PL現役時代、PLが予想以上(大方の予想に反してというべきか?)に売れすぎてしまったために、当時の事務所T&Cが「PLの方向性で迷った」という話を皆さんもお聞きになったことがあるかと思います。特にレコード大賞をとった1978年あたりから、その傾向は出てくると思うのですが…1979年春の新曲のA面が当初予定の「事件…」から「ジパング」に変わったのも、そのへんの迷いが出ているような気もします。
そして、その事務所の迷いというのは、曲のみならず衣装にも表れていると思うのですね。PL衣装はミニルックが定番でしたが、A面曲であえてミニルックとしなかった最初の曲として「透明人間」があります。ご存じシースルーの衣装で、PLのお二人が当時あるテレビ番組で「脚を隠した」とPR?していたのですね。厳密に言うと「今までは脚を全部出していたけど…今度の衣装は脚を隠して脇だけあいている…かわいい感じ」おおよそこんなコメントだった記憶があります。「脚を隠した衣装」というのがセールストークになってしまうのも、PLならではのすごいことですが、今思うのは当時T&Cとしても、この衣装「初めてミニでない衣装」(厳密に言うと夏のコンサートでロングを披露していたので「A面のテレビ用衣装で初めてミニでない衣装」)を披露するということは、当時相当迷いというか大きな決断があったのかなと。デビュー以来2年間、ほとんどミニオンリーできたわけですから。
ところで、この「透明人間」の脚を隠した衣装、1978年9月の発売以来ずっと続くかと思いきや、「カメレオン」が出る直前、つまり「透明人間」を歌う最後の頃には、同じシースルーのデザインながら脚を見せたタイプのものも登場しました。また、デザイン違いで「透明人間」のレコードジャケ写と同じホットパンツも数少ないですが、「透明人間」の末期には披露されていた記憶があるのです。このへんに「事務所の迷い」みたいなものを感じてしまうのですね。発売当初「脚を隠した」とミーちゃんケイちゃんに言わせておいて(おそらく事務所が主導して?)、結局最後には定番のミニルックに戻っているわけです。やはり「PLはミニでないと」ということでしょうか。
当時ファンとして見ていた私にとっても、この脚を隠した衣装は若干違和感があったと記憶しています。メモリアルコンサート期間中のミーちゃんの言葉を借りれば「PLが脚出さないのも変ですよね」ということで。
同様の事例として、1979年の「KISS IN THE DARK」の衣装があります。これは、ご存じ手足を隠した全身黒ずくめの衣装がほとんどでした。ところが、やはり終わり頃になると、ミニスカ衣装が出てくるんですね。このミニ衣装、2006年発売のBOXにレッツヤンで披露したものが収録されていますが、同じ衣装を民放(確か家族と出演する番組で欽ちゃんが司会?)で披露したのを覚えています。「やはりミニ回帰だな」と。他にも同年の歌謡大賞で、「KISS…」を白のミニ衣装で披露しています。
当初ミニでない衣装をメインとしていた曲でも、末期になると「ミニに回帰する」。この「ミニ回帰現象」に「当時の事務所の迷い」みたいなものを感じるのですね。
結局PL現役時代、ミニでない衣装で通したのは「うたかた」「リメンバー」くらいでしょう。両者に共通するのは、解散発表後に発売された曲ということですね。事務所として、もう迷う必要がなかったのでしょう。
そんなPLですが、最近の再結成、例えばメモリアルコンサートあたりでは、お二人が主導して衣装も決まっていくようです。その衣装も、ほとんどミニスカートやホットパンツということで、PL時代の良き?伝統が受け継がれています。
面白いというか特筆すべきは、メモリアルコンサートvol3の衣装はvol1、2と違って、全てミニスカ(「KISS…」でロング風?のミニスカ衣装)でホットパンツタイプが無かったこと。これもPLコンサート史上珍しいことだと思いますね。以上、とりとめもない衣装談義でした…
連休最終日ということで?今日は肩のこらない衣装談義です(笑)
さて、6月のケイちゃんライブ直後に「ケイちゃんの部屋」でもちょっと書いたのですが、ライブ中のケイちゃんご発言「ピンク・レディーをやるには、まず衣装から入っていかなくてはならないという強迫観念みたいなものがありまして…」が、3か月経過しようとしている今も頭の中をエンドレス・リピートしているのですね。なんと意味シンなご発言だろうと。メモリアルコンサート後もPL再結成の話は、ずっとあるようなことは想像していたのですが、ケイちゃんの口から「衣装」という具体的な話がでるとは、思ってもみなかったので、ある意味驚いたのですね。「水面下でPL再結成について、いろんな話が出ているのかな」とか妄想してしまうわけです。あるいは「既に衣装を検討しているのかな」と。
