師、雨受けて、座椅子でおままごと。 (←年始の挨拶アナグラム)
ようやく2004年の初更新。
一年の計は何とやら、と昔から言われていますが、今年の当サイトの行く末が思いやられたりやられなかったり。
まぁともかく、今年もよろしくお願いします。
一例を挙げると、「反則で退場する可能性のあるFWは、退場する」 「注目の一戦の試合時間は、事前の注目度の高さ、および両者の体重の和に反比例する」 「PK戦での勝ち負けの確率は五分五分だ。 ただし、あのチームの場合、負ける確率は90パーセントになる」など。 つまりは時事ネタを絡めたマーフィーの法則のパロディ。
と書いている最中にラジオを聴いていて思いついたもの。
その1。
「国会での討論においては、両者が手元のメモを見る時間の和は保存される。
応用例:一人はメモを見ずに話すのに、もう一人はメモばかり見ている。」
その2。
「国会での討論においては、質問者と回答者の発言の多様性は互いに反比例する。
応用例:いろいろな質問をされているのに、いつも同じ答えしか返って来ない。」
という言葉を、テレビやラジオなどのメディアで近頃よく耳にします。
何のことかと思われる方も多いでしょうか。
実はこれ、言った本人は「言わざるを得ない」と言っているつもりなのでしょうが、抑揚の高い部分を本来の「え」ではなく一つ前の「を」に置いているために、「を」が助詞に聞こえなくなってしまっているのです。
我ながら細かいことに拘っているなぁとは思います。
しかし、細かいこととはいえ「この人、意味を知らないでこの言葉を使っているんじゃないの?」と思われてしまうのは、言葉のプロとして望ましいこととは思えないのですが、さて。
FEPというのは所謂仮名漢字変換ソフトのことだと記憶しております。 してみると「脳内FEP」というのは…つまりはまあそういうことです。 一般的な概念でないことは言うまでもありませんが。
基本的に、ある単語の脳内FEPでの変換候補順位には、各人の趣味嗜好が大きく反映されます。
例えば、「荒木」という苗字を耳にして真っ先に「飛呂彦」を思い浮かべる人と「大輔」を思い浮かべる人がいるでしょうし、「福本」でも「伸行」と「豊」に分かれるでしょうし、「板垣」でも(後略)。
余談ですが、私の所属する数理科学研究科の談話室の本棚には『環』という(恐らく環境問題に関する)雑誌が置いてあり、それを発見した友人諸氏と共に大爆笑しました。
我々に限らず、数学マニアは全員が全員「環」と聞けば「環境」以外の何かが第一候補に現れるわけで、何故に数学マニアの巣窟にこんな題名の雑誌を置くかなぁ、と。
何でこんなことを書いているかというと、先程テレビで「阿仁町」(あにまち)という地名に遭遇した際、反射的に「兄町」と脳内変換してしまったのは間違い無く『熱血!!男盛り』(南寛樹)の仕業であるなぁ、と感慨に耽っているからです。
ちなみにこの作品の中では、一発ネタの「兄マトリックス」が妙にツボにはまりました。
良い意味で「くだらねー」作品だったので、もうちょっと連載が続いてくれてもよかったのですが。
「数学の小部屋」の業績一覧に講演予定を二つ追加。 そのうち一つは明後日です。 気合入れて掛からねば。
というわけで、先日の上智大学での講演について。
1時間半という長めの講演時間を頂いていたうえに、後の予定がないので多少遅れても大丈夫と言われ、思いっきり内容を詰め込んで話したら、結果、講演時間が2時間に。
内容自体にはそれなりに興味を持って頂けたようにも感じられたとはいえ、出席された皆様にはご迷惑をおかけしました。
しかし、OHPを使用してなおあの調子ですから、板書のみで話していたらどうなっていたことやら。
どうもあの話題は、時間配分やどのくらい詳しく説明するかの匙加減が難しいんですよね。
今回に始まったことではないので、そろそろ何とかしなければ。
ちなみに、「応用1」のような事態には陥らなくて済みました。
