旬のタコいかがですか? ’06 2月

(ショスタコBeachへようこそ!)

 

 

2006年 2月

当HP(交響曲第5番関連)が「レコード芸術」にて紹介

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<2> ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」における「引用」私論2006

<2−9> 歌劇「カルメン」の「ハバネラ」

 さて、本稿も核心に迫りつつ(?)あるようで、当方も慎重に筆を運ばねばならない。・・・随分と休憩をいただきました。
 その間に、東京芸大での、「ショスタコーヴィチ・シンポジウム〜ショスタコーヴィチ像の現在」(2006.10.21)が開催され、まさに、「カルメン」引用が話題の中心となるなど、この項を書くにあたっての影響も少なからずあり、その辺を整理しながら、書き進むべき内容の修正などもして望まざるを得なくなった、という面もある。さあ、待っただけのことがある文章となりますやら?

 まずは、私が1999年に当HPで展開した、「カルメン」引用について簡単にまとめておこう。(曲解」シリーズ第3回)・・・・『レコ―ド芸術2006年2月号』にて、亀山郁夫氏によって紹介していただいたことは、私にとっての大いなる支えとなりました。繰り返し、感謝の念を捧げたいと思います。

 ショスタコーヴィチの交響曲第5番第1楽章における第2主題再現、つまり、260小節のフルートから始まる旋律が、ビゼーの歌劇「カルメン」におけるカルメンの歌う「ハバネラ」の一節(ラ・ムール、ラ・ムール・・・「愛・愛」と歌う箇所)とほぼ同じであり、これは完全引用(誰が見ても引用元が特定できる)と考える(ただ、弦楽四重奏曲第8番の例のように、作曲家本人が言及しているわけではなく、偶然の一致、との可能性もないわけではないが、ここまで一致する旋律を書いておいて、偶然、とは私は考えにくいと思う。その気持ちは今なお不変である。)
 そして、引用する以上、何かしらの意味はあるはずであり、ここでブルックナーの「ワーグナー交響曲」の例のように、「ビゼーに対する敬意」を表する、という意味あいよりは、そこに歌われる内容、つまりは、「愛」それだけの単語に尽きるのだが、ショスタコーヴィチは、この部分で、聞き手に「愛」という意味を音楽に付与して欲しい、と思っていると、私は考えたわけだ。修辞的引用として、引用元の音楽に歌詞がある以上、それを伝達しよう、とするものである。
 そこで、当時(1999年)の私は、交響曲第4番の撤回を、娘ガリーナの誕生と結び付け、この交響曲第5番は、家庭人としてのショスタコーヴィチの妻そして子に対する愛が背景にあって誕生したのだ、と考えた。つまり、交響曲第4番を発表して、体制に挑戦状を突き付けるのをやめ、体制の中で生きるための作品を生み出す契機としての「愛」の存在を歌いあげた、というわけだ。

 さらに、第1楽章で「カルメン」の「ハバネラ」の存在を意識するなら、第4楽章のコーダで高らかに金管楽器で吹奏される主題(冒頭の主題を簡略化し、さらに短調から長調へ変化させたもの。325小節以降)も、同じく「カルメン」の「ハバネラ」の中の、合唱による、あいの手の4つの音(A-D-E-Fis)と同じであり(付け加えるなら、主旋律の下を支える内声、A-Fis-A-Dまでもが一致している)、リズムも拡大されてはいるが、それぞれの音価は同じとなっている(つまり、ショスタコーヴィチを速く演奏すれば、ビゼーがより明瞭に浮かびあがる)。
 ただ、たった4つの音(内声も含めれば8つの音だが)をもって、引用と言えるかは疑義が残る。確かに、これは次項で詳細を述べるが、「ソードーレーミ」という音の動きは、古今東西いくらでも例があり、偶然の一致の可能性は多いに高いものである(バーンスタインのTV番組のテーマにもなったもの)。
 しかしながら、この部分だけ見れば、偶然の一致と考えても良いが、既に、第1楽章で、露骨な「カルメン」、それも長大な歌劇の中での特定の「ハバネラ」という歌の一節が聞こえてきた以上、私の耳には「ハバネラ」の一節として、このコーダは聞こえて来るのだ。さらに、このニ短調の50分近い作品で、継続したニ長調の響きが聞こえるのは、まさにこのニ箇所のみ。調性まで引用元と同じである。私は、このコーダも、「ハバネラ」からの引用、として見る。ただし、第1楽章の例以上に異論もあるでしょうから、不完全引用(引用元が誰の耳にも明らか、とは言えない)としておこう。
 そして、やはり引用元に歌詞がある以上、修辞的引用として解釈するなら、この合唱は、「気をつけろ」と歌っているわけで、最後の高らかな凱歌に「ご用心」という意味を伝達しているのが作曲家の本心である、と考えるものである。
 その、用心は、何に対するものかは、「ハバネラ」の引用だけでは判断のつかないものである。「カルメン」においては、カルメン自身が、「私に惚れたらご用心」と歌うのだが、ショスタコーヴィチにおいては、それとは違う用心であろう(ショスタコーヴィチ自身が、人民の敵である私とつきあうのはやめたらいい、との思いを歌ったとも考えられようが、ショスタコーヴィチが引用しているのは、用心すべきは私、という歌詞の部分まで含んではいない)。そして、他の引用やら、成立過程などの検証を踏まえ、この「用心」は解釈されるものとなろう。ただ、個人的には、引用され長調で高らかに歌われる勝利の雰囲気(この作品の結論)こそが「ご用心」という単純な解釈こそ、説得力はありそうだ。

