・。かなりの痛みも伴ったという。そして手術は成功せず・・・。当時、脳神経外科医はフランスでも2人しかいなかったという。70年前とはいえ、現在とはあまりに環境が違うわけだ。私の父も脳手術をしているので、現代の医学との歴然たる差に驚く。
 最後に、ラベルの弟子ロザンダールが言っていた。ラベルの死後すぐのオーケストラの演奏会で、ある奏者が言った。ラベルは死んでも、ラベルの作品はずっと、全て演奏していきますよ・・・と。
 弟子は続けて言う。確かに今、そうなった。全作品が忘れられる事無く、顧みられない事無く、全ての作品が演奏される。こんな作曲家はラベルしかいない、と。

 私もクラシック音楽を好きになってゆく過程で、初めて、好きな作曲家、という概念で捉えることとなったのが、ラベルだったっけ。中学の頃、「ボレロ」に夢中となり、「スペイン狂詩曲」「ダフニスとクロエ」「マ・メール・ロア」「ラ・ヴァルス」、2曲のピアノ協奏曲等々・・・・と聴き進み、次々と期待を裏切らぬ作品の登場に、同一作曲家の作品を追うという楽しさが子供の頃から自然に感じ取られた。その後、ショスタコーヴィチやニールセンにはまっていく原型は、その当時のラベル体験の幸福さの延長にあるのだろう。やはり愛すべきラベル、我があこがれのスターだ。その認識を新たにするとともに、彼の無念に、やりきれぬ思いがつのるばかりだ。

(2006.3.18 Ms)

 NHK以外のクラシックを取りあげた番組ももちろん応援いたしましょう。
 TBS系の「情熱大陸」、昨年もバイロイト進出した大植英次氏のドキュメントがありました。今回(2006.1.29)放送分は、ベルリン・フィルの首席ヴィオラ奏者、清水直子氏。昨年末のジルベスター・コンサートの様子を交えつつ、トルコ人の夫君との生活も。ラトルも絶賛する実力。ただ、「フィガロの結婚」序曲ばかり流れていたのはややもの足りず。一瞬写った、ヒンデミットの無伴奏ソナタの激しさ、こちらをもっと聴きたかった・・・などと思うのだが。激しいリズム感に慣れた現代人にとっては、こういうものも充分受け入れられるだろうになあ。

(2006.1.31 Ms)

 今月のNHK−BS。ピアノ・ソロ・リサイタルで注目すべきもの2つ。男性ピアニスト。
 まず、上野真氏(2005.10.19 NHK大阪ホール)。丁度、昨年末、碧南でのATMの室内楽コンサートのゲストとしての彼の安定した演奏を、ドビュッシーのチェロ・ソナタ、フランクのヴァイオリン・ソナタ、ドヴォルザークのピアノ五重奏曲で生で堪能したところ。
 今回の放送では彼のテクニックをこれでもか、と見せつけられた。シューマンの「トッカータ」、ドビュッシーの「練習曲」抜粋、リストのソナタ、バラキレフの「イスラメイ」。興味の度合いは、曲が進むにつれ、曲自体の魅力が・・・ちょっと・・・と個人的に感じてしまうが、とにかく、きびきびした動き、溌剌とした表現、魅力は充分だ。特に感銘深かったのは、今回初体験のシューマン。初期の作品で、ひたすら指の練習みたいな動きが続く中、転調の意外性や、若々しい疾走感など、曲自体にも輝きがある。

 続いて、鈴木弘尚氏(2005.9.22 紀尾井ホール)。以前NHKの地上波で放送された、浜松のピアノコンクールの特別番組でも大きく取りあげられ、かなり有名になった若手である。その時の印象は、迫力という面よりは、繊細さ、デリケートな表現。
 さて、ラフマニノフの「音の絵」抜粋、ピアノのヴィルトゥオーゾの作品なれど、「どうだ凄いだろう」という勢いづいた雰囲気よりは、ロシアの哀愁が濃厚。ハ長調、ニ短調もの。また、ニ短調の作品はピアノ協奏曲第3番のフィナーレのテーマを思わせるモチーフが折り込まれ面白い。ニ長調のものは和音打撃も多用された激しさが良い。(個人的にはエレーヌ・グリモーの演奏が殺気立ったような異常なほどの興奮がかなり印象深く、この「音の絵」を聴くたび、そういった激しさを期待してしまう)。
 続くシューマンの「交響的練習曲」も、高度なテクニックの露出よりは、ロマン性の表出にこそ重点が置かれていたように思う。もちろんかなりの錯綜したリズム、困難なテクニックもあるし、それもきっちり丁寧に弾きこなされているように思う。作品自体も、変奏曲という形式ながら、かなり独創的な変奏の数々、シューマンの並々ならぬ意欲が伝わる。
 最後に聴いたヒナステラ「アルゼンチン舞曲」から「はぐれ者のガウチョの踊り」は、一転して、ラテンの血が騒ぐような、そしてジャズの即興みたいなアグレッシヴなテンションの高いもの。意外な一面も見せてくれた。

 ここで終わっておけば気分も良いが、新年恒例のNHK名古屋ニューイヤーコンサート。バッハのオルガン曲、前奏曲とフーガ、ト長調のものが、無伴奏Vnソナタのト短調のフーガと酷似したテーマなのが印象的。ちょっと期待したヴィラ・ロボスのギター小協奏曲は、印象薄し。また、ドヴォルザークのチェロ協奏曲第3楽章、ソリストとオケが喧嘩しているような妙な感じ。どうも名古屋フィルの演奏するコンチェルト、こういう、雰囲気の悪いものによく遭遇するな。平気でソロを殺したりとか。それこそ、かつて打楽器が張り切り過ぎて、ソロの聞こえないヒナステラのハープ協奏曲なんていうのもあったっけ。元気な名古屋・・・ってことで許しておく・・・のか・・・。

とにかくシューマン没後150年の始まりに相応しく、シューマンの若々しいピアノ作品と向き合うことが出来たのが嬉しい1月(2006.1.30 Ms)

 2006年。まずは一言書かなきゃ気が済まない。
 NHK改革の行方は大いに気になる。チャンネル数の減、それもBS・・・。私のように地方に住む者にとっては、NHKのクラシック番組は大いなる楽しみのひとつ。東京まで行かずして様々なリサイタル、コンサート体験ができるわけで、何を置いても、放送、それも公共放送の使命の一つとして、優良な番組を継続していただきたい。視聴率が尺度ではない。我が日本、高度経済成長期の「エコノミック・アニマル」も今や死語ではなく、Hリエモンこそ、日本の負の象徴たるアニマルではなかったか・・・そんな拝金主義横行が多いに気になる昨今、経済性だけが尺度ではない、国際的にも恥じない、文化、芸術の砦としての放送を期待する。確かに、民放でも多少はクラシック番組もあるが、何せ、商業主義濃厚で、CMが交響曲の楽章ごとに入るは、時間制限で勝手にカットするは、デリカシー不足の、何とも恥ずかしい姿勢が気になりすぎる。
 とにかく、NHK頑張れ、と言いたい。こんな人間もいるということ、主張しておきたい。そんな意味もあって、さかんに、TV鑑賞体験は、このコーナー(もちろんN響・室内楽のページも含めて)に書き続けたい。(2006.1.30 Ms)


2005年

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