ピンク・レディーの衣装


一番セクシーな衣装は?2007.8.26

昨日はデビュー満31周年でした。ミーちゃんケイちゃんの今後のご活躍をお祈りしたいと思います。さて、デビュー記念日ということで、何か気のきいたことでも書きたいところですが(笑)…昨日、BOX収録のテレビ映像を見ていて、改めて「衣装の変遷」を意識しましたので、本日は衣装のお話です。

まず、何よりも感心したのは、衣装の野口様のアイディアの素晴らしさ。ミニという限定がありながら、これだけ多様なデザインの衣装を作り出したことは、改めて素晴らしいことだと思います。故・阿久先生が作詞家として演歌からPLのポップスまで幅広く世に送り出したことに匹敵するほど、衣装担当野口様のお仕事も本当にスゴイことで、PLの視覚的なイメージを我々に焼き付けることになったわけです。


そんな衣装の変遷をDVDのテレビ映像で見ていると、ふと「PLで一番セクシーな衣装は?」と思ったのですね。こんなこと言うと、「どの衣装もセクシーだろ!」と言われそうですが(笑)そうです。PLそもそもは「お色気路線」だったようですから、どの衣装にもセクシーさを感じて当然です。
ところで「一番セクシーな衣装」というのは、ファンそれぞれの主観によりますね。前に書いたことのある「一番短いミニスカ衣装」とか「一番露出度の大きい衣装」ですと、ある程度客観的に言えますが…ファンによっては「一番短いミニスカ衣装」と言われる「マンモナ」の白または黒の衣装にセクシーさを感じる方もいるでしょうし、「露出度の大きい衣装」例えば初期のコンサートから最近ではメモリアルコンサートでも披露された「ホットパンツ+ブラ」の衣装にセクシーさを感じる方もいるでしょう。この「ホットパンツ+ブラ」の衣装、ある意味PLの定番ではありますが、こんな衣装をかっこよく着こなせるのも、「PLミーちゃんケイちゃんならでは」の話です。大半の女性歌手は、こんな衣装を着たら「いやらしく見える」か「かっこ悪く見える」かのどちらかでしょう。
あるいは「ミニスカよりホットパンツ」逆に「ホットパンツよりミニスカ」にセクシーさを感じる…これもファンそれぞれでしょう。

さて、では私の主観にもとづいて「一番セクシーな衣装」をご紹介したいと思います。画像をお見せできないのが残念ですが、当HPをご覧の皆様なら、「銀箱告知チラシの衣装」と言えばご理解いただけると思います。解散間近の地方公演などでも披露されたあの衣装です。テレビでの披露はわりと少なかったと思います。私が見たのは解散間近日テレ番組だけでした。司会者に「寒くない?」なんて言われてましたね。

選考?の基準はPLのトレードマーク「脚線美」をいかに見せるかですね。この衣装見れば見るほど不思議な衣装です。そもそもPLのミニスカ衣装は、デビュー時より愛GIRIGIRIでなく限界ギリギリ、意図的なパンチラをしないことが特徴でした。ところで、この衣装はある意味その「限界を超えた」ミニスカ衣装とも言えます。限界を超えた短さで、あえてハイレグの中身(と言わせていただきます)を見せる衣装。中身を見せているのですから、もはやミニスカでなく、正確に言えば上着?なんでしょうけど、どう見てもデザインはミニスカなんですね。
ミニスカなのか上着なのか判定不能、ですから不思議な衣装なんです。しかも、両脇に大きなスリットがあって、こちらからも中身が見えています。「これでもか!」と言えるほどのセクシー攻撃です。
おそらく、解散間近にして、今までの限界を超えた衣装としてこの衣装が披露されたのではないでしょうか。そのデザインから、PLのトレードマーク「脚線美」があますところなく表現されていると思います。この衣装、銀箱告知ではロングブーツでしたが、地方公演なんかでは確か短いブーツでしたね。短いブーツの方がより脚が長く見えて、脚線美が強調された印象を受けました。

セクシーさを強調した衣装の多かったPLですが、そのターゲットは当時の中高生以上の男性。そのターゲットからはずれた小学生以下のファンや女性ファンを獲得したことは特筆すべきことです。とりわけあまりにもセクシーな衣装の場合、女性は引いてしまうことが多いのですが、PLの場合、セクシー衣装が嫌味にならずに、多くの女性ファンを獲得したことは素晴らしいことだと思います。

皆様にとって「一番セクシーな衣装」はどの衣装でしょうか?