 なお、1999年における私の論考では、「カルメン」からの引用、として、その最後の「ご用心」の意味を愛にからめてみたり、そもそも「ご用心」という歌詞を離れて、「カルメン」と同様に女性主人公の悲劇を歌うショスタコーヴィチのオペラ「マクベス夫人」復活等々の意味付けもしているが、厳格にこの引用を考えるなら、「ハバネラ」における「ご用心」という歌詞部分のみをもって判断すべきで、オペラとしての「カルメン」全体に思いを馳せてしまうのはやりすぎ、なのかもしれない。
 ということで、この項も、「カルメン」の引用ではなく、「カルメン」の「ハバネラ」の引用、というテーマになっているのです(細かいですが)。

 最後に、私なりのポイント、なのだが、この2箇所の引用とも、音楽の構成からみれば、主題の最初の提示、で引用をしているのではなく、提示では「ハバネラ」との関連性はかなり希薄、である。そして、提示の後の展開で徹底的に取りあつかったあげく、最後に、引用であることが明される。ここに、ショスタコーヴィチのしたたかさ、があるわけで、主題提示の瞬間で、引用元がわかるような出し方をすれば、一体これは何の意味だ、と詮索されかねないだろう。しかし、主題の再現(古典派のようにまるっきり同じ主題として帰ってこないのは多分にマーラー的なのだが)において、引用元と似ている分には、主題の展開の結果がこうなったんです・・・偶然の一致でしょう・・・、としらばっくれることが可能であろう。意識して主題を引用したんじゃないよ、と言い訳するための方策なのではないか、と、この引用の登場は私には思わせるのだ。

 という具合いに復習したところで、最近の、「カルメン」引用説の、専門家の主張など紹介していこう。
 まずは、N響の定演プログラム雑誌「フィルハーモニー」2005年5月からの抜粋(第1541回定期、パーヴォ・ヤルヴィによる5番の名演を思い出す)。そして、先月の、ショスタコーヴィチ・シンポジウムにおける一柳冨美子氏の言及。この2つを取りあげる。

(2006.11.27 Ms)

 まずは、N響の定演プログラム雑誌「フィルハーモニー」2005年5月からの抜粋。

 千葉潤氏による、『運命のアイロニー プラウダ批判とショスタコーヴィチの<交響曲第5番>』より、

 この交響曲の最も目立つ特徴は、個々の音楽素材から楽章全体の様式にまで及ぶ引用性の豊富さである。特に、ベートーヴェンの<運命>や、<第9>への仄めかしは、ほとんど無意識的に、”英雄的”な連想をかき立てる。(中略)
 しかし、ベートーヴェンへの言及は、この作品に織り込まれた引用のネットワークの表層でしかない。この曲に複雑な陰影を与えているのは、むしろ、聴き取ることのより難しい他の引用であろう。どの引用を重視するかに応じて、作品解釈も大いに異なったものとなる。

 と、前置きして、数種の例を出しつつ、最後に紹介するのは、

 さらに、ロシアのアレクサンドル・ベンディツキ―や、マナシール・ヤクーボフは、第1楽章第2主題の再現と、ビゼー<カルメン>の<ハバネラ>の有名な”L’amour! L’amour!”との旋律的な類似(どちらもニ長調)を含む、両作品の主題連関を多数指摘し、1930年代半ばのショスタコーヴィチとエレーナ・コンスタンチノフスカヤ(結婚後、実際に”カルメン”姓を名乗った)との愛人関係が、この交響曲の内的標題であるとする(!)、驚くべき解釈を打ち出している。

