某K市民管弦楽団 第11回定期演奏会 〜新たなる時代への胎動!輝ける未来を信じて!!〜

大英帝国の繁栄と衰退と

〜未完に終わった「威風堂々」〜

 イギリスの生んだ最初の国際的作曲家であるエルガー(1857〜1934)の代表作「威風堂々」は、誰もが知っている有名曲であろう。日本においても、入学式、卒業式などの式典に欠かせない音楽として定着している。しかし、その「威風堂々」が未完成な作品であることは案外と知られていない。
 実は本日演奏する「威風堂々」は第1番であり、全部で5曲「威風堂々」は作曲されているが、最後を飾るべき第6番が構想のみで完成されなかったのである。その辺りの事情はなかなか興味深いので紹介しよう。

 今世紀最初の年、1901年、第1番と第2番が作曲されているが、7つの海を支配する大英帝国を築き上げたビクトリア女王の治世最後の年でもあった1901年は、新世紀を迎えた祝祭的な年であると同時に、大英帝国繁栄の真っ只中の年でもあった。
 そこに、まず誕生した第1番は、その繁栄を謳歌する華やかでスケールの大きな作品となっている。「軍隊行進曲」の副題にもかかわらず、2台のハープさらには、パイプオルガン(残念ながら本日は使用しませんが)まで登場する管弦楽法からして、血なまぐさい「軍隊」ではなく、例えば、国王が儀式を執り行うといった式典的な色彩の濃い「行進曲」と言えよう。なお、当時としては驚異的な、7人を要する打楽器の起用も目を見張る効果を上げており、鈴やタンバリンの音色が祝祭的ムードをおおいに盛り上げている。
 しかし、対する第2番は、短調でかつ武骨な感じのする作品だ。第1番がイギリス本国の繁栄を描くものなら、第2番はその繁栄を支える植民地経営のために血を流す本当の「軍隊」のための「行進曲」かも知れない。
 さらに、続く第3番は、やはり短調で、その悲壮さはさらに濃厚である。作曲された1904年頃には、大英帝国の衰退が徐々に囁かれ始めていた。南アフリカの金とダイヤモンドを目当てにしたボーア戦争の苦戦、国際的非難、女王死後の享楽的風潮(温泉ブーム、グルメブーム、健康ブーム、海外旅行ブーム・・・現代日本そのまま!!)、つまりはイギリス本国人の軟弱化等々、将来を憂える声が急速に高まってゆく。「栄光ある孤立」を保っていた大英帝国も、極東におけるロシアとの対立のため、小国「日本」と同盟せざるを得ないほどに状況が悪化していた。そんな将来への不安が、この第3番を覆っている。
 第4番は、1907年の作で、再び長調に回帰している。が、その構成、さらに中間部の旋律が第1番に瓜二つで、パロディ的な力のない作品となっている。第1番ほどの感動もなく、ようはカラ元気なのである。そして程なくヨーロッパは第一次大戦へと突入、大英帝国も勝利は得たが疲弊、超大国の座をアメリカに譲ることとなる。
 第5番は、時代がずっと後になり、1930年、最晩年の作品だが、実は73歳の老人エルガー、既に創作力を失っていたのだ。
 彼が愛妻家であったのは有名である。若い頃、妻へのラブレターとして作曲された「愛の挨拶」は、バイオリンやチェロの独奏曲として結婚式の定番音楽となっているが、62歳の時、愛する妻を失ってからのエルガーは悲しさのあまり作曲が出来なくなり、自分の作品のレコードを聴きながら愛犬と戯れるだけの老人となってしまう。そんな中、無理矢理作られた第5番は最も覇気のない、「堂々」としていないものとなる。
 当時のイギリスも「堂々」たる国ではなくなり、没落の一途をたどるのみであった。エルガーの個人的事情、そしてイギリスの国力が、もはや新たなる「威風堂々」を必要としていなかったのだろう。当然、第6番は完成されようはずもなかったのだ。

 さて、経済大国も過去の栄光、我が日本も没落のさなかにあるのだろうか?いや、そんなこと考えるのはやめましょう。ノストラダムスも空振りに終わり、あとは2000年問題さえクリアできれば、我々には新世紀が待っている。100年前の祝祭的雰囲気を想起しながら、そして、輝ける将来を夢見ながら、「威風堂々」第1番、聴いてみましょうよ。