「脚を出す」ということ2007.7.1

約2か月前、NHKテレビ「日めくり…」で久々に衣装担当の野口様を拝見したことから、再び衣装の視点からPLのDVDやネット上の画像などを見ていたのですが。今さらながら「本当に脚を出すということに、こだわっていたんだなあ」とと感心してしまったんですね。「何を今さら。ミニルックの一貫性を強調してきたのはおまえだろ!」と言われてしまいそうですが。今日は「脚を出す」をキーワードにした駄文です。おひまな方は付き合ってくださいね(笑)

そもそも「ミニスカートをはく」と言うのと「脚を出す」と言うのでは、同じことを意味していながら、受けるイメージがかなり違うと思うのですが、いかがでしょうか。「脚を出す」という方が、よりストレートに脚線美を強調するイメージですね。ところで「脚を出す」という表現で興味深いのは、マスコミの発言でミーちゃんケイちゃんを比較すると、圧倒的にミーちゃん側から発せられる回数の方が多いのです。検証してみましょう。
「事務所が『2人脚出すかっこうしてなさい』って」
2005年2月OA「おしゃれ…」にお2人そろって出演のとき、ミーちゃんから。当時お色気路線だったという話になり、発せられたお言葉。おそらく当時のT&Cの故・相馬さんが、デビュー前かデビュー直後のお2人に言ったのでしょう。テレビで歌う時の衣装のみならず、私服で取材を受ける時も…という意味だと思います。当時、屋外でホッパンツ姿のお2人の写真が雑誌にあふれていた気がします。テビュー当時PLのイメージを定着させ、当時のターゲットだった男子学生を「ぼーっとさせる」ことが狙いだったんでしょう(笑)

相馬さんがPLのトレードマーク「脚を出す」を作ったとも言えますが、問題は「いつ?」なんです。上京してきたお2人を見てからなのか、もっと前から考えていたのか。当時相馬さんは歌手として「背の高い姉妹でない2人組」を探していたそうです。そして、スタ誕でお2人を見て「スタイルは理想的」と思ったそうです。「姉妹でない」というのは、引退したばかりのザ・ピーナッツさんと重なってしまうからでしょう。注目すべきは「背の高い」という条件です。この条件を考えていた時点で「脚を出す」ということが頭にあったようにも思えます。あるいは、世界を目指すということから「背の高い」と考えたのかも。そして、お2人のクッキー時代の写真(当時からミニスカート・ホットパンツ)や上京後のお2人を見て、実際に「これで行こう」となったような気がします。
衣装担当野口様のインタビューでは、当時事務所から「ミニスカートで光物をつけるなら、何をやってもいい」と言われたそうですが、これを言ったのもおそらく相馬さんでしょう。「脚を出す」ことへの相馬さんの強いこだわりが、PL最大のトレードマークを生み出したと言えるでしょう。

「脚を出している方がPLらしい」
これは、解散発表直後、ある雑誌でのミーちゃんインタビューから。その前段で「一時期ケイが『もう脚を出すのはいやだ』と言った。…でも、」」とあります。「あこがれ」を読んだ私の勝手な推測では、当時事務所と微妙な関係にあたケイちゃんが、事務所にささやかな抵抗をしていたようにも見えます。

「衣装は内緒。でも脚は出します」
2000年紅白での再結成直前、ミーちゃんのご発言。

「PLが脚ださないのも変ですよね」
2005年4月、お2人そろって出演した番組でミーちゃんご発言。コンサートvol2のセパレート衣装の映像を見ながら。

以上見てお分かりのとおり「脚を出す」という表現はミーちゃん側から発せられることが多いのですね。もっとも、ケイちゃんが皆無なのではなく「脚を出すことに全く抵抗は無かった」という去年?インタビュー記事がありました。
では、なぜミーちゃんの方が多いのでしょうか?私が思うに、テレビなど公の場で、PLに関するお2人の発言の傾向として、対照的なものがあるのですね。ミーちゃんがPLを客観視して「PLとしてどう見えるか」というアプローチを取るのに対して、ケイちゃんは「自分の想いを通してPLを見る」というアプローチです。ご注意いただきたいのは、あくまで公の場での発言で傾向として。ケイちゃんが「PLを客観視していない」ということではないのです。

おそらく、そういった傾向から、ミーちゃんの方が「脚を出す」というご発言が多いことにつながっていると思うのです。
「脚を出している方がPLらしい」「PLが脚を出さないのも変」という「PLとしてどう見えるか」=強烈なPL意識!であります。デビュー当時の相馬さんの精神が、そのまま受け継がれているように感じませんか。