 といった具合です。
 1年半ほど前、この指摘に初めて目を通した時、99年に私がHPで書き綴って、どうにもわからなかった、「何故、カルメンなのか」に対するあまりに的確な回答だ、と目を見張ったわけだ。まさか、ショスタコーヴィチの愛人に、将来カルメンを名乗る女性が当時存在しようとは、さすがに想像すらしなかった。結局、当時の私の結論は、妻子への「愛」(L’amour!)を歌いあげる引用としか想像できなったのだ。
 しかし、どうだろう、この交響曲の内的標題が、愛人カルメンに関わるもの、とまでは今の私には思えない。そういう一面もあったのかもしれない、しかし、それをクローズ・アップしすぎるのも曲解になりすぎないか?ということで、ショスタコーヴィチ・シンポジウム(2006.10.21)における、一柳富美子氏の主張が、この愛人「カルメン」を中心に据えた第5番解釈であったので、ここに紹介させていただきます。
 当日、配られたレジュメの内容を転記させていただきますと・・・

 まず、『関連年表』

1932  . 恋人タチヤーナ・グリヴェンコ、長男を出産。 
  ショスタコーヴィチ、タチヤーナを断念し、ニーナ・ヴァルザルと結婚。
1934   エレーナ・コンスタンチノーフスカヤとの恋(夏だけでも42通)
  愛称はリャーリャ(「リャ」はロシア語の「ラ」と全く同じ)
1935   エレーナと公然の交際。離婚危機。ニーナ妊娠、エレーナと別れる。
1936   密告によりエレーナ投獄さる。
  01.28. プラウダ批判。同日、エレーナの不幸について手紙で言及。
  05.30. 長女ガリーナ誕生。
  11月以降、エレーナ、渡西し記録映画技師R.Carmen氏と結婚。
1937 妻ニーナ、再び妊娠。交響曲第5番。
1938   05.10.長男マクシーム誕生

 続いて、『ビゼ<カルメン>からの引用との比較』 (レジュメにおいては、楽譜が紹介・ここでは省略)

 続いて、『プーシキンの詩による四つの歌曲』から第1曲<復活>拙訳』 (同上)

 交響曲第5番第4楽章再現部の手前で引用される、歌曲の伴奏部分に対応する歌詞として次のように紹介されています。

 かくして 苦しみ抜いた私の魂から
 誤解や思い違いは消え去り
 初めての頃の清らかな日々の幻影が
 心の中に湧き上がってくるのであった

 さらに最後に、『交響曲第5番終楽章コーダ(324小節目)のテンポとソ連国内の出版譜』

 1939年 四分音符=188
 1947年 八分音符=184
 1956年 八分音符=184
 1961年 四分音符=188
 1980年(旧作品全集第3巻) 四分音符=188

 324小節目から終りの358小節目の間に252回のラ(=リャ)が連呼される
 早いテンポだと「リャーリャ=エレーナ」、遅いと「ヤー=私」が強調される
 (作品に女性が登場する例:交響曲第10番第3楽章)

  楽譜・書簡から判断すれば、政治や体制とは無関係の、従来とは全く異なる解釈が可能 

つづいて、レジュメの補足説明を(2006.12.13 Ms)

 当日の一柳氏の主張を耳にした人間として、補足するなら、
 作曲当時1937年、直前まで続いた、かつての愛人リャーリャへの思いが作品に投影されている、という証拠として、「カルメン」の引用は位置付けられ、プーシキン歌曲からの引用にしても、歌曲全体の意味ではなく、引用された箇所に特定して意味を吟味し、そこに女性への思いが込められている、という解釈になるわけだ。参考に、歌曲全体の訳として、私がかつて転記したものを再掲すれば以下のとおり。

未開人の画家が うつろな筆さばきで 天才の絵を塗りつぶし 
法則のない勝手な図形を その上にあてどもなく描いている。

だが 異質の塗料は年を経て 古いうろこのようにはがれ落ち
天才の創造物はわれわれの前に以前の美しさを取り戻す。

かくて苦しみぬいた私の魂から かずかずの迷いが消えてゆき
はじめの頃の清らかな日々の幻影が 心のうちに湧きあがる! 
 (全音楽譜出版社 ショスタコーヴィチ歌曲集 1 より)

 歌詞全体を見渡せば、上演禁止になった歌劇や、発表を取りやめた交響曲第4番の「復活」を思わせるものともなろうが、一柳説ならば、恋心に重きを置く意味付けとしての引用になる。