 なお、余談ながら、英語による原題は「Pomp & Circumstance」。私自身、高校時代、直訳して「壮観と環境」・・・・・???全く意味不明だったのを思い出す。
 実はシェークスピアの戯曲「オセロ」第3幕に登場するこの言い回し、「(戴冠式などの)盛儀盛宴」という意味なのだそうだ。しかし、それでは、文学的すぎて分かりにくいため、思いきった意訳をして「威風堂々たる陣容」、さらに短縮して「威風堂々」に落ち着いたとのこと。確かに、行進曲「盛儀盛宴」なんてタイトルでは、こんなに有名にならなかったのかも。江戸時代の蘭学以降の、外来語の日本語訳の歴史の中で、この「威風堂々」が名訳中の名訳と呼ばれているのもうなづけます。
 (参考文献:「なぜ国家は衰亡するのか」 中西輝政著 PHP研究所)

追記(映画「ブラス!」における「威風堂々」)

 この正月休み、ビデオで「ブラス!」という映画を見た。国家権力の前に、多数の炭坑労働者が失職する。その労働者たちによるブラスバンドが、苦難の末に全国大会で見事優勝するが、国に対する非難を訴え、優勝を辞退して帰ってゆく。そして、最後の場面は、ロンドンの町の中で「希望と栄光の国・・・」とつぶやきつつ、「威風堂々」第1番のトリオを演奏する。まさしく「希望と栄光の国」というタイトルの歌になっている部分だ。なんという皮肉であろう?労働者になんの希望も栄光ももたらさない国への疑問を残して映画は終わった。
 最後まで誇りを捨てなかった、老指揮者ダニー。彼の入院中、団員達が涙ながらに演奏する民謡「ダニーボーイ」の与える感動に比べ、最後の「威風堂々」はただ私を複雑な気持ちにさせるだけで、感動的な大団円からは程遠い。
 また、政府側の役職にありながら、労働者たちとともに戦ったヒロイン、フリューゲル奏者のグロリア。まさしく「栄光」という名の彼女の生き方にこそ「希望と栄光の国」を創造する力を見出したのだが。
 しかし、音楽映画以上に政治映画でもあろう。サッチャーへの暴言がさりげなく挿入されていたり。日本なら、さしずめ「電電公社」か「国鉄」を舞台にこのドラマは繰り広げられ、「中曽根なんてクソ食らえ」などと登場人物が叫ぶのだろう。真っ向から取り上げれば、もっと悲惨な救われない映画にもなり得ただろうが(日本だったらそうだったろう)、音楽映画的な仮面をつけることで暗さ1色に染まるのをまのがれていた。日本では吹奏楽連盟の推薦を得ていたように記憶するが、吹奏楽部の少年少女たちには、演奏技術に舌を巻く以上に、国家とは何か?という視点を持ちながら見ていただきたい、などと思ってしまう。その視点を持ち得た音楽好きな若者達は、きっと近いうちにショスタコーヴィチの音楽に感動することになるのではなかろうか?(などと考えるうち、この映画をもっと早く見ていれば、上記のこの解説も、また違うものになっていただろう・・・。)
 最後に、ここ数年日本のTVでよく見られた、市民オーケストラや学校の吹奏楽部等を舞台にしたドラマに比べると音楽的には、全く違和感のない、素晴らしい完成度であったことをあえて付記したい。日本の一連のドラマにはただ呆れてしまったよなぁ。

新ミレニアム祝賀の雰囲気の中、転載す。新年最初の記事として相応しいと感じつつ(2000.1.3 Ms)