なぜなら出発直前までOHPの準備をしていて、時間的に余裕がなかったからです。
…まぁその時点で既に問題なのですが。
講演後は主催者の先生方に招かれて飲み屋で歓談。
日本語を学び始めた外国出身の院生の方々に片言の英語で日本語を教える、という普段とは違った頭の使い方をしてきました。
そんなときに役に立つのが、飲み屋で出されたお茶の注がれた「親父の小言」湯呑み。
「賭け事はするな」とか「宿題やったか?歯ぁ磨けよ!」とか「血の汗流せ、涙を拭くな」とか「もっとワイルドに、もっとたくましく、生きてごらん」とか、親父風味溢れる人生訓の数々(一部嘘)が書かれた湯呑みで、平たく言うと「魚偏の漢字湯呑み」の亜流です。
これに「家内安全」などの標語が書かれているのを発見し、それらの標語を英語で説明しようという話の流れに。
そして数人での格闘の末、冒頭の院生の方々は、「開運長久」という使い所の極めて少なそうな標語を覚えて帰っていきました。
…人間とは、無用な知識を得ることで快感を得られる唯一の(後略)。
ナンバーワンにならなくてもいい 元々特別な大晦日
年末の新聞に並んだ いろんな歌手を見ていた
人それぞれ分野は違うけれど 誰もみんな素敵だね
この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで
テレビの中誇らしげに しゃんと声を張り上げる
それなのに局の人間は どうして数字を比べたがる
一つ一つ違う番組の中で 一番になろうとする?
そうさ僕らの 一年に一度だけの宴 一人一人違う歌を持つ
その歌を聴かせることだけに 一生懸命になればいい
ナンバーワンにならなくてもいい 元々特別な大一番
ところで、春の選抜高校野球大会の入場曲の妙な選曲は最早珍しくなくなりましたが、それにしても、これから全身全霊を傾けた争いの場に臨む選手たちを『世界に一つだけの花』で迎えようという選曲者は果たしてちゃんとこの歌を聴いているのか、と小一時間考え込みたくなります。
…まぁ、『もらい泣き』や『さくら(独唱)』をマーチにされるのに比べるとまだましではあるのですがねぇ。
新聞で紹介された経験を持つ数少ない友人である某氏から「FEP=仮名漢字変換ソフト」という認識は間違っている、との指摘が。 仕事が速いなぁ。
というわけで訂正。
FEP(Frond End Processor)というのは、DOSなどのシングルタスクOSにおいて、ワープロソフトなどのアプリケーションの全段階で機能するプログラムの総称とのこと。
しかし、実際に使われていたFEPは仮名漢字変換ソフトが大多数だったため、いつしか「FEP」という言葉が仮名漢字変換ソフト自体を指すようになってしまった、ということです(参考:「IMEとFEP」)。
つまり、携帯式機器は何も携帯電話に限るわけではないのに(後略)。
例えば、DOS時代のスクリーンリーダー(音声出力ソフト)もFEPだったそうですし、逆に上の定義に則れば、現在のマルチタスクOSにおける仮名漢字変換ソフトは最早FEPではない、ということですね。
そうすると、仮名漢字変換ソフトだけを念頭に「脳内FEP」という言葉を使うのは…とも思いましたが、でも「千尋」という名前を見かけると「ここで働かせてください!」などの台詞が反射的に鳴り響いたりもするので、やはりスクリーンリーダーなども含めた意味での「脳内FEP」のままで。
世の中には二種類の人間がいる。 「とりいんふるえんざ」という言葉を聞いて、インフルエンザウイルスが3体結合した新種のウイルスを真っ先に想像してしまう人と、そうでない人が。
という声があったので遅れ馳せながら説明。
アナグラムとは、与えられた言葉の文字を並べ替えて、別の言葉を作るパズルの総称です。
