皇帝ナポレオンの元帥 
                
三色旗の将兵(1) 三色旗の将兵(2) パリの政治家 ボナパルト家の人々 

名前 政治 経済 補給 建設 指揮 歩兵 騎兵 砲兵 備考
ブーリエンヌ C B C B C C D D ナポレオンの親友。王立陸軍幼年学校時代からの級友。後にナポレオンの私設秘書になるが、ナポレオン軍内部の派閥争いに巻き込まれ、公金横領の疑いのなか、ナポレオンのもとを去る。
ラサル D D D C C C B D 伯爵の爵位を持つが、小貴族の家系に生まれる。フリーメーソンの会員で、詩によっても知られていた。1795年に入隊し、1804年旅団長。ナポレオンに従い、アウステルリッツ、イエナで功を上げ、とりわけ1805年のドイツ戦役の壮絶な戦い振りと、スペインのメデリンの報復戦で名をあげた。1809年、ヴァグラムの戦いにて戦死。
ラップ D D C C C C D C ジャン・ラップ。ブルジョワ出身の軍人。帝国伯爵。ドゼー・ド・ヴェグーの副官として、イタリア・エジプトの両遠征に参加。ドゼーの死後、1814年までナポレオンの副官を務め、連絡・調査・視察等の任務に従事した。この間ワルシャワ総督をつとめる。アウステルリッツではマルムーク部隊を率いて活躍した。王政復古でルイ18世に帰順したが、百日天下ではナポレオンに組した。そのため第二次王政復古以後はスイスに隠遁した。
セバスティニア B C D B C C B D コルシカ島出身の軍人。革命戦争に従軍し、イタリア戦役に参加。ブリュメール18日事件ではナポレオン・ボナパルトを支援した。帝国伯爵に叙され、1802年にコンスタンチノープル大使に任ぜられた。また、ここをイギリス軍から攻撃から防衛した。のちスペイン戦役、フランス戦役にも従軍。七月王政でルイ・フィリップ王からフランス元帥に列せられた。
プティ B D C C C C C D ワーテルロー会戦に仏軍として参戦。第1擲弾歩兵連隊を指揮。
ジェラール C C C B C C C C 1791年革命軍に入り、1795年にベルナドットの幕僚となる。ナポレオンに仕え、スイス・ドイツ・オーストリア・スペインを転戦し、ロシア遠征にも参加して、その退却戦において重要な役割を果たした。ナポレオンによって師団長、帝国伯爵に任ぜられて、百日天下でもナポレオンに味方した。王政復古でブリュッセルに引退するが、ルイ18世に召し出されて、ルイ18世、シャルル10世の2代に下院議員を務めた。
カンブロンヌ C D B C C B C C ピエール・カンブロンヌ。ナポレオン配下の軍人。革命戦争に従軍し、1813年に将軍となる。ナポレオンに従ってエルバ島に渡り、ワーテルロー戦で活躍した。敗れて捕虜となるが、イギリス軍の降伏勧告への返答は有名。すなわち「糞ったれ」。フランスで裁かれたが、放免される。
レイユ B C B C C C D C 仏の将軍。ワーテルローではネイ元帥麾下の軍団長として活躍。
コランクール C C B D C C B D オーギュスト・ド=コランクール。伯爵。1812年ボロディノの戦いで露軍防御陣を破るも戦死。革命時は、貴族(侯爵)であったために、一時禁固刑。釈放後、一兵士として革命戦争に加わり、ライン地方作戦で名を知られるようになる。1802年ナポレオンの幕僚となり、師団長、1807年から1811年までペテルブルク公使としてロシアに赴任し、皇帝アレクサンドル1世と交渉した。ナポレオンの下に軍馬調教長官となり、1808年ナポレオンからヴィサンス公爵に叙され、1812年のロシア遠征では、その案内人となった。ナポレオン帝政末期に外相となり、百日天下でもふたたび外相となった。王政復古においてルイ18世のもと、貴族院議員となる。
ドンブロフスキ C D D D B D B D ポーランドの軍人。ザクセン軍の士官として軍務につき、対ロシア戦争に従軍。亡命地ロンバルディアでポーランド人部隊を編成、1806年から1807年のポズナン地方の独立蜂起を指導してナポレオン軍に協力、またポニャトフスキーの下でワルシャワ大公国軍を率いた。ナポレオン没落後もポーランドにとどまり、反ロシアの立場をつづけた。
グールゴ B C C C C D D B 1799年に理工科学校に入学し、兵学校の教師を務めた後、軍務について皇帝つき将校となり、のち将軍、帝国男爵に叙された。彼はナポレオンに従ってセント・ヘレナ島まで同行し、1818年に島を離れてからは、ナポレオンに関する著述活動に専念した。
モントロン D D C C C C C C 貴族の出で、1789年に入隊して、のち騎兵将校となる。ナポレオンに仕え、1809年に式部官、1811年にはヴュルツブルク大公への全権公使に任命された。第一次王政復古でルイ18世から元帥に任じられ、ナポレオンもこれを認めた。百日天下でナポレオンの副官となったため、第二次王政復古で王党派の復仇を恐れてセント・ヘレナに随行し、そのためナポレオンの遺産を相続するが、使い果たしてしまった。
ラベドワイエール C D C C C C D D シャルル・ラ・ベドワイエール。王政期の貴族であった妻とその家族の引きで、王政復古でルイ18世に仕えた。しかしそれを恥じ、百日天下では真っ先にナポレオンに合流した。ワーテルロー会戦に参加したが、捕虜となり、軍事法廷で死刑判決を受けた。銃殺の際心臓を指差して、「ここだ、撃ち損ねるな」と言ったと伝えられる。


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