このミーちゃんとケイちゃんの対照性。例のテレビ「日めくり…」にも現れていたのでは。ミーちゃんは「PLがアニメのキャラクターのように見えたのでは」と。一方ケイちゃんは例によって「テレビで下から映されるのが…」と。
メモリアルコンサートvol.3のレッスン風景がテレビで放映された時、「正直47にもなってこのハードスケジュールは、きついですね」と言ったのがケイちゃん。ケイちゃんは続けて「でもミーが『だからこそ、見ている人が面白い』と言うのは、そのとおりだと思う」と。PLを客観視するミーちゃんと、自分の想いをストレートに言うケイちゃんですね。
また、メモリアルコンサートのブーツ、ヒールの高さ15センチ?。これはミーちゃんが主導して「PLとしてきれいに見える」ということから決まったようです。ケイちゃんは「もう少し低くてもいいのかな」と思ったけど、ミーちゃんの意見を受け入れたのでした。
メモリアルコンサートのMCから歌に移る場面で、「そろそろPLになるか」というのがミーちゃんで、それを受けて「おなか痛くなっちゃう」と言うのがケイちゃんでした。

どうです?お2人対照的な役回りではないでしょうか。

話が脱線しました。というわけでミーちゃん側から「脚を出す」という発言が多いわけです。今後もこの傾向は続くのでしょうか。
視点を変えると、PLは今でもいろいろな記録を保持しています。オリコン1位獲得週数、「KISS…」のアメリカビルボード、NBCのレギュラー番組と。これに加えて、衣装も後世に残る記録になるのではと思うのです。10代でデビューしてから、ずっとミニルック=「脚を出す」ことを続けているということで。50代でも?


続・寒くないの?2006.12.3

「真冬でも肩とか出したりして寒いですから、冷やさないようにしてました!」(4年ほど前、ラジオ番組でケイちゃん談)


ファンの皆様、師走到来ですね。以前番外編で「寒くないの?」を書きましたが、今日はその続編です。冬のPLというと、寒さをものともせず?ミニルックで元気いっぱい歌い踊るお二人の勇姿?が浮かんできます。「PLのスゴさ」をある意味実感するのも、このような姿を見たときなんですね。

さて、本題に入る前にちょっと脇道にそれます(笑)昨日、あるBSで松田聖子さんの昨年のコンサートの模様をOAしていたのです。私は特別彼女のファンでもアンチでもないのですが、10代でデビューしアイドルとして絶頂を極め、40代になっても根強いファンが多く存在し歌手活動を続けている・・・という意味ではPLと共通しており、わりと興味深くテレビを見ておりました。観客はオールスタンディング、男女の比率がほどよい・・・このへんはPLのメモリアルコンサートに似ています。違うのは衣装や歌うスタイルでしょうか。何回も衣装替えがあるのですが、聖子さんのコンサート衣装は、ロングドレスが過半でミニは最後の2パターンのみでした。これがPLコンサートだと逆に、ほとんどミニで1パターンくらいロングとなるわけです。また、聖子さんの場合、小さな振り付けや直立不動に近い歌も多く、PLの全身運動を見慣れている私からすれば新鮮な感じもしました。また、マイクはハンドマイク主流でスタンドは無し、これもスタンドを多用するPLと大きな相違でした。
「だからどうした?」なんて言わないでください。付け加えますが、私は「PLと聖子さんを比較してどっちが偉大」なんて言う気は毛頭ありません。それこそ世界英雄史じゃないですが、ナポレオンとイエヤスを比較するようなもので無意味です。ただ、PLの方が好きというだけのことです。言いたかったのは、10代でポップス系アイドルとしてデビューしても、その大半が30代までに歌手活動から引いてしまうなか、40代になっても活躍を続けている・・・という意味でPLも聖子さんも尊敬に値するということです。そんな二組のコンサートの模様がいろんな意味で対照的だったので、ご紹介したまでです。

さて、本題に戻ります。PL現役時代は歌番組全盛期、家族でテレビを見るPLを見るという場面も多かったわけです。
そんなとき、真冬のPL(の衣装)を見て「寒くないの?」という声が、テレビの司会者のみならず当時の私の親からも発せられた記憶があるのですね。そのシーンは今でもよく覚えています。一つは78年1月の日曜日の昼。確か鹿児島の屋外の公園、生番組?で「UFO」をおなじみの衣装で披露したことがありました。コンサートの合間だったと思います。冬の屋外であのUFO衣装…「寒くないの?」という疑問も当然なのですが、私は無責任にも「南国鹿児島だから暖かいんじゃないの」と答えてました(笑)
次に記憶にあるのが、79年1月ある屋内ホールでの歌番組の中継。「カメレオン」を例の衣装で歌い踊るPLを見て、「寒くないの?」とまたもや私の親が声を発したのでした。その時も、また「屋内ホールだから暖房がきいてるんじゃないの」と適当に答える私でした(笑)当時既にコンサートにも行っていましたので、私がPLファンてあることは親も知っていました。そのうえでの「寒くないの?」という問いだったのですね。


