ちょっとした架空
なんともならないが、まだ、マシンの調子が悪い。メールだけは職場で読めるように細工したのだが、原稿のアップが出来ない。困った話である。
それはさておき、最近、架空戦記が結構熱い。(仮想戦記ではない。少なくとも仮想戦記と言えるのは佐藤大輔氏くらいだろう。横山氏も『八八艦隊物語』は仮想と呼べるかもしれないが以後は・・・。しかし、最近でた冒険小説は結構読み応えがあった。あっちの方に行かれたら日本は一人のすばらしい冒険小説家を得られるかもしれない)
私としては暇が出来たら一編はものしてみたいと思っていたのだが・・・。(ああ、零戦の航続距離減らすのはやられてしまった・・・)
このままだとどんどんネタが浸食されそうなので一回、きちんと文章化しておこうと思ったまでである。
過去に宿題としてあることでもあるし。
実際問題としてSFの一形態としての仮想戦記は架空戦記として歪み、その結果多数の読者を得た。
日本が第二次世界大戦に勝つために。ああしたら。こうしたら。
日本だけが持つ超技術。日本だけに訪れる幸運な気象現象・・・。
勝った勝ったまた勝った。勝たんでいいのにまた勝った・・・。はあ。
しかし、それ以後はファシズムが共産主義と対峙する世界となるはずで、とてもじゃないが私のような非生産的な人間は存在すらも許されないであろう。架空戦記を愛する大多数の人間もまたしかりである。
しかし、架空戦記は日本の勝利のみを目的とし、以後の世界は黙殺する。
ま、そのあたりは今回のネタから少しはずれるし、非常に生臭くなるのでここではふれない。
よって、その戦闘にのみ限定する。
逃げているようだが、事実逃げているのだ。ここは、人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。なのだから。
というわけで、本題。
架空戦記の大多数は太平洋戦争の中にのみ改変を行っている。佐藤大輔氏など、日露戦争から改変するのは極めてまれである。某作品など前世などと言う存在すら出しているものもあるが、それは置いておく。
がだ、太平洋戦争開戦時からの改変では間に合わないのだ。国力の差は歴然である。国力差20倍。戦力二乗の法則によれば400倍である。話にならない。いくら超兵器があっても無駄である。1機のF−15イーグルは400機のレシプロ戦闘機に勝利できない。当たり前の話だ。
ならばどうするか? 味方を強めるか? いや、それは不可能に近い。仮に関東大震災をなくしたとしても、決して日本の鉄鋼生産量はアメリカに敵うようになるとは思えない。中国、朝鮮と協調する? 莫迦な。中華思想に染まった宗家とその一番純粋な兄弟子が、破門寸前の弟弟子の言うことなど聞くはずがない。笑われるのがオチだ。
結局どうするか? 日本の国力が上がらないのなら、アメリカを弱めるしかないのだ。一番楽しいのは信長が生きていて鎖国をしない日本が新大陸に乗り出し、アメリカ自体を成立させないという話だが・・・これは既に佐藤大輔氏が『覇王信長伝』でやっている。
ならば、もう一つ、南北戦争によってアメリカが南北に分かれてくれれば・・・北アメリカは南アメリカに対する戦力が必要となり、決して全戦力を日本に向けることは出来ないのだが・・・。これも佐藤大輔氏の『パシフィック・ストーム』で使われてしまった。
うーむ。人間の想像力なんぞたかがしれているのかもしれない。さすがは御大。
さて、アメリカの消失、もしくは分裂が不可能である場合どうすればいいか? 悲しい話だが、ささやかな日本の国力を高め、無駄を省くしかない。どうするのか?
まず、陸軍を改革する。それも設立初期にさかのぼって調整するのだ。
そのためには、大村益二郎を暗殺させてはならない。片足一本なくなっても生きていて貰わねばならないのだ。なんだったら後に日本をアジア蔑視の方向へ誘導した福沢諭吉が被害にあっても構わない。いや、ここで死んでくれた方が改変がしやすいのだが・・・。(凄いことを言っている・・・)
それはともかく、大村益次郎が目指したのはドイツ式師団ではない。フランス式のの鎮台であった。島国で侵略行為を行わないのならば、日本の陸軍は鎮台でいい。(って、たしかこのネタもどなたか書かれてたような)
彼の兵器の性能が第一、戦は火力という思想を押し進めればあんな莫迦な日清・日露戦争の戦いは発生しなかったはずだ。(何がこのあたりでよかろう。後は精神力で補うだ)
次に山縣有朋には少し悲しい目にあって貰う。欧米訪問の時、新興のプロイセンは日本をほとんど相手にせず、大変不愉快な目にあったことにする。大日本帝国が、ドイツよりになったのはこのとき大歓迎をうけて彼がすっかり舞い上がってしまったからだから、これでプロイセン風の国家形態はなくなる。そこで、大日本帝国は、同じ立憲君主制としてイギリスをお手本に国家を作っていくことになる。
これで陸軍と海軍でネジの規格からスロットルの吹かす方向まで違うような世界とはおさらばできるわけである。
でだ、日清日露の戦争は避けることが出来ただろうか? 次はそう言う話になる。色々考えることはあるのだが、ここでは不可避であったと結論づけるしかない。なぜならばこの時代、帝国主義全盛の時代にそれ以外の価値観を発展途上の国が見つけだすことなど非常に難しいと考えるからだ。
すでにかなり長いので今回はこの辺で。
近日中に後編を用意しようと思う。では、今回はこの辺で。そのころにはネットに接続できればいいのになあ。(00,12,7)