呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


国民的電脳遊技にもの申す

 さて、国民的電脳遊技DQ7なのだが・・・。扱いがずいぶんとぞんざいである。FFの時と来たら確かに毎日更新などと言う今考えても凄まじいことをやっていたからかもしれないが、もう、FF漬けの毎日のようであった。個人的意見でリアルタイムの『考えた』が3回、終わった後での友人T(後半は友人Sも加わる)との『総括』が5回。プラス冴速さんとの『ビビについて』が1回。ところがだ、DQ7の方は買ったときの『やっと出たのである』が最初で最後。以後3週間近くほったらかしである。これは一体何故なのか?
 結論から言うと
 いまいちおもしろくない。
 のだ。(これでかなりの人間敵に回したな・・・)
 私にとってのDQとは無限の世界への冒険であり、シナリオがないように感じさせるシナリオの妙にあった。船で海に乗り出せばそこにあるのは無限の海原。命を大事にしなければどこへでも行けた。むろん、命を大事にするのならば巧妙に計算され尽くしたモンスターの強さが確実に快適な旅を誘導してくれる。しかし、それは露骨なものではなかったのだ。プレイヤーはその空気のようなシナリオをさも、自分で見つけたかのように錯覚しながら、プレイを続けることができたはずだった。
 しかしだ・・・。今回のDQはそうではない。石版システムが今回のクエストを一本道のお使いRPGに堕落させているのだ。
 まるで、
 『FFのようなDQ』(著作権 友人S)
 なのである。
 おそらく、諸悪の根元は「石版のかけら」システムにあるのだろう。一つでもかけらが欠けると次の世界へはいけない。しかも、そのかけらはどこにあるのか特定されてはいない。必ず宝箱に入っているとか、必ず中ボスが持っているとかであるならばまだあきらめがつこうという物なのだが、井戸の中、壺の中、廃墟の床。千差万別摩訶不思議。これでは探しようがないではないか。
 もともとDQは1の『たいようのいし』以来、不親切なところのあるRPGではあった。しかし、今回の場合は念の入れ方が異なる。ここまですごいことされてしまうとどうしようもないではないか。
 これは、現状のネットの発達による攻略情報の氾濫に対しての開発陣の回答の一つなのだろうか。
 3Dのマップ。通常視点では絶対に見えない場所にある扉。その中の宝箱にひっそりと眠る石版のかけら。それが見つからないが故に私は3時間という時間をPSに捧げたのだ。
 社会人の3時間。それとも、我々は既に対象ではないのだろうか?
 これが中ボスが強くて中ボスが強くて、その攻略に3時間を要するというのならば、かえって意欲もわこうというものだが、石版探して3時間では泣くに泣けない。
 どうも私のとってのDQ7は、現在の状況では、FF8になりそうな勢いである。次も駄目ならさようならだ。(幸い、FF9は面白かったのでもう1回つきあってもいいかなとは思っている)
 むろん、箸にも棒にもかからないゲームに既に60時間近くも費やしはしない。端々には「これぞDQ」という演出も見られる。
 しかし・・・。疲れるのだ。

 そういえばFF8も疲れるゲームであった。
 ま、あのゲーム。愛があれば何をしてもいいのだ。あの人達は・・・。(00,9,13)


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