問題の文字列から元の言葉を復元する形式が最も一般的だと思われますが、『パズル通信ニコリ』に載っていた「十七文字さんこんにちは」(名前はうろ覚え)のように、与えられた言葉を並べ替えて別の面白い言葉を作る形式もあります。
というわけで、例題:「イクラ巻き」→人名。
その壱。
「携帯電話」を「携電」ではなく「携帯」と略す慣習のせいで、将来的に「携帯**」という名称の携帯型(電子)機器全てが携帯電話の亜流であるかのように、誤った印象が形成されてしまわないかと心配です。
いや、確かに「携電」では語呂が悪いとは思いますが。
その弐。
平仮名一文字で表される普通名詞というのは、重要度や使用頻度が高かったり身近な存在であるからこそそれだけの短い名前で呼ばれるようになったのだ、という前提に立つとすると、鵜や蚊や津はまだしも麩や屁や藻に一文字の名前を割り当てた昔の人の感覚は味わい深いものがあるなぁ、と。
その参。
両親との今朝の会話で、「しきにいってくる」と言われた後、両親に指摘されるまで「冠婚葬祭がらみの用事ができたのかな」とずっと思い込んでいました。
志木市民の皆さんごめんなさい。
日常に潜む脳内FEPの恐怖。
「…ふぅ、外回り終了、っと。
…あれ主任、休憩中ですか。」
「ああ、お前も一息入れたらどうだ。
寒いから疲れただろう。」
「はい。
ありがとうございます。
…あの、主任、それは…」
「ああ、さっき事務の女の子が配って回ってたぞ。
毎年のこととはいえ、やっぱりこの時期にもらうと、温かみが感じられて嬉しいよなあ。
お前ももらってきたらどうだ?
美味しいぞ。」
「いえ…僕はそういうのはどうも苦手で…」
「いらないの?
珍しい奴だなぁ。
…それともあれかい、やっぱり彼女にもらったものが一番だよ、ってか?
いいなぁ、羨ましいなぁこのっ、このっ」
「ちょ、ちょっと、やめてくださいよ主任。」
「せーんぱい。
外回りお疲れ様でした。
はい、これ。」
「…これは…」
「皆さんには先にお渡ししたんですけど。これ、先輩の分です。
疲れが取れますよ。」
「え、えっと…僕はこういうのはちょっと…」
「なーんだ、お前またそんな勿体無いこと言ってるのか?
いくら素敵な彼女がいるからってなぁ」
「えーっ、彼女がいると、私のは受け取ってもらえないんですかぁ?
寂しいなぁ」
「い、いや、そんなんじゃなくて、ただ単に苦手なだけで」
「へぇーっ、先輩って今時珍しい人ですね、」
「う、うん、よく言われるけど」
「そんなに彼女のこと大事にしているなんて。
いいなぁその彼女。
羨ましいなぁー。」
「いや、だからそんなんじゃ…もう主任、主任があんなこと言うから…」
「…ということがあってね。
もう散々冷やかされてさ」
「そうなんだ。
大変だったね。
でも、初めからもらえないよりはいいんじゃない?」
「それはそうなんだけどね。
だけど、皆当たり前のように嬉しいとか楽しみとか言っている中で、苦手だからいらないって言っても、なかなかわかってもらえなくてさ。」
「うーん、まぁ私だって、彼氏がそういうの苦手な人だって言ったら、珍しいねっていつも言われるもん。
わかってもらうの難しいよね。」
「そうなんだよ。
取引先でもよく頂くんだけど、なかなか上手く断れなくてねぇ。」
「…ところで、はい、これ私からのチョコレート。
今年は当日会えないから。」
「うん、いつもありがとう。
今年も美味しく頂くね。」
「あ、そうそう、言い忘れてたけど、その中に一つだけ、」
「ん?なぁに?」
「誰かさんのとーっても苦手な、コーヒーの入った新製品が混ざってるんだった。
どうしよう、私が食べてあげようか?」
「…って、初めからそれが目当てでこの種類にしたんでしょ。
はい、これだね。」
「さぁどうかしら。
…んー、おいしーい。
私も一度ここのチョコ食べてみたかったのよね。
いつもあげるばっかりだし。」
「…だったら自分の分も買えばいいのに…」
当然のことながらフィクションですが、推定2割弱は実話に基づいています。 さてそれはどの部分でしょう?
