呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


創竜伝

 最近、佐藤大輔氏の作品が二作も読めたかと思ったら、今度は田中芳樹氏の作品が刊行された。もう、この世の春である。そう思ったのだが。実は冬だった。急転直下冬だった。死ぬほど寒い冬だったのである。この悲しさをどうすれば癒されるのだろうか。
 いや、なんだか、『創竜伝』を愛する高校生が、二次作品としてこの作品を書いた。ならば許しもしよう。いや、なかなか特徴を捉えているじゃないか。でも、ちょっと設定が酷いな。もう少し、思いつきだけでなく書こうね。と言っても良いくらいである。
 しかし、作者が、田中芳樹氏本人が書いているのだ。
 と言うわけで、以下、かなり辛辣な意見になるのだ。もしも、田中芳樹氏の作品が神聖にして犯すべからず。悪い評価は見たくも聞きたくもない。そういう方がいらっしゃったらどうか、以下のボタンにて他の文章へ飛んで頂くことをお勧めする。
 いや、真面目に私もここまで悲しいことはないのである。

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 と言うわけで、以下、思いを同じくする人、もしくは批判の声に耳を傾ける方に向かって書いていきたい。
 『創竜伝』が、我々の前に姿を現したのは、87年の8月。もう、16年も昔になる。私がまだ、大学生だった頃。全てがまぶしく輝いていた頃の話である。
 あの頃の田中芳樹は凄かった。私が先輩から『銀河英雄伝説』を教えてもらったのが確か85年の秋だった。その直後、私は既に発売されていた1〜5巻を札幌市中の本屋を駆けずり回って探し出し、寝ないで読んだものである。そんな興奮も醒めやらぬうちに、私は『創竜伝』を読み始めたのだ。
 非常に面白かった。私は田中芳樹の幸せな読者でいられたのだ。しかし、16年である。16年で13冊。時事ネタをふんだんに使った上で13冊16年。あまりにも長すぎた。短期集中ならばともかく、16年間で日本の社会は大きく変わってしまった。なのに、『創竜伝』の世界の中ではいまだに現在なのである。この違和感はいかに当時の田中芳樹氏の筆力を持ってしてもぬぐい去ることはできまい。いや例の『春の魔術』の筆力しかない現在の田中芳樹氏では到底無理な話である。
 更に、しょうもないのが本来ならば付け合わせというか、刺身のツマとでも言うべきギャグキャラの扱いである。
 小早川奈津子。まあ、百歩譲って彼女の存在は肯定しよう。実は、『創竜伝』がどんどん面白くなくなっていくのは彼女の存在感が増していくのと反比例していると私は思っているのだが。このあたり、菊地英行氏が外谷順子嬢(彼女は実在するらしい。故に敬称)を完全に御しているのに対し、田中芳樹氏は小早川奈津子に引きずられているように思えてならないのだ。更に今回はもっと笑うしかない甥っ子が出たり、幕府を作って下さったり、やりたい放題。もはやこれはギャグ小説ですよ。そう言うしかないではないか。
 確かに、菊地英行氏にも全編これ外谷嬢大暴走の『外谷さん無礼帳』なる作品はある。しかし、あれはシャレである。そう作者が作品を等して叫んでいるのだ。シャレであると。
 しかるに、『創竜伝』は何であるか。ギャグだったのか。そうだとは思いたくないのだが。いや、確かに主人公の名前が始続終余なぞギャグの形態を取っていると作者は仰有るかも知れないが、であるならば、あの第一部は何だったのか。ギャグで顔面焼かれて死んでいったレディLが浮かばれまい。
 ともかく、田中氏はこれでツーストライクである。『紅い龍騎兵』はシェアワールドと化し、『地球儀世界』や『クラン』は若手に書かせるという現状で、氏の作品を読み続けることはあまりにも辛い。あまりにも出会いが鮮烈すぎた故に、氏の作品世界が変質してゆくのに耐えられないのである。これがついて行けないというのならば、もはや、私はついて行けないのだろう。残念だが。
 次回、おそらくは来年の『アルスラーン』の新刊。その新刊が、『呆冗記』ネタになるのか、『酔生夢眠』ネタで終わるのか。それが田中芳樹氏と私の長いお別れなるかならないかの瀬戸際でないかと思ってしまうのである。実に悲しいことなのだが
(03,6,8)


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