呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
雨の日、喫茶店で考えた
実は飴が好きである。あの、黙殺された第6回 『飴の日は・・・』で書いたようなことは全くないのだが、飴が好きである。
って、大歩危かましてくれたATOK13(言うまでもないがIMEの現状における最高傑作)である。飴ではない。雨だ。
ええい、せっかくリリカルに始めようと思ったのにぶちこわしである。しかし、珍しいミスをしてくれたものだ。雨と飴。
おし、いいかATOK。食べるすす。
獅子舞のすす。
煙突のすす。
わあああ、最後以外は全然変換してくれないではないか? 貴様が日本最高の日本語変換システムだというのは嘘だったのか?
などとすっかり私も大歩危かましてしまった。
元に戻ろう。
が、何はともあれ雨が好きである。今頃の夕方から夜にかけての激しい雨がとても好きなのだ。
「確かに、今の時期、夕方から夜にかけての雨には情緒があるな」
おお、友人S。学校祭はどうなった?
「いやあ、ともかく、今年は(以下20行略)
今の状況で放送局がやれることは全部やった。後はしょうもない」
って、なんかお前の人生訓らしい状況のようだな。
「今日できることを明日するな。明日出来ることを今日するな。明日は明日の風が吹く、そのうち何とかなるだろう。だな」
・・・。
「ついでに言うと人間、病気で死なないぞ。寿命で死ぬ」
・・・。
「外したか」
って、ギャグだったのか? 今の・・・。
「仕方がない、外した詫びに、今の時期の雨で、涙が止まらなかった挿話を披露してやろう」
おい、そういうものは貴様のWEBサイトで披露すべきではないのか?
「ははははは、俺のWEBサイトは連休前に更新が止まっているのだ」
って、誉められたことか?
「学生時代の話ですが」
わああ、字体まで換えやがったな。
「その昔『E』(以下、上杉注 現在は映画館の付属レストランとして命脈は保っているものの、もはや今の店は昔の店ではないのだ)は、私にとって本当に美味しい日本酒を教えてくれた場所でした。学生時代の今頃のある日、私は『丸善』で何冊かの歴史書を購入し、軽く日本酒を呑もうと思って『E』を訪れたのでした。空は低く雲が垂れ込めていましたが、その頃の私には怖いものは何もありませんでした。『秀岳荘』のパーカーと、『ノース・ウェスト』のディバック。そして、丸石ロードマンを個人的にチューンした『島風』号。これさえあれば、札幌市内であればどこへでも行き、自宅へ帰ることが出来たのです。
その頃、私の最高のお好みは『玉の光』でした。当時の(以下、上杉注 Nマスターの目的を知った現在は何も言うまい。この『E』は映画館『K』を創設するための飲み屋でしかなかったのだ。当然、『K』創設後はNマスターの目も届かなくなり、悲惨な状況となる。ちなみに私はここ数年行っていない)『E』で雪花菜をつまみながら『玉の光』を呑んでいたとき、激しい雨音とともに、雷が鳴り響きました。そのとき店内にかかっていたのは『サイモン&ガーファンクル』のベストアルバムでした。激しい雨音と『S&G』と『雪花菜』と『玉の光』。私はその日、何かここまで幸せを得ることが出来る善行を行ったのか? 思わず涙しながら。酒を呑んだのでした」
「ああ、いい話だ」
何が?
「じゃあ『P』で冴速さんと雨の中、朝まで飲んだ話とか・・・」
いい加減にしろ! 『呆冗記』は俺のサイトだ。
ともかく、今頃の雨はなぜか色々な事を想い出させる。
深夜のファミレスを出ると凄まじい雨。私のゴアテックスのウィンドブレーカーに埋まるようにした少女。化粧気のない顔、背中の中程まで伸ばした髪。白いTシャツにジーンズ。
「今日はごめんね」
「莫迦言うな・・・。締め切り近いんだろう」
「うん・・・でも、上杉さんにつきあってもらえて、方向性が決まったよ」
にっこりと笑う。
「いよいよデビューだぜぃ」
白い歯を見せて少女が笑う。
しかし、彼女の書いた太めの魔道士と少女の盗賊(シーフ)が活躍するはずだった物語はとうとう日の目を見ることはなかった。ただ、彼女の両親から渡された、数冊の私のくだらない雑談の記録されたノートと、下書きのなされた数枚のケント紙が彼女の記憶の全てである。
雨が降るかも知れない。激しい雨が。
朝からの湿った空気にうんざりしていた私は夕方、微かな希望とともに『edb』の窓側の席に越をおろした。文庫本を開きながら雨を待つ。
しかし、結局、雨は降らなかった。
私は『EDB』で2杯の紅茶を粘った。しかし、雨は降らず、オーダーストップの時間がやってくる。私はそっと席を立った。
今年は激しい雨に濡れるヒマがあるのだろうか。(00,7,16)