ピンク・レディー小辞典


泣く

デビュー前から解散まで、テレビでOAされたものに限っても、お2人が泣かれるシーンは数多く存在する。スタ誕の決戦大会、レコ大や歌謡大賞の受賞シーン、武道館コンサート、紅白辞退記者会見、後楽園ファイナルなど・・・意外にも解散記者会見では涙はなかったかな?
どちらかと言うと、ケイちゃんの方が涙もろいのかな?このへんについて、数年前のお2人へのインタビュー記事で興味深いものがある。ミーちゃん「あとで(スタ誕決戦大会の)テレビを見たら、私は(スカウトのプラカードが上がった)その瞬間ワーッと抱きつこうとしていたのに、ケイはもうひとりで泣いている。(笑)」ケイちゃん「その後デビューしてから、レコード大賞や歌謡大賞をもらったときも同じなの。(笑)ミーはいつも私の方を向くんだけど、私はすでにガーッと泣いているから、また元に向き直る。」
私としては、スタ誕決戦大会やケイちゃん盲腸直後の武道館エンディングなんかが感慨深い。

生放送
PL現役当時は歌番組全盛期であり、生放送もかなり存在していた記憶がある。「紅白歌のベストテン」「夜のヒットスタジオ」「ザ・ベストテン」など・・・
当時私が感心していたのは、お2人忙しくて、いつも飛び込みでリハーサルの時間なんか無いのに、番組によって歌がワンコーラスであったり、ワンハーフであったり、それによって間奏の振付も変わってくるし、まして当時は生演奏でテンポつかむのも大変だろうし・・・「よく振付も含めて間違えないで歌えるな。」
まあ、今思えばプロ意識の強いお2人のこと、そのへんは難なくクリアだったのでしょう。でも、それなりの緊張感はあったようで、ケイちゃん曰く「生番組では心臓が毛穴から全部出てしまうような・・・」こともあったらしい(^^;)。

仲よしこよし

「仲よしこよしの見本です」・・・あるPL写真集で、お2人が手をつないでいる見開き2ページの写真につけられたもの。失礼ながら陳腐なタイトルで当時はあまり意識しなかったが、今となってはPLの本質を鋭く表現しているタイトルに思えてならない。


似ている

PL時代、ケイちゃんが似ていると言われたタレントさんは?キャンディーズのランちゃんとか、坂口良子さん・・・とか言われていたような気がする。でも、実際は髪型とか似ているだけで、そんなに似ていないのでは?ミーちゃんは誰に似ているのかな?

人気

PLの人気は正に国民的と言える。デビュー当時のターゲットが中・高校生あたり、ところが予想以上に子供に受けたということで、ターゲットを低年齢化していったと、よく言われる。確かに、レコードを買ったり、ファンクラブに加入したり、PLグッズを買ったり、コンサートに行ったりという顕在的なファン層は、そのあたりなのだろう。でも、私が思うに、PLにはもっと幅広い潜在的ファン層(例えばオジサン?)がいたからこそ、国民的人気・国民的アイドルと言われたのだろう。

先日亡くなられたオリコンの社長さんは、人気という目に見えないものを指標化したいという動機で、ヒットチャート誌を作ったのだそうだ。皆さんご存じの通り、このオリコンで、PLは連続1位や連続ミリオンセラーなど様々な記録を作り、PL人気というものを目に見える形で世間に示した。ところで、PLのシングル売上げは、最高のUFOで150万枚くらい?今の若手歌手などは、当時のPLを上回り(勿論CDとレコードの単純比較は不可能だが)、1曲で何百万枚ものCD売上げを誇る者も多い。問題は、この事実だけで、人気についてPLと比較可能なのかということ。阿久先生が「歌が空を飛ばなくなった」と嘆かれているように、「最近はヒットチャートで何百万枚=国民的人気」ではなくなってきたような気がする。つまり、何百万枚もの売上げを誇る歌手でも、PLのような潜在的ファンが少ないから、国民的人気にはつながらないのでは。また、最近気になるのは、いきなり「何枚売れた」とか情報先行で、無理矢理消費者をあおって買わせるような図式が、PL時代より強くなっているような気がする。だからこそ、歌手としての人気が1年くらいしか持続しない場合が多いので は。
さて、本人たちも語っているが、デビュー当時のPLは、レコード会社などから、あまり期待されていなかったという。1996年再会の時、ミーちゃん曰く「私達デビューの時、あまりお金をかけてもらえなかった。」
「ペッパー警部」に火がつくまでは数か月を要した。と言うことは、PL人気は昨今流行の「情報先行の人気(砂上の楼閣のような作られた人気といっても良い)」ではなく「草の根型人気」と言えるのでは。だからこそ、四半世紀の間愛され続け、昨年の紅白出場も実現したのだろうし、再結成が何回もできるのだろう。
結局何が言いたいのか?結論!・・・PL人気は永遠に不滅です(^^)!