 最後の、リャの連呼は、シンポジウムでも他のパネリストからも、やや異議をもって迎えられた主張。この指摘は、ラの音の連続をそこまで解釈できるかどうか、私としてはなかなか苦しいような気もする。ただ、絶対ありえない、とも言い難いのだろうが。

 ただし、一柳氏としては、政治・体制との関係で生まれたのではなく、人間ショスタコーヴィチの感情、それも恋愛感情が吐露された作品として、解釈したいとの念が強かったようだ。様々な作品に対する言及(言葉)よりも、楽譜を詳細に検証することで、従来の解釈と異なるものが浮かびあがる、ということを力説されていた。楽譜をじっくり見ることには私も大賛成、しかし、今回の説(リャの連呼)は、やはり、そういった面もあるのかもしれないが・・・、というレベルに留まる話に思えてしまう。
 私の最大の疑問は、かつての愛人が、スペインでカルメン姓を名乗ったことが、ショスタコーヴィチに知り得たのかどうか、の一点。

 以下は、99年に私がHPでまとめた年表だが、36年11月以降のリャーリャの結婚の事実が、すぐロシアのショスタコーヴィチのもとに情報として届き得たかどうか?ただ、プロの研究者の方が主張されているので物証なりはあるのだとは思うのだが、それを確認しないと、私としてはにわかに信じられない。まして、投獄され海外へ亡命?した人間の消息が、まして大粛清の最中、それも、ショスタコーヴィチ自身マークされていた時期に、海外からの手紙なりで知ることは可能だったのだろうか?(現実の朝鮮半島北部の状況などから想像するに、ソ連史の素人なりにも、かなり困難と推測してしまうのだが。)

時期 作曲及び作品発表の状況 社会状況 家庭状況
1932/5/13     ニーナと結婚
1935/9/13 交響曲第4番作曲開始    
1936/1/28   プラウダ批判(歌劇に対する)  
1936/2/ 6   プラウダ批判(バレエに対する)  
1936/5/20 交響曲第4番完成    
1936/5/30     娘ガリーナ誕生
1936/8月   第1次モスクワ裁判(大粛清)  
1936/12月 交響曲第4番リハーサル開始
初演中止
この前後「プーシキンの詩による4つのロマンス」を作曲
   
1937/1月   第2次モスクワ裁判  
1937/4月 交響曲第5番作曲開始    
1937/6月   トハチェフスキー元帥秘密裁判・処刑
(ショスタコーヴィチのパトロン・理解者)
 
1937/7月 交響曲第5番完成    
1937/11/22 交響曲第5番初演(名誉回復への第1歩)    

 とりあえず、愛人がカルメン姓を名乗ったことをショスタコーヴィチが知らなければ、このヤクーボフ・一柳説は説得力を欠くわけで、そのあたりの詳細が今後明らかになれば、このHPのこの項も書き換えさせていただきたい。現状としては、こんな説もある、という紹介だけに留めたい。

 ということで、今現在の私の思いとしては、カルメンなる女性との関係は作品に関係付けず解釈したい。
 すると、やはり、第1楽章の「愛」の連呼たる、「カルメン」の「ハバネラ」の引用は、妻子への「愛」故にこの作品は存在する、という証明に思えてならない。一柳氏が、この引用をもって、人間ショスタコーヴィチの感情に思いを寄せたい!と主張したのと同様な気持ちは私にも感じるが、対象が、愛人ではなく、妻子、ということだ。一柳氏は、この「ハバネラ」の引用が、ホルンとフルートのカノンで奏される点も指摘し、ここに男女の思いを聴いているようだが、それは、私も同様。しかし、愛人とのデュエットではなく、妻とのデュエットとして聞こえるのだ。
 今一度、私の作成した年表を眺めても、娘の誕生が、交響曲第5番誕生への大きな役割を担ったような気がしてならない。
 確かに、妻が身ごもる中で第4番の作曲は批判後も続けられ、娘の誕生後も、第4番の発表へと彼のチャレンジ(独裁体制への挑戦だ)は続く。
 しかし、その発表後のことを想像するに、傍らにいる1歳に満たぬ娘の姿を見ながら、ショスタコーヴィチは何を思ったか?
 芸術家としての信念と、初めて父となった家庭人としての感情と、・・・・その両者にさいなまれたのが、1936年の年の瀬の彼の偽らざる姿ではなかったか?・・・(いつもの妄想・曲解ではある)。
 そして、結果として、第4番を撤回、名誉挽回の為の交響曲を書くとなった時、この作品の前提としてあるのは、家庭人としての彼の家族へのまさしく愛だと、作品に刻印するとなった時、彼に、まさに「愛、愛」と歌う旋律が去来したのだろうか・・・そんな想像も興味をそそるじゃないですか?
 結局、あれから私も7年、変わってなかったなあ。