戦後日本の復興の原点 

〜平成大不況下に鳴り響け!!「トリニタ・シンフォニカ」!!〜

 芥川也寸志(1925〜1989)は、現代日本の生んだ最も優れた作曲家の一人である。原爆をテーマにし世界的評価を受けた、大江健三郎原作のオペラ「ヒロシマのオルフェ」のような大作もあるが「小鳥はとっても歌が好き」「靴をみがこう」といった童謡、大河ドラマ「赤穂浪士」水曜時代劇「武蔵坊弁慶」などのTVドラマの音楽、そして、師である伊福部昭(日本の誇る国際的映画「ゴジラ」の音楽を担当)と共に戦後の日本映画の映画音楽を担当する等、彼の残した業績はあまりに重要かつ膨大である。
 と同時に、NHKテレビの「音楽の広場」「N響アワー」の司会者として、クラシック音楽を人々に易しく紹介するタレントでもあり、また、30年以上にわたりアマチュアオーケストラ(新交響楽団)を指導し続けた情熱ある指揮者でもあり、また、晩年は著作権協会の代表として、作曲家の権利擁護のために働いた(なお、当時社会問題化し始めた海賊版レコード、カラオケ業界の著作権使用料未払い等への対応〜当然アウトローな人々とのトラブルにも巻き込まれたのだった〜によって彼の命がすり減った、と彼の友人、故黛敏郎氏は指摘する。)また、ご承知のとおり、文豪芥川龍之介の三男でもある(父とは3歳で死別)。
 そんな彼は、大正14年生まれ、昭和の年数と年齢が一致するのだが、平成元年1月、昭和天皇崩御の約3週間後に、上記のような超人的な仕事量もたたって、過労のために死亡、まさしく昭和の時代とともに生き、そして死んだ作曲家であった。享年63歳であった。

 さて、その彼が始めて世に問うた、オーケストラのための作品の第一号こそ、この「トリニタ・シンフォニカ」である。サッカーファンならお馴染のJ2「大分トリニータの命名の由来と同様「トリニタ」とは、イタリア語で「三位一体」のことである。ここでは、3つの楽章が統一されて一つの楽曲となる、という意味である。
 終戦後、東京音楽学校を卒業、23歳、1948年に完成された「トリニタ」には、当時日本で大流行していた「森の歌」の作曲家ショスタコーヴィチを始めとするソ連の音楽からの影響についてよく指摘されているが、それ以上に、その当時の日本の状況をうかがい知ることのできる作品であろう。

 第1楽章は、気まぐれな楽想を持つ曲だ。忙しく動き続けるファゴットの音型、その上にそれ以上に動き回るクラリネット。当時の白黒のニュース映像を思わせるような、少々早回りな世界。そこに戦時中の悲壮さはない。明るく、自由な時代を迎えた喜び、気楽さがユーモラスに描かれる。突然現れるピアノもモダンでシャレた雰囲気を醸し出す。
 第2楽章は、彼が最初の子供に恵まれた故のことかは知らないが、木管楽器が優しく語りかけるような「子守唄」のテーマを繰り返し歌い継ぐ(ひたすら同じ旋律が繰り返されるので、ホントに眠らないように気をつけて下さい)。戦時中の、空襲を恐れながらの戦々恐々とした時代は過ぎ、穏やかな眠りにつける幸福感がほのぼのと感じられる。しかし、その子守唄が途切れた時、オーボエにいかにも日本的な、そして嘆きを訴えかける旋律が歌われる。そう、戦争で失われた命は帰らない。今の幸福をつかむことなく散った家族、友人、恋人がいるのだ(彼の次兄もビルマで戦死した)。この辺りは、日本の映画音楽の立役者である彼の一側面が垣間見られよう。誰が聞いても、この部分は、映画、もしくはTVドラマ(私は時代劇を想起するのだが)の別れの場に聞こえるのではなかろうか?日本人の抱く、過去の日本のイメージそのままな旋律、かつサウンドである。私には、今となっては一種、懐かしささえ感じられるのだが、皆さんはいかがでしょうか?
 そして、曲は途切れずに、第3楽章へ突入する。メカニックな伴奏の上に、快速に流れる健康的なメロディーが歌われる。裸一貫、失うものは何もない。焼け跡から立ち上がり、日本の復興を目指して働き始めた、当時の活気ある光景が想像される。休む事無く、ひたすら前進し続ける精力的な音楽の奔流・・・・聴いていて何とすがすがしく、ワクワクすることか!この楽天思考こそ、現在の日本に必要なのではなかろうか?
 さらにこの旋律、30代以上の皆さんはきっと聴き覚えがあるのでは?1970年代初頭、某家電メーカーのテレビCMの音楽として、かなり有名になった部分である。時まさに、日本は敗戦国の汚名を返上、世界史上他の追随を許さない高度経済成長を成し遂げており、「トリニタ」は、日本の繁栄の象徴として、日本が世界に誇るその工業製品と共にあり、全国どこの家庭からも流れる管弦楽曲であったのだ。
 しかし、時代は流れ、高度経済成長も過去の栄光、芥川も昭和という時代と共に死んだ。平成の世は、出口の見えない不況のトンネル真っ只中である。そんな今年(1999年)、芥川の育てた新交響楽団が先陣を切り、没後10年に合わせて彼の作品を各地で演奏している。テレビCMから姿を消して四半世紀(25年)、ほとんど忘れられかけていた感のある「トリニタ」もプロ・アマ問わず今年は演奏の機会に恵まれており、本日の当団の演奏もその流れの中に位置付けられよう(付言するならば、5年ほど前、名古屋工業大学管弦楽団によって「トリニタ」は演奏されており、その歴史的意義は、おおいに評価され得ると考えます)。低迷する現代日本にとって「トリニタ」は、我々に何かを語りかけているようにも思います。そして、不況の出口へと我々を導いてくれる音楽なのかもしれません。

