刈谷市民管弦楽団 第11回定期演奏会 

予習を兼ねた曲目解説

 

1999年11月14日(日) 午後2時 刈谷市民会館において

刈谷市民管弦楽団 第11回定期演奏会 が行われます。


演 奏 曲 目

ブラームス  交響曲第1番 ハ短調 作品68

芥川也寸志  交響三章 (トリニタ・シンフォニカ)

エルガー  行進曲「威風堂々」第1番 ニ長調 作品39−1

さて、気になるこのコンサートのコンセプトは、如何に!!


 

新たなる時代への胎動!

輝ける未来を信じて!!(仮)

 


 1999年、世紀末へのカウントダウンは開始され、ノストラダムスの預言、オウムの復活、コソボをめぐる危機、そして未曾有の大不況、と今や、時代は混迷の度合いをさらに深め、先の見えない、不安な時代の真っ只中に我々はいる。

 そんな時代にあってこそ、芸術、そして音楽は、我々に救いをもたらすものとして、その存在価値をますます高めていると言えるだろう。

 そこで、不安と混迷の時代にあって、人々に、救済の一筋の光明をもたらすような、希望と勇気を与えてくれるような、そんな演奏会として今回は位置付けたいと考える次第である。

 ブラームスの第1番は、もう既にご承知のとおり、「苦悩から勝利へ」「暗黒から光明へ」という、ベートーヴェンの短調交響曲(運命・第九)の延長上にある作品である。ベートーヴェンの9つの偉大な交響曲を継承するという大事業に着手し、20年余の歳月をかけてその課題を見事達成した、努力の結晶でもあり、その苦難の過程を共にたどりつつ、歓喜あふれるフィナーレに至ったとき、我々は、輝ける未来を信じることができるだろう。
 なお、曲の冒頭は、ティンパニによる、胎児が聞く母親の心臓音を思わせるものである。我々に課せられた新時代の創造は、当然
「産みの苦しみ」を伴うものだ。ここに、底の浅い、予定調和的な、生ぬるい喜びを思わせるものは無い。ひたすら、演奏者も聴衆ですらも、心してこの作品に取り組む必要があろう。この、苦境から脱出するハードルは、予想以上に高いのだ。充分、承知されたい。

 交響三章は、1948年の作。まさに、日本が敗戦のどん底から、高度経済成長に向かってひた走るそのスタート地点に位置する作品である。
 第1楽章「奇想曲」は、後に「エコノミック・アニマル」「働きバチ」と称されることとなる、日本人の「勤勉さ」を想起させるようなせわしない、忙しい音楽。正直なところ、少々悲壮感も感じられようが、しかし、楽観的な、おおらかなユーモアをも見せている。
 第2楽章「子守唄」は、平和の到来と共に、空襲の恐怖を気にせずに眠りにつけるようになった安堵感を思わせる。そして、中間部の、戦時中の悲劇を思わせる、日本的情緒たっぷりのエレジーに心打たれぬ日本人はいないだろう。ここには、
平和こそが全て、という祈りがひしひし感じられる。
 第3楽章「終曲」は、まさに前進あるのみの、人生肯定に溢れた底抜けに明るい、幸福感と笑いに満ちたもの。
 
さぁ、日本人たちよ、停滞の時代にあって、くよくよするなかれ。現代の繁栄を築いた、先輩方の生きざまを知れば、自信も回復することだろう。

 「威風堂々」は、今世紀の開幕を告げた、楽観的諸作品の一つ(マーラーの第5番、シベリウスの第2番、ニールセンの祝典序曲が有名だ)。七つの海を支配した大英帝国、その繁栄を謳歌する賛歌であり、新世紀を迎えた祝祭的ムードに満ちた、(当然にして)前向きな、行進曲だ。
 
新世紀が、平和と幸福に満ちた時代となるよう、我々も前進あるのみ!

 皆さん、今回のコンサートをステップに、新たなる時代の創造に向かい、がんばろう!輝ける未来を信じて!!

(1999.6.5 Ms)


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