(2006.12.15 Ms)

 さて、今一度、ここで、もう少し詳しく、第1楽章の「ハバネラ」引用を見てゆきたい。とにかく、純粋に楽譜だけを頼りに、「ハバネラ」と、ショスタコーヴィチの書いた音楽を比較検討である。楽譜こそ、様々な議論の出発点である。・・・一柳氏も言ってみえましたね。この際、隅々まで目をこらし、そして、その結果は以下のとおり。

 ここでは、「ハバネラ」との、旋律線そのものの共通点以外に、その周囲やら、そこに至る経緯も含めて、気がついた点を列挙しよう。
 まずは、その旋律線の登場の仕方について2点挙げたい。

 @ 曲自体はニ短調で開始され、ニ長調に転調した所から、明るく朗らかに「愛、愛」と歌い始める。
 ショスタコーヴィチにおいても、一応、主調はニ短調で(かなり無調的だけれど)、初めてニ長調として安定するのが、「ハバネラ」の引用箇所の直前となっていて(259小節目。ハープの和音もニ長調主和音を強調する。)、続く260小節目からが「愛、愛」という旋律だ。
 また、その直前は、楽章冒頭に見られたニ短調からの無調的な逸脱に比較すれば、おおいにニ短調的(243小節目 Largamente以降。ティンパニのA−Dの繰り返しが安定したニ調を印象づけ、253小節目以降のAの音の保持も属音(第5音・・・調性音楽としては、主音に継ぐ重要な音である)としての機能を充分果たしていよう。ただし、あえて注釈するなら、楽章冒頭、主題提示で7小節目に現われているEsの音が、オーケストラの絶叫と化す243小節以降に頻出しており、フリギア旋法への指向は持っていて単純なニ短調とも言えないが・・・)で、ニ短調からニ長調へという、古典的な調性感が素直に感じられる仕組みとなっている(少なくとも構成音、Fisに変容する意味において、短調から長調への解決が聴覚的に確認できる)。
 この、素直な安心感を促す、明瞭な、同主長調への移行は、全曲を通じても異例(ちなみに、フィナーレのニ長調のコーダを導く直前に、ニ短調は微塵もない。60小節以上前にあるのみ。)である。ニ長調の明るい響きが、ことさら強調されているように思える箇所となっている。

 A また、ハバネラの伴奏リズムまでもが、歌い出しの直前に、暗示的に聴かれる。
 ビゼーの「ハバネラ」はもちろん、付点音符を用いた伴奏リズムが、常に歌の伴奏として聞こえているが、ショスタコーヴィチにおいても、「愛、愛」という部分における伴奏ではないが、その直前において、楽譜を仔細に見れば、そのリズムは浮きあがってくる。
 すなわち、254小節目以降のリズムだけを取り出せば、全くハバネラの伴奏音型リズムと一致してしまう・・・(偶然かもしれないが、恐るべき事実なのだ)。細かく見れば、ティンパニを主とするタ・タ・ターという、全曲を通じての指導動機 + 低音楽器による第1楽章冒頭の付点のリズム、この両者を同時に鳴らすと、ハバネラの伴奏リズムが完成。ちなみに、冒頭主題のリズムは、本来は、複付点8分音符+32分音符だが、この該当箇所では、付点8分音符+16分音符。あえて、ビゼーのハバネラ・リズムとなるよう、リズムの変更がされているのだ。
 「さあ、これから、ハバネラを歌いますよ」
という意識的な変更やもしれぬ・・・まあ、専門家に言わせれば、純音楽的には、トロンボーンにこのリズムを任せる際、あまり細かなリズムは不得手、という点、さらに、冒頭よりも重厚に時間をかけて響かせたい、という要請に基づくもの、と一蹴されるだろうが。あえて、ハバネラ・リズムに一致している事実だけは大書して指摘したい気持ちではある。偶然にしては出来過ぎではないですか。)。