脱がせられるかな? 
いきなり下品なタイトルで失礼します。不快に思われた方がいらっしゃったら、ごめんなさい。これは1980年「世界英雄史」の頃、ある週刊誌に書かれたPL記事から。
「PLデビー当時、事務所サイドがお2人に期待したこと」のように書かれていた。勿論、文字通りの意味でなく「あの大胆な衣装を着てもらえるか」という意味。ここで取り上げるのもバカバカしい、悪意に満ちたデッチ上げPL記事の典型ではある。私も当時この記事に非常な嫌悪感を抱いた記憶がある。ただ、今、冷静に考えてみると、記事の内容はともかく、そのように勝手に感じていた記者がいたということなのだろう。

確かにPLの衣装は、当時のアイドルとしては(今でも?)大胆だった。男性ファンの期待?に答えたという面もあるが、心あるファンの中には心配だった方もいたのでは?常葉学園の先生がテレビインタビューで「あまりに(スカートが)短かったので、大丈夫かなと思った」と発言されていたのが印象深い。
周囲の心配とは裏腹に、あのミニルック・・・案外お2人は平気だったのかな?先日のテレビ番組にケイちゃんが出演されて、徳光さんに「(S・O・Sの頃には)大胆な衣装に慣れた?」と聞かれて「全然平気!」と、明るくケイちゃんケイちゃんのご発言。これには笑えると同時にほっとする気持ち。

塗り替える 
PLが塗り替えたものの一つにヒットチャートの記録がある。皆様ご存じの9曲連続オリコン1位の記録。当時、「銀座NOW」という平日夕方の番組にオリコンの社長さんが毎週出演して、オリコンのヒットチャート上位曲を紹介していた。私は結構この番組を見ていた。確かPLが「S・O・S」で初めてオリコン1位を獲得した際も、この番組を見ていた記憶がある。「ペッパー警部は4位止まりで1位はとれなかったが、今回初めて1位」と、紹介していたように思う。この時私は、初めてPL旋風というものを実感した。
そして、「渚・・・」で1位を獲得した際は、「これで天地真理の3曲連続1位の記録と並んだ」と紹介された。この時は、「何とか新記録を」と願ったものだ。そして、「ウォンテッド」で「連続1位の新記録」と紹介され「万歳!」となったわけである。

PLは何かと記録で語られることが多い。勿論、それはPL人気を実証するものとして無視することはできない。ただ、記録のみで語られることには抵抗がある。記録の裏に隠されたお2人の努力、プロ根性こそ、もっと語られるべきである。
さて、PLが塗り替えたもの、記録の他に何があるのだろう?それは、「既存のアイドルのあり方そのもの」かも知れない。昨年の世紀末紅白で復活が実現したことも、今年デビュー満25周年を迎えられることも、「既存のアイドル」を完全に超越しているのでは?

