ピンク・レディーの衣装


衣装対決 ピンク・レディーVSキャンディーズ 2001.6.2 
1977年春・夏の陣 

まず、おことわりしておきます。以下の駄文は、私の記憶・勝手な思い込みです。そして、PLあるいはキャンディーズさん(以下敬称略)の衣装スタッフの皆様を批判するものでは、決してありません。全く逆で賞賛!の一言です。それから、私はPLファンではありますが、決してアンチ・キャンディーズではありません。

さて、本題入ります。

以前アイドルとしてのピンク・レディーのまじめな考察で、PLの衣装がキャンディーズの衣装に与えた影響について書きました。最近逆に「キャンディーズの衣装もPLの衣装に影響を与えたのでは」と思うのです。つまり「相互に影響を与えていた」ということです。
まず、両グループのレコード発売日。1977年3月1日やさしい悪魔、3月10日カルメン’77、6月1日暑中お見舞い申し上げます、6月10日渚のシンドバッド。この時期、両グループとも接近しています。そして、注目すべきは、この時期、キャンディーズの衣装がその活動の中で一番大胆であったことです。ちなみにPLは、いつも大胆ですが(^^)
まず1977年春の陣。「やさしい悪魔」のデビルルックです。これはPLで言えば、レオタード系となります。この衣装が登場したのは、やはり初期PLの超ミニ路線の影響を受けたのでしょう。「PLより大胆に」となれば、あの衣装もうなずけるのです。当時雑誌の記事で「ミニスカートのPLには負けていられないとデビルルック」と紹介されていました。

さて、このデビルルックは、夏の陣でPLにも影響を与えたように思えるのです。と言うのは、「渚のシンドバッド」初期の白いホットパンツの衣装です。テレビで歌うシングルA面としては、PLにとって初めてのホットパンツだったと思うのです。当時ミーちゃんがラジオで「今まではミニが多かったけど、今度はホットパンツ」と強調していました。つまり、「キャンディーズのデビルルックに対抗して、PLもミニからホットパンツに転換した」とも思えるのです。

ところが、「渚・・・」のホットパンツは、長くは続かず途中からまた超ミニ路線に戻っています。これは途中で「セクシー」の部分の振り付けが変わったこととも関係あるのでしょうが、同時期発売のキャンディーズ「暑中・・・」の影響も受けたようにも思えるのです。「暑中・・・」の衣装は、ミニのテニスルックでした。そして、このテニスルック、キャンディーズとしては大胆なセパレート(早い話がおなかを出した)衣装でした。当時PLは、テレビではまだセパレート衣装は披露していなかったと思うのです。つまり、この時期、「ペッパー警部」「S・O・S」と超ミニ路線のPLを意識したキャンディーズサイドが、常に衣装の大胆さで一歩先行していたように思えるのです。
そして、超ミニに転換した「渚・・・」衣装は、キャンディーズ「暑中・・・」のセパレート衣装の影響も受けていくようです。つまり、PLもテレビで初めてセパレート衣装を披露するのです。ここ数年のテレビ映像では、「黒のセパレートっぽい超ミニ」やチャレンジコンサートの時の「スパンコールのセパレート衣装」で「渚・・・」を歌うシーンがOAされました。

そして、この衣装対決は、秋以後、キャンディーズがしっとりとした衣装に移行していくことで終止符が打たれます。大胆衣装対決に疲れたのか、解散を意識?して曲調が大人っぽくなったからなのか、理由は定かではないのですが。一方PLは「ウォンテッド」「UFO」と、ますます大胆衣装に拍車がかかっていきます。アイドルの大胆衣装は、PLの独壇場となった感がありました。

ご本人たちの意識(PLにとってキャンディーズは、あくまで大先輩と意識されていたようです)とは別に、当時両者のスタッフは、衣装に関してかなりライバル意識を持っていたのかも知れません。


ミニルックでの一貫性とは? 2000.8.5

PLの衣装の特徴を一言で言えば、PL現役時代も再結成時も「ミニルック(と言うそうです)で一貫している」ということになりましょうか。今日はお2人の衣装に関するご発言(記憶によりますので一部実際と違う部分もあるかと思いますが、イメ−ジということでご容赦下さい)を折り込みながら、衣装について振り返ってみたいと思います。