 とにかく、ニ短調からニ長調に転調する転換点で、ビゼー、ショスタコーヴィチともに「愛、愛」が歌われる点は意識しておいてよかろう。この、短調→長調という転換を経てすぐに歌われる「愛、愛」だからこそ、この部分が主人公「カルメン」の束縛を離れた自由な飛翔のようなイメージを持って立ち現れる点は、ビゼーにおいても、必然的な音楽の流れであったろうし、ショスタコーヴィチにおいても、「愛」こそが、荒れ狂う困難な時代にあって、未来への希望をつなぐ存在となっていたという告白として捉え得るのでは、と思わせるのだ。

(2007.2.24 Ms)

 「ハバネラ」引用を導くプロセスについて以上見て来たが、さらに続いて、B その「ハバネラ」引用部分を伴奏している和声についても確認したい。
 作品全体の結論として置かれた揺るぎ無い、フィナーレのコーダのニ長調以外で、唯一、長調(それもニ長調)を一定時間、確立させているのが、第1楽章のこの箇所なのだが、ニ短調を主調としながらも、無調的な部分もかなりの部分を占め、一定の調性を継続させない第1楽章のなかで、「ハバネラ」引用の箇所は、あまりに快い癒しを提供していないだろうか。
 だと認識していただけるなら、理由は、和声的な観点から言えば、ほぼ完璧な古典的なカデンツ構造(T−S−D−T)を響かせていることに由来しよう(<ド・ミ・ソ>−<ド・ファ・ラ>−<シ・レ・ソ>ー<ド・ミ・ソ>という、あまりに典型的な和声連結)
 ビゼーも同様の和声づけをしているが低音の分散和音での伴奏となっており、ショスタコーヴィチにおいては、弦5部とハープによって、純粋に和音そのものを同時に響かせていて譜面上も一目瞭然となっている。
 もちろん、ショスタコーヴィチも交響曲を始め、第5番以外にも調性的な音楽を書いてはいるが、あくまで「調性」、なのであって、古典的な和声感・機能和声に基づいた、ズバリ「調性音楽」でない方が多い。例えば、彼の交響曲第1番にしても、フィナーレのコーダで、へ長調の主和音が鳴ることはあっても、その前後はへ長調とは無関係な和音が鳴っていたりする(最後の1音の手前の和音は、変イ短調の主和音であり、コーダではこの和音がへ長調の主和音と交互に出てくる。)といったように、それ単体では協和音として使用していたとしても、古典的なカデンツとして各和音が連結されているとは限らない。(ドビュッシー以降の20世紀の「調性的」な現代音楽は、多くがこのように書かれているはずだけれど。)

 とするなら、第5番第1楽章第2主題再現は、わざわざ、この部分だけ、古典的、教科書的、18・19世紀的に、書かれている。書法の面から、かなり異質な部分、であることは認められ得るのではないか。19世紀の音楽をそっくり和声も添えて移植して来るからこんなことに・・・と言ってしまいたくもなるのだが・・・。

(2007.2.25 Ms)

 さらに、根本的な観点から、眺めよう。なぜ、再現部で、この旋律線なのだ? 主題提示の部分と、旋律のおおまかな流れ(上に行くか下に行くか)は共通しながらも、旋律線の各音の音程関係が違っている。その展開の経緯を拾ってゆけばどうなるか。
 C 第2主題が「ハバネラ」に似てゆくプロセスを追う。
 あいかわらず、楽譜を記さずにドイツ音名だけである点、ご容赦ください。ちょっとわかりにくくなりそうだ。そこで、主題提示・再現におけるこの旋律自体は、2分音符(2拍)のアウフタクト+ 6拍のロングトーン の組みあわせなので、その2つの音を「 」としてくくって、その音程関係も( )で書いてみよう。オクターヴ上行は、oct、と略記します。

 主題提示(51小節目)・・・「B−(oct)−B」(4度上)「Es−(7度下)−F」(4度下)「C−(oct)−C」(7度上)「B−(3度下)−G」

 オクターヴ上行が、最も特徴的なのは明白。そして、7度音程が、不安定なムードを漂わせる。

 この主題が、展開部における様々な変容を経た上で、次のように変化して、再現部で登場する。本項で、ビゼーの「カルメン」の「ハバネラ」の完全引用と主張するもの。

 主題再現(260小節目)・・・「(oct)(4度上)(3度下)」(5度下)「E−(oct)−E」(4度上)「A−(3度下)−Fis」

 ここでは、フルートの旋律を掲げた。
 オクターヴ上行は不変だが、7度音程は消滅し、和声も前述のとおりニ長調を確立させ安定する。提示部とは旋律線の輪郭は似ているが、その性格はかなり変貌している。
 そして、最初の4つ音の動き(A−A−D−H)が、そのまま5度上で繰り返されている。結果、オクターヴ上行→4度上行→3度下行 という動きが強調される。カノンで追いかけるホルンの動き「D−D」「G−E」「A−A」「D−H(音程関係は、フルートの旋律線に全く同じで記載は省略。)も考慮に入れれば、計4回、この4つの音の動きは繰り返されていることとなる。
 この、4つの音の動きは、唐突に再現部で出現するわけではなく、徐々にその姿を明らかにしてゆくことが確認できる。

