呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


ただただ哀しくて

 はじめに
 以下、亡くなられた方のバンドル名を掲示し、哀悼の意を示そうとも思っいましたが、生前、一度もサイトを訪問しなかった人間に、名前を挙げられるのもどうかと考え、あえて、バンドル名は伏せさせて頂いたことを最初に明記させていただきます。

 数日前、いつものようにネットワークサーフィンを惰性で行っていた時の話である。行きつけのサイトをほとんど惰性で見て回る。失礼な言い方になるが、現在の私には、能動的に何かを行おうという意欲が完全に消滅しているのだ。
 のたくたのたくた。
 そこで、私は人のことは絶対に言えないが、一種独特の趣味を持ったウェブマスターが作成されている、文章系サイトで見知らぬ方の訃報を見つけたのだった。
 最初は良くある冗談かと思った。むろん、人の生き死にを冗談にすることの否は良く理解した上で、ここ一月ほどの日常はそう言った理性を(特に一人の時は)すっかり摩耗させていたのである。
 言ってみれば、漫画家、森山塔氏によってなされた塔山森氏の死亡通知のようなものではないか。そういった悪趣味なユーモアの産物。そう思ったのだ。(大体がそのサイトは真面目なのか、不真面目なのかよう解らないサイトであったことも、その考えに拍車をかけた。なにせ声を高らかにギャルゲーを語るかと思えば、真面目に社会を語るという。(むろん、「貴様、人のこと言えるのか」という言葉は覚悟の上だ。私の心の棚はヒマラヤ山脈よりも広いのである)
 で、私は、軽い気持ちでリンクをたどった。
 サイトの引っ越しとバンドル名の改名。ついては旧バンドル名は亡くなりました。昏過ぎるジョーク。悪趣味きわまりないジョーク。そう思ったのである。
 しかし、その訃報は事実だった。一人の人間の死は間違いのないことだった。一度も訪れたこともないその文章系サイトのウェブマスター氏の自死。その生命を知る人々の血の滲むような文章がそこにあり、事務的な連絡事項が後に続いていたのである。
 リンクをいくつかたどった後、私は、PCの電源を落とした。
 重い徒労。最近よく行く掲示板で、あるゲームのヒロインの所有を声高々に叫び、仕置きを受ける気力も、なにもなかったのだ。
 ただでさえ落ち込んでいるのが更に落ち込んで行くのが解った。
 最後にたどり着いた、その方の日記サイトの最後の文章。これから行われる死の報告。感謝の言葉。
 この文章を書き込み、その方は、幽冥界へと旅だって行かれたのだ。
 心底恐ろしいと思った。ただただ哀しいと思った。
 私も何度か(ということはたいしたことではないのだろう。と今では思うのだが)死を願ったことがある。しかし、そこには不思議なことに自死という選択肢はなかった。私は、私を苦しめる全てのものが私の命を奪うことを夢想したのだ。
 奴に、奴らに殺される。その結果はどうなっても良かった。ただ、私は尻をまくってその場に居直ったのである。
 それは生きたくても生きることがかなわなかった知人の故なのか、それともまだ幼さの残る子供を失った親御さんの哀しみを目にしたからなのかは解らない。
 いや、それを見る以前から、死を願った時も、自死という選択肢はなぜか私の目の前には現れなかった。
 私はむろん、
 「自死は最低の選択、勇気のない卑怯者の選択」
 などと言うつもりはさらさらない。逆に、当時の私は、いや今の私も、
 「自死することすら出来ない、勇気のない卑怯者」
 であったかも、そして、現在進行形であるかも知れないのだ。
 それしか道が見えない人に、それ以外の道を示すことは出来ない。私は道が見えなくなった時に、その場に座り込み、ただ目と耳をふさいでいただけかも知れないのである。
 しかし、それであっても、私は3年前の発言を翻すつもりはない。
 何故なら、死は全ての選択肢を消滅させるが故に。考え直すことが出来ないが故に。
 ならば、死は最後の選択肢で良いではないか。切り札は最後まで取っておくものなのだ。

 むろん、亡くなられた方にとって最後の選択肢が、この結果であった。という事実は動かし難い。そして、それを選んだことを否定することは私には出来ない。故に私に出来ることは亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げることだけなのだ。

 心から亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。(03,5,1)


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