これには伏線があります。77年の2月か3月頃のこと。ちょうどPL旋風が吹き始めた頃です。おそらく「SOS」か「カルメン」のスリップ衣装のPLを見た親が発したフレーズ。「この人たち、裸になったのが良かったのね」と。なんとも失礼な言葉ですが意訳すれば「裸に近い格好のおかげで、人気を得ることができた」ということなのでしょう。これはちょっとショッキングな言葉で、30年近くなった今でも覚えているほどです。ちなみに当時はまだ私がPLファンであることは、親にバレていませんだしたが(笑)内心「なんてこと言うの」と怒り心頭でした。まあ確かに親の世代から見れば、PLの衣装がほとんど裸に見えたのは、無理からぬところです。が、親のカン違いはPL衣装のみをPL人気の原点とみたことでしょう。衣装によるアピール、重要な要素ではあるが全てではない。ファンの皆様ならご理解いたたけると思います。

そんな親ですが、その年77年9月ころになると「ウォンテッド」を歌うPLを見て、「これから寒くなってもこの格好?」とまじめに心配していました。それに対して私は、「おそらくそうでしょう。去年もそうだったし・・・」と答えてました。前の冬も「SOS」をスリップドレスで通したんだから、おそらく・・・と当時思っていたのですね。それだけではありません。当時の相馬さんの言として「歌をやっている以上ずっとミニだと」というコメントが、ミーちゃんからラジオで紹介されたことがあったんですね。そんなわけで、来たる冬も・・・と予想していたのですね。そして、その予想通りあの「UFO」衣装となり、先に書いた鹿児島屋外へとつながっていくわけです。

当時、アイドル歌手のミニ姿はある意味定番でした。が、世間一般的にはミニの流行は終わっており、冬の歌番組でミニ姿を披露するのはPLの他に、ほとんどいませんでした。そうした意味でも、当時PLはとても目立つ存在でした。印象深いのは、「ザ・ベストテン」に78年の初め頃「UFO」で出演したときのことです。歌い終わった後、ソファにお二人が座ったときのこと、司会の久米さんが、おおよそこんなことを・・・「テレビって面白いですね。こちらは冬の格好で、こちらは今にも泳ぎに行けそうな格好で・・・」と。PLの隣に冬の格好ロングドレスでいたのは、解散間近「わな」を歌っていたキャンディーズでした。「泳ぎにいけそうな」という表現でPLのUFO衣装を表現したんですね。確かに普通のドレス姿であるキャンディーズとは、並んでいると、おもいっきり対照的なUFO衣装でした。「なるほと゛、これがPLなんだな」と妙に感心したものです。

さて、それから1年半が過ぎた79年9月「マンモナ」を見た親はこんなことを言いました。「これから寒くなるので、いっぱい着せてもらえて良かったね」と。ミニではありながら、PLには珍しく露出度の少ない長袖の衣装だったからでしょう。その冬「Do・・・」も長袖の衣装でした。今思うと、私がPLファンであることを知っていた親は、ある程度まじめにPLのことを「寒くないの?」と心配していたのかも知れません。

当時を振り返るミーちゃんケイちゃんのコメントを見ると、当然のことながら「寒かった」という感想があります。冒頭のケイちゃん談は「PL当時、健康に気をつけていたことは?」に対する答えなんですが、ポイントは「脚」でなく「肩」としたところでしょうか。私には「PLが脚を出すのは当然すぎる」だから、あえて「肩」と表現したように思えました。「冷やさないように」とは歌の合間に、例のマント?を羽織っていたということでしょう。歌うときになるとパッと脱ぐので「プロレスラー」と言われたようです。長時間の労働に加え、そんな感じで寒さを乗り越えていたお二人。お二人が表現したかったのは、いったい何なのでしょう。健康的なお色気?PLの独自性?

「歌をやっている以上ずっとミニだと」と言っていた相馬さんは、メモリアルコンサートvol3の直前に旅立たれました。しかし、お二人のミニ姿はそのvol3でも、その後のソロ活動でも健在です。最近ではケイちゃんがテレビでチアガール姿を披露・・・「日本で一番機敏に動く49歳」と言われました。
「50歳、ミニスカートでペッパー警部」を期待しつつ、今日はこのへんで・・・


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