 続いて、展開部における変容の過程を見る。

 Ver.1 (107小節目)・・・「Fis−(oct)−Fis」(4度上)「H−(7度下)−C」(4度下)「G−(oct)−G」(6度上)「Es−(3度下)−C」
                 ヴィオラによる。若干の音程の変更。7度下行が、短7度から長7度に変更で、不安定さを増す。

 Ver.2 (157小節目)・・・「F−(oct)−F」(4度上)「B−(7度下)−C」(6度上)「As−octAs」4度上「Des−(3度下)−B」
                 4分音符が続く、短縮型。前半は低弦。後半は木管。
                 前半は主題提示と同じ音程関係。後半は、再現部と同じ音程関係。
                 後半は最後の音が伸びずに、控えめな形。
                     (どさくさ紛れ?に、一瞬のスキをついて初めて「ハバネラ」を思わせる音程関係の旋律線が出る。
                      この初登場は、他の例に比べてわざわざ判りにくい形になっている)

 Ver.3 (168小節目)・・・「C−oct−C」4度上「F−3度下−D」(oct下)「D−(oct)−D」(6度上)「B−(3度下)−G」
                 これも短縮型。低弦等による。前半が、再現部と同じ音程関係。
                 後半は、Ver.1の後半と同じ音程関係。
                 (前半には、高弦による応答もあり。低弦の4度上を正確にカノンで。「F−F−B−G」)

 Ver.4 (220小節目)・・・「F−(oct)−F」(4度上)「B−(3度下)−G」(oct下)「G−(oct)−G」(7度上)「F−(3度下)−D」
                 こちらは拡大型。トロンボーン・チューバ等による。
                 前半が、再現部と同じ音程関係(Ver.3の高弦と同じ音高)。
                 後半は、主題提示の後半と同じ音程関係。

 これらのプロセスを経て、

 主題再現(260小節目)・・・「(oct)(4度上)(3度下)」(5度下)「E−(oct)−E」(4度上)「A−(3度下)−Fis」となる。

 オクターヴ上行→4度上行→3度下行 という動きが結論として設定され、それを用意周到に、緻密な計算に基づき、提示部の主題から徐々に展開部を通じて変容させていることは明らかだろう。

(2007.3.3 Ms) 

 さて、主題再現におけるこの8つの音のうち、最初と最後を除く6つが、ビゼーと全く一致する。7つ目のA音は、オクターヴ相違してはいるが音としては同じである。
 念のため、ビゼーにおいては、旋律線は周知のとおり、「Fis−(3度上)−(4度上)(3度下)(5度下)(oct)」(5度下)「−(4度上)−D」。

 この微妙な相似形が、これまた計算づく、と私には思える。完全な一致ではないから、「引用ではないか?」という問いに対して、「違います」と堂々答えられる。しかし、「A−D−H」という音程関係、「E−E」というオクターブ上行、そして音価(それぞれの音の長さ)の一致からして、「ハバネラ」を知る人間には、どうしても「ハバネラ」が頭をよぎるように書かれている。

 ここでの私の曲解・・・ビゼーからの引用ならば、誰も攻めることはなかろうに? ストラヴィンスキーやヒンデミットからの影響なら、批判の対象だろうが。ただ、ここで「ハバネラ」をそのまんまそっくり引用して、この箇所に埋め込んでも、和声的には全く問題なく通用するのに、あえて微妙に相違する旋律を書いたとするのなら理由は何だろう。引用であることが明白となるように、完全に一致する旋律を書けば、「愛」をここで象徴的に表現しているということがあからさまになるのだが、それは避けねばならぬことだったのか?「カルメン」自体が忌避されなければならない理由はないだろうと考える。「カルメン」演奏禁止令は当時のソヴィエトに存在しただろうか?