ねーえ
「『ねーえ』って言ったら、もう歌でしょ。あんまり、おしゃべりとかしなかったよね。」(1997年「再会」常葉学園の教室でケイちゃん談)これは、高校時代お2人がいかに歌に熱中していたかを示すもの。お2人が会うと、すぐ歌になったということである。
高校三年間、同じクラスになれなかったので、休憩時間に階段の踊り場なんかでも歌っていたとか。お2人は静岡からレッスン場のある浜松まで東海道線の鈍行で通っていたのだが、ある時乗客から「うるさい」と言われ、連結器のところで歌っていたことも。ミーちゃんの実家でレッスンの時は、お父さんに「うるさい」と言われるので、安倍川のほとりでレッスンしたことも。1996年「再会」では、タイ・マレーシアを旅行する番組にご出演。その時も、ずっと歌いっぱなしでディレクターに「たまには、しゃべって下さい。」と言われたそうだ。

いずれも、ミーちゃんケイちゃんの歌への情熱を示すエピソードとして興味深い。そして歌への情熱、これはPLが他のアイドルより際立っているものであり、PLの大きな魅力の一つと言える。勿論、その精神は、解散後のお2人にも脈々と受け継がれているように思われる。例えば世紀末紅白でも充分に実感できた。「ねーえ」から「歌への情熱」ちょっと飛躍しすぎかな(^^)?

寝相(ねぞう)
ミーちゃんよりケイちゃんの方が悪いのかな(^^)?デビュー当初、二段ベッドで上がケイちゃん下がミーちゃんの時、ケイちゃんの寝相が悪くて、「時計を落としてミーちゃんの顔に当たりそうになったことも。」(ケイちゃん談)これもケイちゃんケイちゃん?
後に二段ベッドを横に並べて寝ることになって、その心配は無くなったのかな(^^)?

合歓の郷(ねむのさと)
ヤマハのリゾート施設。詳細は不明なのだが、お2人が高校(クッキー)時代にこの場所で、歌のレッスンのため合宿に参加したことがあるらしい。「ヤマハの合歓の郷合宿と水泳教室が重なった時など、ちゃっかり教室の方を休んだけど、2人とも嫌われたりはしなかったみたい。」(あるPL本で同級生談)

根本美鶴代
[PL基礎用語]
ミーちゃんの本名。学校の友人には「ねもっちゃん」あるいは「ミッちゃん」とも呼ばれていたそうだ。「ミーちゃん」の名付け親はケイちゃん・・・らしい。


悩殺
PLの振付で悩殺ポーズは数多い。
中でも圧巻なのは「波乗りパイレーツ」のエンディングではなかろうか。そう、お2人が後ろ向きになって、髪の毛を上げて、うなじを見せるあのポーズである。これも土居先生のアイディア?
このポーズを初めて見た時、あまりのセクシーさに思わずめまいがした記憶がある(^^)。しかも、この曲の衣装がPLの衣装で一番大胆と言われる「ホットパンツ+ブラ」のパターンだったら、イチコロでダウン。そんな衣装・振付でも、少しもいやらしさを感じさせないミーちゃんケイちゃんは素晴らしいと思う。日本人体型の並のアイドルがやっても、さまにならないだろう。

野口庸子
PL時代の衣装デザイナー。「芸能界のお仕事なんて初めてだったし、ましてミニの洋服なんかあまりつくったことがなかった。」と、当時語っておられる。私はいつもPLの衣装を見るたびに「どうしてこんなにセクシーでかつかわいらしい衣装(サウスポーなんかその極致ですね)ができるのか」感心していた。野口様が新しい発想で未知の分野に挑戦したからこそ、あの素晴らしい衣装ができたのだろう。
さて、野口様、雑誌のPL特集でコメントされたり、デザインされた衣装を前にPLとテレビで共演されたこともあった。ある雑誌では、「イメージが定着するまで脚を出そう」ということで、ミニルックが始まったように書かれていた。と言うことは「イメージが定着した段階で、ミニルックは打ち切り?」と当時私は解釈した。もしそうだとすれば「衣装の路線としては、PLも他のアイドルと変わらないのかな。」とも感じた。ところが、結局ミニルック路線はラストシングル「OH!」まで継続された。そして最近の復活PLでも。ミニルックでの一貫性がPL衣装の最大の特徴であり、また魅力だと言える。
衣装のページも参照して下さい。

のけぞる
「マンデー・モナリザ・クラブ」の間奏の振付で、お2人がのけぞるところがある。この部分が最高にかっこいい。のけぞりは中森明菜さんの専売特許ではなかったんですね(^^)。

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