「数学の小部屋」に研究成果報告書を追加。 元々は所属する研究科に提出したものなのですが、折角なので。
というわけで、先日のサッカーワールドカップ2006年ドイツ大会アジア一次予選初戦、対オマーン戦についての感想など。
試合前の国歌斉唱について。 対戦相手のオマーンの国歌が何語だったのか(というより、そもそもオマーンの公用語は何語なのか)がとても気になりました。 そこで思いましたが、ああいうときに相手国に詳しい人をゲストに招いて、相手国の紹介をしてもらったら、国際交流の一環にもなって一石二鳥ではないでしょうか。
試合内容は、「辛勝」という言葉がピッタリ当てはまるものでした。
勝てたので良かったですが。
ただ、苦戦したことについて、PKを止められた中村選手だけを責めるのは適切でない、ということは強く主張しておきます。
全体的に普段通りの動きでない選手が多く見られましたし、そもそも他の選手がどれだけのチャンスをミスで棒に振ったことか。
良かった点。
ジーコ監督の選手交代がいつになく積極的で、かつ的を射ていたと思います。
小笠原選手の投入などはとくに。
今までの試合の采配は本気ではなかったのかな、と思わせられました。
あと、体調などが良くなかった中でも、日本チームに足りなかった相手の攻撃の出足の潰しや、球際で競り合う選手のフォローを積極的に行っていた中田選手は、流石にサッカーを熟知している選手だなぁ、と改めて感心させられました。
決勝点を挙げた久保選手について。
あの重苦しい雰囲気の中、どこ吹く風とばかりに振舞う久保選手は貴重な人材ですねぇ。
最後のチャンスにボールを得たのが久保選手だったことは日本チームにとってまさしく幸運でした。
試合後のインタビュー。
ジーコ監督と主将の中田選手、決勝点の久保選手はともかく、高原選手は何故呼ばれたのでしょうか。
目立った活躍をしたわけでもないし、何を話したものかと戸惑っているようにも見えました。
まぁ、中村選手を呼んで微妙な雰囲気に包まれるよりはましでしょうか。
中田選手のインタビューについて。
「格下相手に何故もっと完勝できなかったのか」と言わんばかりの報道員と、「そんなに楽勝なんかできるわけないだろう」との含みたっぷりの中田選手のやり取りは見ていてひやひやしました。
もうちょっと仲良くしましょうよ。
そして注目の久保選手のインタビュー。
噂には聞いていましたが、本当に余分なことを全く喋らない人ですね。
テレビ局泣かせというか、報道員の意気込んだ質問に対するあの清々しいまでの暖簾っぷりは大相撲の力士に通じるものがあります。
これからも是非活躍してもらって、彼を取材せざるを得ない状況にテレビ局を追い込んでもらいたいものです。
そして最後に。 また「祭り」が始まったんだなぁ、と。 この祭りができるだけ長く続きますように。
一応、「事務の女の子が配って回っていたのは実はホットコーヒー」というのが作意だったのですが、意味が通りにくかったようで残念。
こういう文章を書くのは難しいなぁ、と実感。
なお、前回「推定2割弱が事実に基づいている」と書きましたが、現実に2月14日を経た結果、真実度がさらに5%ほど目減りしました。
さてそれはどの部分(後略)。
来月の「代数学若手会」の日程が確定したようなので、「講演一覧」の講演予定欄に日付を追加。 あと2週間しかないので、そろそろ準備しなくては。
2月22日に決勝戦が行われ、NECグリーンロケッツが東芝府中ブレイブルーパスを下し、初代王者の栄冠を獲得しました。
試合自体は後半しか見ていないのですが、ブレイブルーパスの攻撃力とグリーンロケッツの守備力の激突は、前評判通り見応えのあるものでした。
特に試合終了間際、同点トライを狙うブレイブルーパスと逃げ切りを図るグリーンロケッツの間で3分余り続いたラストプレイの攻防は、サッカーなどと違い、時間が切れてもプレイが続く限り試合終了にならない、というルールのラグビーならではの醍醐味ですね。
