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明十三陵
北京市北西郊外にある明の十三陵は世祖永楽帝はじめ13人の皇帝と23人の皇后と1人の貴妃の陵墓が集まる陵区。私が中国旅行に行って、はじめて訪れた場所です。長陵、昭陵、定陵、神道が一般公開されています。私が訪問したのは定陵。定陵は14代万暦帝の陵墓で、比較的規模が小さいことから発掘が進み、十三陵で唯一地下宮殿が公開されています。(他の陵墓は発掘中とか。中国はスケールがでかいなぁ)
地下宮殿は階段をかなり深く下りたところにあります。何でも地下30メートルとか。これでも他の陵墓に比べて小さいのだから、驚いてしまいます。 |
この万暦帝の在位は長かった。当初は張居正がおり、全国規模の検地の実施や租税の確保、軍事費の節約などにより財政を立て直し、明中興の実をあげた。しかしその死後、万暦帝は宦官を寵愛し、政務を放棄し、奢侈にふけった。そのため政治は乱れ、各地で反乱が起こった。「万暦の三大征」といわれる、寧夏のモンゴル人の反乱、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役(1592〜93)・慶長の役(1597〜98))に対する朝鮮の李朝への援軍、貴州省の蕃族首長の反乱がおこり、さらには満州族の侵入がはじまり、増大する軍事費の支出は財政を破綻状態へと導いた。「明朝の滅亡をいう者は、崇禎帝(最後の皇帝)に滅びずして、万暦に滅ぶという」と書かれたように、明は万暦帝の死後20余年で滅亡することとなる。
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