 そこで、フィナーレのコーダの問題が浮上する。第1楽章第2主題再現が「ハバネラ」引用と断定されれば、フィナーレのコーダの4音(A−D−E−Fis)もまた、「ハバネラ」引用であると勘ぐる可能性は大いに高まる。そうすればその引用元で歌われている歌詞、「気をつけろ」「ご用心」というメッセージがますます明瞭となろう。ショスタコーヴィチの意志としては、歓喜のニ長調の中に混入した「気をつけろ」という叫びを、判る人には伝えたかった、しかし、体制側から突っ込まれるのは避けたい・・・その判断が、第1楽章第2主題再現における、「ハバネラ」8音中のうち微妙な6音の引用最初と最後はあえて違う音にした)という形を取ったのではないか?聞き手に「ハバネラ」を思わせつつも、逃げる余地を残すための旋律線が、この姿(8分の6の割合の一致)なのでは、と勘ぐるのだがどうだろう?しかし、和声はビゼーからそっくり拝借することで、判る人には判る、という可能性を高めているように思うのだ。この、単なる旋律線の一致のみならず、和声の一致をも思う時、偶然の一致と一蹴するのは私には乱暴な気がしてしまう(とは言え、あい変わらず断定はできない。しかし、可能性の確率Upではあると考える。)。

 と、ここまで、第1楽章で「ハバネラ」を意識させた上での、フィナーレのコーダであるのなら、A−D−E−Fis(及び、内声のA−Fis−A−Dを含む)という旋律の形、そして、リズムの一致、は単なる偶然というより、充分に意識的なもの、と私は捉えたい。
 短調と無調にまみれた第5番において、全曲中、唯一、かつて響いた、古典的なカデンツに基づく、ニ長調のハーモニー。これが、中間楽章で全く登場せず、やっと、フィナーレの最後に再現した時、ある聴衆は、第1楽章に経験した一時の安らぎを想起するかもしれない。その時、「ハバネラ」の「愛、愛」が聴衆の記憶に残っているのなら、「ハバネラ」の「気をつけろ」が自動的に浮かびあがってこよう(フィナーレのコーダが、楽譜どおり、四分音符=188で駆け抜ければ、なおさらである)。
 ただし、「気をつけろ」というメッセージがそう易々と見破られないための布石として、多義的な意味を付与することが可能な、ソ−ド−レ−ミ、という使い古された、過去の名曲で使用例が頻出する旋律線であることは押さえておこう。次なる大きなテーマにもなろう。それは、さておき・・・ 

 第1楽章第2主題再現と、フィナーレにおける全曲の帰結・結論が、固く結びつく様を思う時、これは、ショスタコーヴィチの第5番固有の問題ではない、ということを気付かれる方もおられよう・・・フィナーレを導く重要な役割を持っている第1楽章第2主題再現・・・という図式、それは、ショスタコーヴィチの第5番に始まったことではないのではないか。ベートーヴェン、チャイコフスキーを思い出して見よう・・・。ここで、「第1楽章第2主題再現」を課題として、もっとメスを入れたい。この部分が、いかに重要な箇所か。「運命」交響曲の結論・運命の克服を導く、仕掛けどころとしての「第1楽章第2主題再現」。この観点で、ショスタコーヴィチの第5番のモデルとなり得たであろう諸作について、一度、詳細に見ておきたいと思う。

 社会主義リアリズムという要請(強制)が、きっと、手本として、ベートーヴェンの「運命」「第九」、さらに同民族の先駆者としてのチャイコフスキーの4,5番あたりを想定していたのでは、と前項<2−8>においても最初に記したところだが、このような、一連の、「暗黒から光明へ(苦悩を突き抜け、歓喜へ至れ)」型交響曲には、その最後の、決定的な歓喜の絶叫に至るまでのプロセスが巧妙にかつ説得力をもって仕組まれている。ようは、伏線がしっかりと周到に張られているのだ。
 結論たる長調(例えば、ベートーヴェンの「運命」におけるハ長調)が、唐突に、その場限りの調性として出てくるのではなく、必ず、前もって少しづつ示されているのだ。そういった、過去の手本と比較するなら、ショスタコーヴィチの第5番においても、結論たるニ長調を共有する2箇所が強力に結び付いていることを主張できるのではないか?と考えるのだがどうだろう。ということで、ここから先に進む前に、一度、今、挙げた一連の、「運命」を克服する「歓喜」の交響曲たちの、結論たる長調への伏線の存り様を見ておきたいと思うのだ。場所を替えて、ベートーヴェン論、チャイコフスキー論を展開しよう。そして、また、この場所に戻る予定。

クラシック音楽「曲解」シリーズ第4回にて、「第1楽章第2主題再現」を考察する。こちらへ。(2007.3.4 Ms) 

 

 

 

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