 昭和を生き抜いた一日本人が、戦後という時代に何を望み、何を賭けたのか如実に語るこの「トリニタ」、彼の没後10年を経て、やっとその地位が再確認され、日本の音楽の古典として定着しようとしています。記念すべき本年に(芥川没後10年、「トリニタ」初演50年)、愛知県で唯一の「トリニタ」の実演が本日当団によって行われるのです。是非とも、昭和を思い出しながら、新しい時代への希望を抱きつつ、鑑賞していただけるのなら幸いです。特に、戦中終戦直後を経験されている方にこそじっくりと聴いていただきたいですし、当団は軟弱な戦後生まれの団員ばかりですのて゜、終戦直後という時代の持つダイナミズムが充分表現できないこととは思います。ただ、精一杯、私たち自身の音楽として演奏したいと思っていますので、ご静聴、お願いする次第です。
 なお、当団団員によってネット上唯一の「トリニタ」関連ページが運営されており、楽曲に関する基本情報などが紹介されていますので、興味を持たれた方はどうぞ。こちらからどうぞ。

(2000.1.5 Ms)


ブラームスの1番と、芥川也寸志の死

〜とある昭和の思い出から〜

 まずは、個人的回想ではありますがご容赦ください。

 
 男子がピアノを習っているというだけで女子呼ばわりされていた山奥に育った私にとって、ピアノを習うということは、相当な決意の要ることであった。意を決して、小学5年生の時からピアノを習い始めたのだが、その原動力となったのが、芥川也寸志司会のNHKテレビ「音楽の広場」であった。彼の優しい人柄に憧れながら、クラシック音楽への親しみが涌いていったゆえの選択であった。
 さて、その番組の「成人の日」にちなんだ回の事はよく覚えている。通常は、在京のプロオケによる演奏なのだが、その回はどこぞの大学オケが演奏を担当していた。そして最後の曲の紹介の時、芥川さんが、
 「私は恥かしいんだけど・・・・彼ら(大学オケ)がどうしてもって言うんで。」
とはにかみつつも演奏した曲こそ「トリニタ・シンフォニカ」のフィナーレであった。
 「芥川さんの20歳の頃の作品で番組を締めたかったんです。」
とコンサートマスターの男性が言ったかどうかは、記憶もあやふやなのだが、そのコンマスの爽やかな笑顔が一瞬アップになったのは覚えている。
 ベートーヴェンもチャイコフスキーも限られた小品しか知らない10歳前後の私にも「トリニタ」はわかりやすく、楽しく、魅力的な音楽であった。その時、私は思った。
 「芥川さんは、いろいろな人から好かれているんだな。ボクも芥川さんのような作曲家になりたいな。」
 早速、ピアノを習い始めたときから書きためていた曲を整理して、番組宛てに発送した。
 「芥川さんに作曲を教えてもらいたいです。ボクの曲の感想を教えて欲しいです。」
 しばらくして番組から返信がきた。
 「ピアノを習い始めてすぐにこれだけの曲を作曲されたことにスタッフ一同驚いています。しかし、あなたのような人は日本中にたくさんいます。芥川さんはとても忙しいので、まず身近な先生方に相談されたらいいですよ。」
 そんな手紙を受け取って、私は、芥川さんの目に楽譜が届かなかったのをとても残念に思った。芥川さんの弟子になるという、小さな(無謀な)夢は無残に散った。