メモリアルコンサートの合間に、お二人で一緒にテレビ出演する機会が多かったのですが、その時、衣装について「昔(PL現役時代)は『これ着なさい』と言われたものをそのまま着ていたが、今回のコンサートでは『こういうのを着たい』というのをデザイナーの方に伝えて…」というようなご発言がありました。「当時(PL現役時代)を知っているのは二人しかいない」ということで、衣装に限らず曲順なんかもお二人が主導して決めていったようなことが語られましたね。当時のプロデューサーは故・相馬さんでしたが、今や実質的なプロデューサーはミーちゃんケイちゃんであると。さて、そんなお二人ですから、これからの再結成の衣装を決めるとなると、お二人が主導することになるのでしょう。とすれば、お二人の衣装についての「好みの違い」を調整するという場面も出てくるのでしょう。お二人の私服の傾向から、衣装の好みには違いがあるようですし。いい例がメモリアルコンサート時のブーツのヒールの高さ。ミーちゃんの意見であの高さになったのですが、ケイちゃんは「もっと低くてもいいのかなー」「ミーのこだわり」と言ってましたね。1989年紅白の再結成では、ミニとロングの折衷衣装。これも当時のお二人の好みの違い(ケイちゃんロング、ミーちゃんミニ)を反映したものと当時報道されましたが、真相は不明です。まあ、私が想像するに現時点では、お二人とも「PLならミニ」という基本線では一致していると思うのですが、細かい点ではすり合わせが必要なのかも知れませんね。ブーツのようにどちらかの好みに合わせるか、折衷にするか。だからこそ「PLをやるには、まず衣装から」なのかなと。
話は変わりますが、PL衣装に関して二つ「衣装の早替え」と「ホットパンツ・ブラの衣装」。
まず、衣装の早替え。メモリアルコンサートのDVDに舞台裏の早替えシーンが収録されました。また、メモリアルコンサート時にOAされた「金スマ」や情報番組では、コンサートの衣装早替えの模様が取り上げられてましたね。この早替え、PL現役時代のコンサートから、ある意味定番でしたか。でも、PLがスゴイのは、この衣装早替え、コンサートのみならず、テレビ番組でも結構多かったということです。生中継も多かった。他の女性歌手では一時期紅白での小柳ルミ子さんくらいでしょう。1977年末の「レコ大」大衆賞での衣装早替え。ミニスカートを何枚か脱いで行って、最後にホットパンツ・ブラ(と言ってもスダレあり)になるシーンがありました。1996年の再結成では、最初に出演したNHK番組で白のホットパンツに黒の上着?メドレーの前に黒の上着をパット取ると、おなかや背中にポツポツと穴?のあいたセクシーな衣装に。2004年の再結成では、やはりNHK番組で最初ミニスカートで「UFO」。高い舞台で早替えしホットパンツになり「サウスポー」「ペッパー警部」。同年の日テレ24時間テレビでは、最初ミニスカートで「UFO」。早替えでホットパンツになり「サウスポー」と。他にも1990年の紅白でも早替えありましたか?というように、再結成時まで含めてテレビでの衣装早替えが結構多いのですね。パターンとしては、ミニスカからホットパンツへ、より露出度の高い衣装へ早替えとなるものが多かったですか。早替えの際いつも感心するのですが、脱いだ衣装をパット脇に放り投げる?シーン、かっこいいんですよね。ほれぼれします。
そうそう、1996年NHKで着た衣装(白のホットパンツに黒の上着、穴?があいている衣装)は、その後、ディナーショーや翌年の富士宮コンサートでも披露されましたが、その際はNHK番組と逆パターンで、メドレー時には黒の上着が無くて、「OH!」を歌う前に上着を付けるという流れでしたか。早替えでなくて、ダンサーの方に手伝ってもらってましたね。まあ、こんなことはどうでもいいか(笑)
次にホットパンツ・ブラの衣装。これは、ミニルックと並んでPL衣装を特徴づけるものですが、なかなか今の若手女性歌手でも着られない衣装だと思います。私が最初に見たのは、チャレンジコンサートの写真。頭に帽子、ギザギザのスパンコール付のホットパンツとプラ。まあ正確にはホットパンツではないのでしょうが、セパレートの衣装には間違いありません。その後、コンサートではホットパンツとプラの衣装が定番になりました。このホットパンツとプラの衣装に関して、驚くべきことは、夏限定の衣装ではなかったことです。結構寒い時期にも披露されたんですね。前述のチャレンジコンサートは初日が3月、1977年のレコ大大衆賞は大みそか。そんな時期でもこの衣装を披露していたわけです。1978年後楽園で披露された赤っぽいホットパンツとプラ、これはその後、秋から冬?にも披露されたのかな。
