呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
さよならポールタウンの旭屋
永年ご愛顧いただきました『旭屋書店札幌店』は2003年3月6日に、JRタワー(札幌ステラプレイス)5階にオープンすることになりました。
いや、しみじみしてしまうのである。なんたって、だ中学生時代から25年近く世話になってきた旭屋書店が移転してしまうのである。
地下鉄大通駅で降りて、『リーブルなにわ』で漫画買って、『玉光堂』でCDやLD買って、『九十九電機』でPCゲーム買って、『旭屋』で本を買って、『ランバン』で珈琲飲んで、『パイネポー』で酒飲んで帰る。という大学生時代からの永年続いた黄金パターンも、いつしか『九十九電機』が駅前に移動し、今また、『旭屋』が駅前に動く。時代は流れ、確実に物語は変わり行く。
別段、過去を懐かしむつもりはないが、時代は確実に変わっていくのだ。そして、人は生きていかなければならない。
私と旭屋の出会いは中学生の頃だったと思う。その辺が曖昧になるくらい昔の話だ。
確か、『本屋に行って何か本を買わないと死んじゃうぞ』病(あ、そういえば、これによる高千穂遥氏との出会いが、宿題になっていたな)で、『連帯惑星ピザンの謎』を紀伊国屋で購入。読了後、即座に続刊が読みたくなり、『紀伊国屋』に駆けつけても揃わず、で、できたての『旭屋』に向かって、5巻くらいまで揃えたのではなかったか?
それとも、中学時代の友人(むろん、男)と行って帰りに『ロッテリア』でハンバーガーを食べたのがファーストコンタクトだったのだろうか。
ともかく、専門書オンリーといった感じのある『紀伊国屋』と異なり、『旭屋』にはいい意味での何でも感があったと思う。『リーブルなにわ』や『なにわ書房』のような言っては申し訳ないがイロモノ的な部分もそんなになかった。少なくとも『旭屋』へ行けば何でも揃う。そう思うことができたのだ。そう、その感覚は、今の『コーチャン・フォー』に寄せる感覚に近いかも知れない。何でもある本屋。現実はそうではないにせよ、中学生・高校生時代の私にとって、『旭屋』はそういう本屋であったのだ。
更に、その利便性。私の行きつけはほとんど旭屋を中心にして存在する。いや、これは逆に旭屋を中心とすることで行動した私の日々の証明となるのかも知れない。まず、『旭屋』で本を買って。それから、おもむろに行動を開始するのである。
その軸が消失してしまう。
25日の現店舗の閉店を前に、22日、定期購読や、客注本を引き取るためにポールタウンを訪れる。
偶然にも見てしまった『YES』が『ドンキホーテ』に変わる瞬間。そんな姿を見たくはなかったので、25日の最終営業をわざと外しての行動である。
25年以上通った店はいつものようにたくさんの客を飲み込み、吐き出し、ゆっくりと生きているかのようにそこにあった。
消えるわけではない。しかし、新しい店舗は絶対に今の店舗ではない。
しかし、そう、悲観することもあるまい。おそらくは、新しい場所の『旭屋』が本屋デビューになる中学生がこの街のどこかに存在するのだろうし、私にしてももう25年後、新たな移転を目の当たりにすることがたぶん、絶対とは言えないが、できるだろう。
そして、その時の様子をも、このサイトでネタにするかも知れない。
しかし、それは、60過ぎてこんな文章を書いていると言うことは、幸せなことなのだろうか?
それともとっても不幸なことなのだろうか。(03,2,24)