夢いっぱいの佐渡へようこそ。あおい空・きれいな海・やさしい風がお待ちしています。ご宿泊は目の前が海〜佐渡シーサイドホテル |
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※上記お問い合わせ 佐渡観光協会 0259-24-1955
※天領佐渡両津市薪能は入場券整理券(500円)が必要です。 佐渡の能 能の大成者である世阿弥が、佐渡に流された事はよく知られていますが、佐渡が能の盛んな土地柄であることとは、残念ながら関係なさそうです。佐渡で能が庶民のものとなるのは江戸時代になってからです。初代の佐渡奉行・大久保長安が、自分も能楽師出身だったせいか、奈良から能楽師一行を伴って佐渡にやってきました。この能楽師とその末裔たちが佐渡に土着し、春日神社をはじめとする神事能として佐渡の能が歩み出したというのが定説になっています。ただ、能を武家のものとする幕府の体制から、はじめの頃は能を舞うのは奉行所の役人たちでした。それが、元禄以降になると俄然庶民の演能参加が多くなってきます。これは、佐渡の宝生流家元・本間家の影響が大きかったようです。 佐渡の能舞台 大正13年(1924)に佐渡を訪れた大町桂月の句に「鶯や十戸の村に能舞台」があります。戸数十軒ほどの小さな集落にさえ能舞台があるという雅な風景が目に浮かぶようです。現在も全島で32ほどの能舞台が残っていますが、かつては200以上もあったといいますから、能が庶民の手によって、島のすみずみまで村村の鎮守の祭りの場へと広がって行った事がよくわかります。 スクラップ
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