ちなみに、この試合のおかげでようやくNECと東芝府中の愛称を憶えることができました。
というわけで、現在進行中の日本選手権では、まだ私が愛称を憶えていないチームの活躍を期待する所存であります。
それでもやはり、世の中の色々な職業に対して、何がしかの評価付けをしてしまう傾向があることは否めないわけで。
例えば私の場合、「生物的必要性」(食べなければ死ぬ、など)「社会的必要性」(警察や病院、学校など)「生産性」「文化性」などの様々な(あくまで主観的な)評価項目を総合して、この職業は素晴らしい、この仕事はちょっとなぁ、などと考えています。
なお、これはあくまで「職業」自体に対してであって、例えば「某スポーツのチームのオーナーにはどうも虫の好かない人が多いんだよなぁ」などという、その職業に就いている人物に対する評価とはまた別物です。
尤も、これをきちんと別物として留め置くのも難儀ではあるのですが。
何故急にこんなことを書くかといいますと、先日聴いていたラジオ番組に、その筋では有名らしいホストの某氏が出演していました。
そのとき不意に、自分の中での前述した評価項目の間の、優先順位や重み付けの仕方に変化が起こったのです。
その変化とは具体的には、「生産性」を考える際に知識や芸術など「無形物の生産」も考慮に入れたことと、「資源(様々な意味で)の消費の少なさ」という項目の重みがかなり増したことです。
これによって、今までは正直言ってあまり好感を持っていなかったホストという職業を、自分の腕で(←あまり資源を消費せずに)お客さんに幸せ(←無形物の最たるもの)を提供するのだから、「なるほど意義のある職業なのだなあ」と考え直すことができました。
なお、これはあくまで「無関心の人に迷惑をかけない」、例えば強引な客引きなどを行わない、という項目が満たされていてこその評価ですが。
一応書いておくと、別にホストという職業自体に思い入れがあるわけではありません。
ただ、自分の価値観が転換する瞬間をこれほど明確に認識できる機会はそう滅多にあるものではないので、そのような貴重な体験ができて喜んでいるだけです。
さて、折角なので、ついでに私の目指す「数学者」という職業についての個人的評価を書いてみます。
高い点の付く項目は、まずは何と言っても「文化性」でしょう。
また、「資源の消費の少なさ」や「無関心の人に迷惑をかけない」といった項目も他の追随を許さないものがあると思われます。
俗に「紙と鉛筆があればどこででもできる」と言われる学問ですからね。
平凡な点なのは「社会的必要性」や「道徳的な尊さ」あたりでしょうか。
前者については、数学の存在自体が警察や病院のように社会の維持に役立つわけではありませんが、ほとんどの数学者が大学などでの教育にも携わりますから、まぁそれなりの点にしても構わないでしょう。
後者については、「尊さ」から言えばそりゃあ医者や消防士や農家の方が尊いでしょうし、尊いと思われてしかるべきだということで。
残念ながら低い点なのは「生物的必要性」、それに「生産性」です。
前者については、「数学が無くなったら死んじゃう」なんて、比喩でならともかく本気で言うのは重度の数学マニア以外の何者でもないですし、重度の数学マニアは残念ながら世の中にそう多くはないので、低評価も止む無しでしょう。
問題は後者で、無形物はまだしも有形物の生産性の低さは否めないものがあります。
一般の方が「数学なんて何の役に立つんだ?」と言うときにも、大抵この「有形物の生産性の低さ」を指摘しているのだろうと思います。
前者はさておき後者の点については、私もずっと手を拱いているつもりはなく、何か改善する方法はないかと日々考えてはいます。
日々考えてはいるのですが、実際に行動に移せるようになるまでにはまだ長い道程があるようです。
何より、数学者の地位向上を云々する前に、まず自分がきちんと数学者にならないと話になりませんしね。
