現代は「永遠の真理」即ち「時間と空間を超えて成立する普遍的原理」は存在しないと考える人が多くなっているようです。ニイチェは「神は死んだ」と云い、人間諸科学の発展は、16〜19世紀の西欧の哲学者が探求した「神の摂理」(註)の存在にも疑問符を付けました。個別科学の発展、価値観の多様化は普遍的ルールを追究する精神を一層希薄にしています。哲学を持たず、反省することが無く、信ずるに足るものを持たない人生は人々を刹那主義に走らせ、犯罪を多発させることでしょう。このような傾向に歯止めをかけるには、広範な科学の成果を取り入れても根底の思想が揺るぐことのない世界宗教が必要です。

 ゾロアスター教の「天国と地獄」、「最後の審判」の終末思想はユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通するものですが、その宗派教学は科学的批判に耐えられるものではありません。仏教にも「地獄と極楽」、「末法」の思想があり、ゾロアスター教の影響と考えられますが、神の存在を前提とせず因果応報の思想と結び付けていることは評価できます。
 しかし、現代の仏教は葬式仏教となり僧侶は墓守となって生気を失っています。人権派弁護士の故遠藤誠氏は「日本のお寺に仏教はない」とし、自分の法律事務所で仏教の講義を始めていました。仏教寺院だけではなく新興の教団を含め宗派教学は文字だけの虚学となり、真実を追究する精神は見られません。

 真実を追究するためにはドグマを捨て、すべての執着を断つ自己否定が必要です。
興隆期の仏教は自己否定と真実を追究する精神を持っていました。仏教は「非の哲学」だったのです。

 第二の仏陀といわれる竜樹は自分の仏教解釈を「仮」説とし、その内容を「空」と説いています。
これこそ真実を追究する者の姿勢であり、科学の精神です。
 仏陀の悟った真実とは何であったのか?その真実の内容は「不二の法」という表現にあると考え、私の「仮説」を展開したものが以下の小論です。

●「不二の法」とは?

●部分真理と全体真理

一元居士


(註)ニコラス・クヌーザスの影響を受けたジョルダノ・ブルーノーは異端とされ、火あぶりの刑に処せられたが、世界は無限で多数の天体があると考え、コペルニクス的世界観を認めている。15世紀の前半を生きたクヌーザスは、無限の真理は把握できないとし、「対立物、矛盾するものの一致」を「神」としている。「神の摂理」を「自然の摂理」と考えることが許されるなら、異端の神学には仏教思想と共通するものがある。


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