1999/03/31[水]
前の晩の思いつきで大阪の分室最終日ほか局めぐと名鉄美濃町線を惜しむ旅
1999/05/05作成
大阪中央郵便局・毎日ビル内分室と名鉄美濃町線末端部の最終日を惜しんで出かけてきました。
実は03/31は、新潟と岐阜のはしごをするつもりでした。しかし、新潟のほう(新潟交通電車線)が、最終日が04/04[日]まで延びたことから、逆にこの日をどうするかということを考えあぐねたまま、03/30になってしまいました。結論として、岐阜だけでなく局めぐネタも絡めて大阪、そして神戸まで足を延ばそうということに決めましたが、もしこの日のうちに18切符の残券が入手できたら、夜行で出かけようかと思ったのですが果たせず、当日の朝出かけることとしました。
当日は早起きできず、新横浜08:55発のひかり131号で出発、新神戸で下車して三宮へ。
三宮駅近辺の局めぐを行ったあと、新快速で尼崎へ、そして東西線で北新地へ行きました。
自動改札で途中下車を試みましたが、Jスルーは途中下車には対応していないようで、通せんぼされてしまいました。また、尼崎でJスルーカードを買ったので、ついでにイオカード(JR東のストアードフェアカード)をJスルーに入れてみましたが、磁気異常とみなされました(あたりまえや!)。
ちなみに、北新地駅で降りても、別途運賃は請求されませんでした(特例)。
北新地駅から大阪駅まで歩く間に、やはりこの日が最後となった大阪中央局毎日ビル内分室をはじめとした局めぐを行い、大阪から新大阪へ。新大阪駅でも構内にある淀川局・新大阪駅内分室へ立ち寄りました。
新大阪からこだま424号に乗り、岐阜羽島へ向かいます。そういえば、ここまで何も食事をとっていなかった(大阪中央局で缶コーヒー1本だけ!)のを思い出し、車内販売でサンドイッチを買い求めます。
岐阜羽島から新羽島へ、そして名鉄で新岐阜へ。
新岐阜で一旦降り、岐阜中央局へ立ち寄ったあと再び駅へ戻り、いよいよ美濃を目指します。
ここまでの局めぐのことは、毎日ビル分室と名鉄美濃町線の最後を惜しんで局めぐと乗り鐵もご覧ください。
新岐阜発17:05発新関行きは、887+886号車の2両編成。新関には17:58に到着。
新関駅の駅名標です。美濃方向の次駅名が手書きになっており、明日になるとそれをはがして関という文字が見られるようになるのでしょう。
美濃行の電車までもう1本あるので、駅の外へ出てみました。すでに夕闇が迫っています。
新関駅の出札窓口です。運賃表はすでに関駅が書き込まれており、美濃方面はその下に貼り紙として付け足されています。
新関駅2番線に到着した、新関~美濃間専用の590型・593号車です。
実は昨年の9月にも訪問しているのですが、そのときと構内通路の位置が変わっているのに気付きました。現在の構内通路は写真の手前側ですが、当時はちょうど電車の真下に当たる部分でした。これはおそらく、これまで新関まで来ていた連接車が、そのまま関駅まで運転するために、2番線側も連接車が停車できる長さが必要になったためではないかと推測します。
その2番線にある、乗り場案内です。美濃方面という文字が紙で張られています。明日になると紙がはがされ、その下から関方面という文字が現れるのでしょう。
途中の神光寺では、対向電車がいたのにさっさと美濃まで戻ってしまいました。ということは、併合閉塞の関係でこれが神光寺駅最後の行き違いということだったのかもしれません。
美濃駅へ到着しました。すでに18:30、すっかり暗くなってしまいました。もう、美濃駅として朝を迎えることはありません。
美濃駅の駅名標です。駅名標は新しくなっているのに、その下の乗り換え案内が異様に古めかしいですね。
すでに遅くなってしまっているので、後ろ髪を引かれつつ、いま来た電車でそのまま引き返すことにします。
往きもそうだったのですが、車内は満員だったものの、乗り切れないというほどではありませんでした。
18:40美濃発で、新関乗り換え19:02発の新岐阜行は605号車の単行でした。
新岐阜から岐阜へ、東海道線で名古屋へ向かい、名古屋からひかり270号で新横浜へ。この1本前のひかり号が700系だったんですが、新横浜通過のためパス。
時刻表を見ると、横浜線そして京浜東北線の接続が異常に悪いことがわかり、やむなく新横浜で下車して地下鉄に乗り換えて横浜へ。接続が良けりゃ、別途運賃ナシで横浜はもちろん根岸まで行けるのに!
横浜駅から乗ったバスは赤バスでした。
いずれは文書と写真を増やそうと思っています。