しばらく前に現れた作品なので知っている人には今更の話ですが、スキーのジャンプ競技の「ペア部門」という架空の(←重要)競技の模様を納めた作品(題名はうろ覚えです)。
何と言うか、架空の競技だからって好き勝手やっちゃってまぁしょうがない人達だね、と大笑いしながら言いたくなるような馬鹿馬鹿しい(←褒め言葉)一品です。
面白さの方向としては、視聴者投稿が主役だった時代の『ボキャブラ天国』に通じるものがあるでしょうか。
どう考えてもあり得ない超絶技の数々に対し、大真面目に評価を下す解説者の澄まし顔を想像しながら見るともう大変。
DVDでしか見られないのかどうかは知りませんが、テレビでこの作品の紹介を見たときには媒体はDVDでした。
私は現在DVDを見られる環境にはないのですが、現在「もしDVDを見られるようになったらすぐにでも欲しいものランキング」で『八時だよ!全員集合DVD』と壮絶な首位争いを繰り広げております。
まぁ、首位争いというか、欲しいDVDが現在その2枚しかないだけとも言うのですが。
行って来ました。
私の発表は会の最初の時間(5日の13時)でした。
そのため余裕を持って、岡山駅12時10分発のバスに乗って現地に向かったのですが、岡山駅を出たバスは大通りをしばらく進み、右折して右折して、しばらく進んでまた右折…って、20分ぐらい経ったのにほとんど駅から離れていないではないですか。
どうもバスの選択を誤ったらしく、おかげであやうく遅刻してしまうところでした。後で現地の方に訊いたところ、正しいバスに乗れば10分ぐらいで着いていたらしいのですが。
ちなみに、会場への道程のどたばたぶりに比べれば、発表自体はまずまずだったと思います。
Centralizers and related objects in Coxeter groups
という題名だった割にrelated objects
の部分を1時間中の5分ほどしか話せなかった、という点を除けば、ですが。
私の発表以外にも、Coxeter群関連の面白いサーベイ講演を聴けましたし、友人Y下氏の(自主セミナー以外での)発表も初めて聴けましたし、何かと収穫の多い集会でした。
それに、サッカー五輪予選の日本対UAE戦もちゃんと見られましたしね。
いやぁ、衛星放送を見られるビジネスホテルというのは便利で良いですねぇ。
その代償として寝不足に苦しむ羽目になったというのはさておき。
賢明なる知人兼読者の方々におかれましては、私の性格を考慮された上で、「こんな題材で何かを書くということは何かの勝負に負けたってことだな」との推論を働かせておられることでしょうが、全くもってご推察の通りでございます。 種目が何だったかは言わぬが花。
勝負の種目や詳細を伏せたままであるにも関わらず反省点を列挙しますと、
まぁ、悪いことばかりではなく、相手の思考を読み切って危機を見事に脱したことも何度かあったのですが。 点数をつけるならば15点ぐらい(100点満点)ですかね。 当然ながら決して高得点にはなり得ません。
ただし、少なくとも一年前の自分であれば、今回の敗北を半ば「運が悪かった」だけで済ましてしまっていたことでしょう(カードの反り返り云々はともかく、それ以外は)が、現在の自分は、この敗北が決して単なる偶然の結果ではないことを知っています。
その点についてはまぁまぁ満足してはいます。
最近、数学書以外に読む本と言えば、武術書とか『ONE OUTS』とか『賭博黙示録カイジ』とか『銀と金』とか、そういう系統のものばかりなのですが、勝負事に対する上記のような心がけを得ることができただけでもこれらの本を読んでいた甲斐があったのかもしれません。
もちろん、「収穫があっても勝てなければ意味が無い」という考え方もあるわけですが、それはこれからの課題ということで。
久しぶりに名前で検索したり、fullnameで検索したりして発見したページをきっかけに。
その一。
「漢字ホモロジー群」のコーナーに、mozuyama氏によるコロンブスの卵を掲載。