 さて、先生に相談しようにも、田舎においては、前例のない途方も無い夢であり、中学、高校とさまざまな軋轢の中、作曲からは遠ざかり、受験勉強を前提としたシステムに私も組み込まれ普通の大学に進学、「音楽の広場」も放送終了、中学以降ポップスも含めた雑多なFMラジオの音楽番組に傾倒するうちに、芥川さんとも疎遠になっていった。
 私は、中学から吹奏楽部に入ったのだが、大学ではオーケストラに入団、3年目にしてようやく自分の団におけるティンパニ首席が舞い込んできた。曲は、ブラームスの交響曲第1番。ティンパニ奏者にとって難曲中の難曲であるそのブラームスと格闘しているその間、芥川さんの訃報が耳に入る。
 「ブラームスの・・・・・1番を・・・・・・・・聞かせてくれないか・・・・・・・・・・」
 彼の臨終の言葉がそうだったらしい。
 1989年1月亡くなった芥川さんのために私は同年5月、ブラームスを演奏したのだった・・・・・・・・・・・・。

 この作品は、20年以上の作曲期間を要した苦心の作であり、創作者の苦悩をまざまざと感じさせるものである。作風が違う芥川さんが何故に、人生最後の瞬間、この作品を思い、それを渇望されたのか・・・・・・・それは私には分からない。しかし、彼の死とこの作品を対置させて様々な憶測を重ねた結果、「人間の人生」をこの作品に重ね合わせることで、一つの理解へと達するのではないか、と結論するにいたったのだ。人は死の瞬間、自分の人生のあらゆる場面が走馬灯の如く脳裏を駆け巡るとも言うではないか。その走馬灯のBGMとして、この作品は流れ得るのではないか?

(2000.1.8 Ms)

 第1楽章の冒頭、余りにも重く苦しい音楽が始まる。ティンパニによる圧倒的な荘厳なる同音連打。まさしく、胎児が母のお腹で聞く音だ。人間の安静時における心臓音と同じテンポに設定された序奏は、人間の誕生という悲劇の幕開けを告げる。この世に生を受けたがために、人は皆、思い悩み、苦しむ。生れ落ちたか最後、社会の構成員として重圧の中の人生が開始される。そんな救われがたい絶望が第1楽章で展開される。
 ブラームス自身も、交響曲の作曲において20年に渡る「産みの苦しみ」を味わったのだ。芥川さんも作曲家として同様な苦しみを味わい続けた。私達演奏者も、音を出す「産みの苦しみ」にまみれながら、ブラームスの深遠な世界を再現しなければなりません。
 第2楽章は、そんな根源的な苦悩に満ちた人生における救いの音楽だ。人間にとっての救い主とは・・・・・・、神か仏か、はたまた某宗教団体の教祖か・・・・・(人間社会全てを救済するなどという空想は信じるべきだろうか?)やはり、まず母だろう。生物の中で最も不完全な形で産まれるヒトにとって、成長するまでは、母性愛に守られてこそ生存は可能だ。その「母性」が、ソロ・バイオリンに象徴される。当楽章には「魅力的な旋律が無い」との批判もあるが、恋人や愛人ではないのだ。母に多くの人をたぶらかすような魔力は不必要。また、母の腕に抱かれた時、子供は安心してスヤスヤ・・・・。存在を押しつけない自然な感情である母性愛に満たされてこそ、悲劇的なる人生は始めて救われるという訳だ。
 ブラームスは(マザコンで)一生年上の女性を求め続けた。故に独身だったかは知らないのだが、崇高なる女性像への憧憬がこの楽章から感じられるようだ。芥川さんも、父を知らずに育った子供として、母をとても愛し、また大事にしていたという。
 第3楽章もまた一つの救いである。母の次なる人生の救済とは「友」であろう。この楽章は、木管楽器の牧歌的なムードが支配的であり、前楽章までに比べ、屋外への飛躍を感じさせる。母の手厚い保護から脱して次段階より子は、自らの力のみを頼りに我が家とは別に社会生活を営み始める。そこでの友情関係あってこそ、人生の悲劇は緩和されよう。
 最後の第4楽章は、まず第1楽章の悲劇性の再現より始まるが、その陰鬱さをティンパニの怒涛のトレモロが否定した後、朗々とアルペンホルンの旋律が吹奏される。これこそ、彼が愛する女性、クララ・シューマンへ送った歌の旋律だ。結局、二人の結婚は叶わなかったが作品中では結婚がほのめかされている。ホルンによるプロポーズは、しっかりとフルートによって肯定的な返事がなされているではないか!!

