辰巳の会の異議申立書を石川県が1年7か月も放置

(2001年8月29日掲載)


 辰巳の会が行政不服審査法にもとづいて1999年12月に提出した異議申立書が、石川県によって1年7か月もの長期にわたって何らの処理もされず放置されていたことが明らかになりました。

 辰巳の会は、8月8日、県庁を訪ねて谷本正憲知事あての抗議文を提出しました。

 応対した県土木部の小林正樹次長は、「県民には知る権利が、県には説明責任があるという意識を県庁全体がつよくもたなければならない」「今後、職員の情報公開条例に対する意識を高めるよう努力する」と述べました。そのために自分自身が指示して対応するとの見解も表明しました。

 同時に、小林次長は、公文書公開請求の件数が多いこと、とりわけダム関連の請求が多いことや、人手不足などの事情を挙げ、情報公開関連業務に遅れが生じることにもやむを得ない面があるとし、辰巳の会が抗議文で求めた文書での謝罪や責任の所在の解明、責任者の処分を拒否する姿勢を示しました。

 辰巳の会は、県幹部があれこれの“事情”を挙げて曖昧な態度をとっていることが、職務に対する職員の弛緩した態度の温床になっていることを指摘し、あらためて謝罪と責任の所在の解明、責任者の処分をつよく求めました。


異議申立書の長期放置など不当な対応に抗議する

2001年8月8日

石川県知事
谷本正憲様

兼六園と辰巳用水を守り、ダム建設を阻止する会 
事務局長 碇山 洋

 公文書公開請求に関する一部非公開の決定に対し、行政不服審査法にもとづいて当会が貴職に提出した異議申立書がおよそ1年7か月もの間、何らの処理もされず放置されていたことが明らかになりました。経過の概要は以下のとおりです。

 (1)1999年9月17日、辰巳の会、県が市民グループを騙し討ちにして公共事業評価監視委員会に提出した秘密文書『犀川水系辰巳ダム治水計画に関する所見』の作成・提出の経過を知るため、公文書公開請求。

 (2)99年10月4日、県、『所見』執筆者(岐阜大学・藤田裕一郎教授)と執筆依頼に関与した監視委員(金沢工業大学・川村國夫教授)の氏名などを非公開とし、公文書部分公開を決定。

 (3)99年12月1日、辰巳の会、一部非公開とその理由を不服として、行政不服審査法にもとづいて異議申立書(A)を提出

 (4)2000年1月5日、県、「その後の事情変更」を理由に公文書部分公開決定を撤回し全面公開に。行政情報サービスセンターを通じて「ことを荒立てないために異議申立書を取り下げてほしい」という河川開発課(当時;現ダム建設室)の意向が辰巳の会に伝えられたが、辰巳の会は取り下げを拒否。

 (5)2000年5月9日、県、異議申し立てを却下する方針であることを辰巳の会に伝える。辰巳の会は情報公開審査会に諮問するよう要求。

 (6)2001年4月1日、改正情報公開条例施行。

 (7)4月19日、辰巳の会、内川ダム等の公文書(2月13日請求)の不存在決定について異議申立書(B)を提出。

 (8)5月2日、辰巳の会、これまでに知事あてに提出した諸文書が提出後どのように扱われたかを示す公文書(4月23日請求)の公開決定期間延長について異議申立書(C)を提出。

 (9)7月10日、県、Bの情報公開審査会への諮問、Cの却下を決定。

 (10)7月13日、辰巳の会、A〜Cが提出後どのように扱われたかをしめすすべての公文書を請求(D)。

 (11)7月17日、県、Aの却下について起案。

 (12)7月26日、県、Aの却下を決定。

 (13)7月27日、県、Dの部分公開を決定。

 (14)8月2日、辰巳の会、Dで請求した公文書の公開と説明を受ける。

 以上の経過(とくに(10)〜(13))から、県が異議申立書Aを99年12月の提出からずっと放置しつづけ、最近の公文書公開請求Dに慌てて却下のための作業に入ったことは明白です。行政不服審査法にもとづいて県民が提出した異議申立書を、県が1年7か月もの長期間にわたって店晒しにしてきたことは、きわめて不当かつ悪質であるといわざるをえません。

 8月2日に応対した河川課・尾崎良一課長補佐は、(5)の辰巳の会の主張を受け却下して問題がないかずっと検討してきたが、2000年4月の改正条例施行で異議申し立ての利益がない場合は却下すると明文化されたので、疑いの余地なく却下が適当と判断して却下の作業に入ったのだと弁明しました。

 このような言い訳はまったく通用するものではありません。Cも同じく訴えの利益がないとの理由で却下されています。改正条例施行下で同様に訴えの利益のない異議申し立てが2件あって、あとから提出されたCは2か月足らずで却下を決定しているのに、その後もAは、Dが提出されたのちの7月17日まで却下の起案さえされていないのです。Dの提出がなければ、ずっと放置されたままになっていた可能性さえあります。

 もし尾崎課長補佐の説明が本当だとすれば、問題はより深刻です。県は、条例改正前には却下が妥当と判断できなかった異議申し立てを、条例改正の動きを知って放置し、改正条例施行を待って却下したということであり、いっそう悪質な意図をもっていたことになります。

 また、Aの供覧処理票は、供覧開始の日付として提出日の1999年12月1日が記入されているものの、供覧終了日の欄が空白のままの杜撰なもので、Aが正常に取り扱われなかったことを物語っています。

 条例で規定されている期限を大きく過ぎるまで公開・非公開の決定がなされなかったり、永久保存文書が紛失されていたり、紛失されたはずの文書の一部がその後発見されながら発見の連絡をしてこなかったりと、当会の一連の公文書公開請求にたいする県の対応はきわめて杜撰なものですが、それに加えての今回の異議申立書放置の発覚は、県が辰巳の会の公文書公開請求活動に対して意図的なサボタージュをしているのではないかという疑いをさえ呼び起こすものです。

 この間の県の対応に対して、当会は、経過の調査と公表、責任の所在の明確化、再発防止策の策定と公表などを文書で申し入れてきましたが、県からは何らの反応もありません。今回の問題を含め、知事が経過と責任の所在を不明のまま放置するのであれば、これら一連の問題が一担当者、一担当課の問題ではなく、知事を含め石川県庁ぐるみの法律無視、条例無視といわれても仕方がないでしょう。

 当会は、今回の異議申立書の長期放置、ならびに公文書紛失の責任の所在解明の要求に対する無視など、当会の公文書公開請求活動への一連の不当な対応について、谷本正憲知事につよく抗議するとともに、以下のことを厳しく要求するものです。

1.今回の異議申立書長期放置について、谷本正憲石川県知事の名において当会に文書で謝罪すること。

2.今回の異議申立書長期放置について、責任の所在を明らかにして責任者を処分し、公表すること。

3.当会の公文書公開活動に対する一連の不当な対応について、谷本正憲石川県知事の名において当会に文書で謝罪すること。

4.当会の公文書公開活動に対する一連の不当な対応について、責任の所在を明らかにして責任者を処分し、公表すること。

 以上、抗議し要求します。知事の誠意ある対応を期待します。


ホームにもどる   アーカイヴ目次にもどる