極めつけは、メモリアルコンサートのホットパンツとプラの衣装、vol1と2で披露されましたが、これも真冬というか結構寒い時期でも披露されましたね。PLってすごいですね。
次回、再結成の衣装に期待しつつ…
何やら意味不明なタイトルですが、中身は思いつくままのお気軽なものですので、興味ある方はお付き合いください。
まず、PL現役時代の衣装の変遷を見ていて私が思うこと。当時、多くのアイドル歌手はデビュー当時ミニスカ衣装であっても、3年くらいたつと「大人のイメージ」とか言ってミニスカ衣装をやめる例が多かったと思うのです。ミニスカをやめることが大人の歌手への脱皮だと。ところが、我らがPLは全く逆で、一部「うたかた」「リメンバー」などの例外はありますが、基本的にミニルック路線を現役時代、もっと言えば最近の再結成まで維持している珍しい歌手なのですね。
そんなPL衣装ですが、私の主観で現役時代の変革期は大きく2つあげられると思うのです。基準は「より大胆に」。つまり、上で書いたようなミニスカで売り出した歌手一般の傾向と全く逆に、時系列で見ると、より大胆な衣装になっていく過程がPL衣装の大きな特徴だと思うのです。
さて、変革期の1つ目は「ジパング」初期のテレビ用衣装。そう、BOXのDVDにも収録された金色?の上がベスト+ブラ、下がミニスカ+ロングブーツですね。PL衣装を見慣れた私でさえ当時ショックを受けたものです。なぜかというと、セパレートの衣装というのは、コンサートではチャレンジコンサート以来定番でしたが、テレビ用の衣装で本格的セパレートというのは、この「ジパング」が初めてだったからです。過去にもギザギザの入った「渚のシンドバッド」のセパレートもどき衣装もあったし、「透明人間」でもシースルーではありましたが、中身はセパレートでした。…本格的セパレートのテレビ用衣装は「ジパング」が初めてだと思うのです。当時NHKのレッツヤンのレギュラーでもありましたが、お固いNHKでよくこの衣装が問題にならなかったなと。この年1979年は、以後「ピンクタイフーン」「波乗り…」とセパレート衣装が続くわけで、こんな歌手当時PLしかいませんでしたね。
変革期の2つ目は当コーナーで「最もセクシーな衣装」としたもの。あの銀箱告知そして解散間近の地方公演やテレビでも披露された衣装です。ミニスカ風でありながら、中身をあえて見せるという不思議な衣装。ミーちゃんケイちゃんならではの衣装ですね。究極の脚線美披露の衣装とも言えます。
以上、2つの変革期衣装をご紹介しましたが、ここで押さえておきたいのは、いずれも後期に披露されたもの。そして、いずれも露出度の高い衣装でありながら夏ではなく、寒い時期に披露された衣装なのですね。1つ目の「ジパング」は2月下旬から3月中旬?まで、以降はターバン衣装でしたし。2つ目の衣装は、冬から3月までのさよならコンサートやテレビで披露されたもの。大胆な衣装をあえて寒い時期に…PLの真髄を感じますね。
ある動画で解散間近1981年2月頃の盛岡公演の模様が流れていました。外は雪景色、リハーサルではパンツスタイルにセーターのお2人ですが(つまり、このスタイルがちょうどいい季節)、いざ本番ステージでは、寒さをものともせず、この銀箱衣装でさっそうと歌い踊るさまは感動的であります。
思えば、デビュー当時、雑誌の撮影のためビキニ姿で夏スキーをするという企画がありました。カメラマンから笑ってと言われても「(寒さで)なかなか笑えなかった」とケイちゃん回想されてましたが。最後の後楽園も寒い雨の中、タイツ姿とはいえミニスカ衣装でした。アンコールでは特にケイちゃん、寒さに震えている様子が…デビュー時から解散時まで極限の衣装で寒さに挑む、これがなんともPL的であります。
もっとあげると、1977年初めの十日町雪まつりでスリップ衣装で歌ったり。また、後楽園の解散コンサートの本番前に後楽園のステージから、ラストシングルをテレビ中継で披露するという機会が、キャンディーズさんにもPLにもありました。ところが、両者の衣装は大違い。キャンディーズさんは、ジーンズの暖かそうな私服。対するPLは白のミニスカ衣装。紅白歌のベストテンの中継ですから、3月30日20時過ぎ、当時はドームでなく屋外?ですよ。インタビューに笑顔で答えるミーちゃんでしたが、終わるといかにも「寒い」という表情が出ていましたね。大胆な衣装で寒さに挑む…ここにPL的なものを感じてしまうのです。皆様はどう思われますか。では。