まず、1977年夏。全国縦断コンサ−トSF77の合間にラジオに出演されたことがありました。リスナ−からの質問に答えるコ−ナ−がありまして、アナの方が質問を紹介します。「ミニスカ−トはもっと短くならないのですか?」あまりにストレ−トな質問にびっくりしながらも、お2人がどう回答されるか注目しておりました。ミ−ちゃん「あれ以上はちょっと・・・」ケイちゃん「一応あれくらいかな」と答えられました。「これ僕からの質問なんですが・・・」リスナ−からの質問でなくアナの方の自作の質問だったのですね。当時PLより短い?ミニスカでパンチラを売り物にしていた亜流グル−プも存在していましたが、なんか下品な感じで売れませんでした。健全路線のPLには正ににケイちゃんの言われる「あれくらい」が良かったのでしょうね。また、この番組ではミ−ちゃんのこんなご発言もありました。「着物は着ないですね。うちの制作部長さんのお話だと、歌をやっている以上はずっとミニだと」これを聞きまして、私はミニルックでの一貫性を確信しました。ビクタ−宣伝担当の方の発言で「ミニスカ−ト、華麗なダンス、夢のある歌という大原則はずっと続け ます」というのもありました。

ところで、このミニルック一貫路線も一時中断したことがありました。そうです1978年の「透明人間」です。この時期、あるPL特番で「透明人間」の衣装について「今までは脚を全部出していたんですけど、今回初めて隠した衣装で・・・脇の方が空いていてかわいい感じ・・・」というようなお2人の発言がありました。「脚を隠した衣装」が宣伝文句になってしまうのも、PLならではですね。さて、この「透明人間」の衣装(シ−スル−の衣装で当時のアイドルとしては結構大胆)を見て、ちょっと大げさですがミニルック一貫路線の将来に不安を持ったファンも(私も含めて)多かったと思います。しかし、その不安も杞憂に終わりました。デザイナ−の野口様がある雑誌で「ミニ指向を止めたわけではないのですが、こうして変化を持たせることで次のステップに」と解説されていました。次の曲「カメレオン」では、皆様ご存じの通りミニルックが復活したわけです。

ここから、いきなりですが、解散後の再結成PLに話は飛びます。再結成PLの衣装での一番の注目点は、やはり「ミニルック路線は継承されるのか?」であったと思います。答は皆様ご承知の通り継承されたわけですが、PLがすごいのは再結成のたびに、つまり時の経過と共により大胆なミニルックになっていることです。検証してみましょう。まず1984年、最初の再結成時に屋外ステ−ジで歌われたことがありました。この模様が雑誌のグラビアで紹介されていました。そのコメントに「衣装はケイがハワイで買ってきたというお揃いのミニスカ−トだったが、スカ−ト丈は26歳という年齢のためかおとなしいものだった」と、あります。つまり、長めのミニスカ?ということですね。同年「不思議LOVE」で「ベストテン」に出演された時はロングの衣装、9月の渋谷公会堂での衣装は、ミニスカもありましたがPLには珍しくタイツ姿でした。1984年再結成を総括すると、「ミニルック路線は継承されたものの、PL時代より若干控え目」とでもなりましょうか。
次の1989年の紅白のみの再結成ですが、これは「ロングとミニの折衷衣装」でした。PL時代並のミニルック復活には、まだ迷いがあったのでしょうか。

1990年の再結成からは、以前の再結成より一層深化したミニルックとなりました。お2人のご心境の変化があったのでしょうか。この時、記者会見がありました。「衣装は?」の質問にミ−ちゃんが嬉しそうに「やっぱり(その質問が)出ましたね。PLとしてやるからには、オリジナルも歌わなければなりません。あの激しい踊りですからロングドレスでは、踊れませんよね」と婉曲表現ながら、ミニルック路線の継承を宣言されました。NHKのみで披露された「ジンクス」の衣装は、PL時代そのまんまのミニスカでしたね。
1996年から翌年にかけての「再会」では、新曲「PES」の衣装こそパンツルックでしたが、コンサ−トやテレビではミニルックでも登場されました。特に「ハンマ−プライス」での「ウォンテッド」「サウスポ−」の復刻衣装は圧巻でしたね。文字通り当時のままの衣装を披露されたのは、解散後初めてでしたか。
さて、最近の再結成と言いますと、昨年と一昨年の年末特番です。どちらもミニスカでしたが、皆様はどう感じられましたか?私には、はっきり言ってPL時代よりも大胆なものに見えました。
以上、再結成PLの衣装を振り返ってみましたが、「ミニルック路線の継承」「その路線の一層の深化」がお分かりいただけたと思います。

来るべき25周年、もし再結成していただけるなら・・・さらに深化したミニルックでご登場!を期待するところです。


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