ああ、めでたや!!!(この「愛の挨拶」は、彼の結婚への夢想を思わせる)つまり、最終的に「配偶者」という救いをもって人生は悲劇性を払拭するのだ!!!(なお、このブラームスのバーチャル結婚に物足りなさを感じる方、少々お待ちください。もうすぐ本物の「愛」もお聞かせしますから)。
 (注・・・本番ではアンコールとして、エルガーの「愛の挨拶」弦楽オケ版が演奏されています)
 (我が団にも結婚を待ち望む男女が多数おりますので、より説得力ある演奏となりましょう。)続く、弦楽器による、ウィスキー(その名も「響」)のCMでも有名な柔和な幸福感に満ちた主題が「響き」渡る時、我々は、人生の持つ根源的な悲劇性を脱し、それぞれの幸せを手にするという訳だ。ベートーヴェンの「歓喜の歌」もかすかに聞こえてくる。

 芥川さんも、こんなイメージをブラームスに持ち合わせていたのだろうか?人生最後のBGMとして望んだブラームスの1番。私は10年前、芥川さんの死が導いた上記のようなイメージを持って演奏に臨んだのだが、果たして皆さんはどう感じられるのだろう。

 最後に、ベートーヴェンの「第九」との関連性についても補足しておきたい。
 ブラームス自身は「第九」との類似性の指摘に、「聴く耳を持たない者は、何でも同じに聞こえるんだ!」と反論した。つまり「第九」とは違う歓喜である自信を持っていたようだ。ベートーヴェンは神の下に全人類が(それも皆兄弟!)幸福になると歌うが、ブラームスはそんな絶対的な幸福を全ての人に押し付ける危険性を察知したのか、個人個人が努力、切磋琢磨した後に自力救済される、という幸福を描いたのではなかろうか?
 この思想こそ、現代の問題である宗教ブームへのアンチテーゼとなろう。軟弱なる現代人は、某教祖の如き絶対的存在に身を売り、他力本願による幸福を得ようとしているのではないか。ベートーヴェンの歓喜もそれに近い危うさがある。今こそ、ブラームスの20年以上の自力救済の結晶にもっと耳を傾けなければならない、と言えないだろうか?不安な世紀末から、幸福なる新時代を迎えるには、各個人の自力救済の努力こそ必要であろう。
 さて、そこで私はふと気付くのだ。今回の演奏会は、各3曲ともに、新時代に向けて、我々を明るい気持ちにさせ、かつ、重要な指針をも教えてくれるのではなかろうかと。
 さぁ、皆さん、今回の演奏会をステップに、新たな時代の創造に向かい頑張ろうではありませんか。

新たなる時代への胎動! 輝ける未来を信じて!!

 

(なお、ブラームスの1番に関しては、拙著「世紀末音楽れぽおと」の中で、2種のさらに詳細な解説がお読み頂けます。あわせてご覧ください。)詳細はこちら

今年の年始に相応しい内容だ!と自画自賛しつつ、また、小学生の頃、はるか20年前の成人式の思い出を手繰り寄せつつ(2000.1.10 Ms)

 

演奏会前に掲載された11回定演予習ページはこちらへ


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