頑張ればもっと記録を伸ばせそうな気もします。
その二。
「最後の審判」の解説のコーナーにて、先日発行された『将棋ガイドブック』(日本将棋連盟)について触れました。
まだ内容は確認していませんが、ルール面がきちんと整備されているとよいのですが。
その他。 「数学の小部屋」の、「業績一覧」のコーナーに代数学若手研究会での講演を追加しました。 また、同じく「研究成果報告書」のコーナーに2003年度分を掲載しました。
享年72歳とのことです。
何と言うか、悲しいとか寂しいとか残念だというだけでなく、むしろ「ああ、やっぱり生まれたらいつかは死ぬのだなぁ」と、自然の摂理を改めて実感することができたという意味で、いかりや氏には感謝の気持ちすら抱いています。
というわけで、斎場での取材に対し、「残念」とか「寂しい」といった類の談話を残した方が多い中、「欲を言えばきりが無いし、花を咲かせた状態のままで死ねたんだから、良いときに死んだんじゃないか」という旨の談話を残された立川談志氏に、敬意を表しつつ同意させて頂きます。
3月21日に決勝戦が行われ、東芝府中ブレイブルーパスが神戸製鋼コベルコスティーラーズに勝利し、久々に日本選手権を制しました。
実は今回の試合は見ていないのですが、後半に東芝府中がノーホイッスルトライを奪うなど、終始主導権を握っていたようです。
それにしても、あの試合巧者の神戸製鋼からノーホイッスルトライを奪うとは、攻撃ラグビーが旗印の東芝府中の面目躍如といったところでしょうか。
なお、これで今期の主な大会は、トップリーグ、マイクロソフトカップ、日本選手権と全て違うチームが制したことになります。
来期はどのような展開が見られるか楽しみです。
補足。 翌日の朝日新聞朝刊では、チーム名に関して「東芝府中」「神戸製鋼」という記述のみで、愛称は記載されていませんでした。 先は長そうですなぁ。
件の出版停止騒ぎについて。
当該号の広告で知り得た限りでは、差止めの対象は、田中真紀子氏の長女が行ったある行為(どういう行為かは内緒)についての記事だった模様です。
まぁ、正直言って田中真紀子氏の長女がその行為に及ぼうが及ぶまいが私の知ったことではないのですが。
それにしても長女側も裁判所も、損害賠償と誌面での謝罪の要求ぐらいに留めておけばよいのに、出版停止だなんて大袈裟すぎませんかねぇ。
そもそも「プライバシーの侵害だ、許せない、出版停止しろ」なんて大袈裟に騒ぎ過ぎること自体が、「その行為は不名誉なことである」という印象を強め、ひいては過去に同じ行為に及んだ日本国中の多数の人達の名誉を傷つけることになりはしないか、と思います。
その行為自体は、犯罪や反社会的行為の類ではありませんし、他人に迷惑をかけたり不快感を与えるものでもないのですから。
週刊文春編集部の方々におかれましては、これに懲りずに今後も誌面の充実に努めて下さることを期待します。
ついでにどーでもいいような芸能ネタをもっと減らして頂けますと(後略)。
補足。 週刊文春当該号が原則通り国会図書館に所蔵されるようです。 当然の行動とはいえ拍手。
2万人から3万人の人々が参加した模様。 「あの」いかりや長介氏の告別式ですら、参列したファンの数が2,500人程度であったことを考えると、数万人というのは決して少なくはない参加者数だと思います。 何故もっと大々的に報道されないのでしょうか。
例の愛すべき馬鹿作品(←褒め言葉)の正確な題名が『スキージャンプ・ペア オフィシャルDVD』であることが判明。
この「オフィシャル」という単語を見ただけで、こんな下らない作品(←褒め言葉)に恐れ多くも「オフィシャル」などと名付けた張本人のすまし顔を想像しながら10回は笑えます。
名付け親の方へ一言。
貴方はオフィシャルという言葉の使い方を根本的に誤っている(満面の笑みで)。
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