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1999/10/02[土]~10/04[月]

C57に乗って蒲鉄の最後を看取りに行く旅

1999/10/08作成
SL出発まで
1999/10/11追加
新潟前泊まで
1999/10/13追加
※加茂→村松→五泉まで
1999/10/15追加
※「サヨナラ」の籾殻文字まで
1999/10/17追加
一旦新潟へ戻るまで
1999/10/18追加
蒲鉄最後の瞬間まで
1999/10/21追加
※一応完結
2000/01/04修正
※画像を7枚追加および2枚差し替え

1999年10月3日、新潟県に残った最後の「ローカル私鉄」、蒲原鉄道が最後の日を迎えることになりました。
そこで、往きは磐越西線経由でSLに乗り、蒲原鉄道の最後を看取りに出かけることにしました。

10月2日[土]、この日の朝出発なのですが、前の日は夜まで飲んでいたので準備も進んでいないのに、ちょうどこの日が最終回となったNHKの朝の連続テレビ小説をのんびりと見ていて、危うく出かけそびれるところでした。
※BSでは土曜日に1週間分6回を続けて放送するのです。

やまびこ号ビュフェ(その1)東京から東北新幹線で郡山へ向かうのですが、やはりビュフェが営業している列車を選びました。
しかし、ちょうどお昼の時間帯にもかかわらず、ごらんのとおり....です。
やまびこ号ビュフェ(その2)ビュフェの反対側から見ても、公衆電話を利用する人がちらほらと来るだけです。
これでは、ビュフェの行方、非常に危ういでしょう。
磐越西線455系磐越西線の主、455系電車です。
これに乗って、SLの始発駅会津若松へ向かいます。
SLばんえつ物語号最後尾SLばんえつ物語号の最後尾です。
12系客車の6両編成です。
C57180@会津若松駅反対側へ廻ると、C57180がいました。
昨年、約30年ぶりに復活したものです。
運転台見学サービス運転台では見学サービスが行われていました。
燃えさかる石炭の火運転室に上がったときに撮った、石炭が燃えさかる機関室です。
SLばんえつ物語号の側面方向幕SLばんえつ物語号の側面方向幕です。
SLばんえつ物語号のシンボルマークこちらはSLばんえつ物語号のシンボルマークです。
描かれている動物は、いたちでしょうか?
炭水車の扉に小学校のものが....炭水車の扉には、長らく保存されていた新津市立第一小学校の児童が作ったと思われるSLの絵が取り付けられていました。
そして、いよいよ出発です。
最初の小休止・野沢SLばんえつ物語号は途中、2つの駅で小休止しますが、新津行きの1つめの長時間停車駅は野沢になります。
先頭のSLのまわりには、さっそく乗客が集まっています。
線路の廻りにあるススキがいい感じです線路の廻りには、ススキが生えていて、いい感じを出しています。
車販嬢もレトロな服装車販嬢もレトロな服装です。
津川駅で喉を潤すC57180次の小休止は津川なのですが、車内放送では「SLが喉が渇いたので....」などと放送するではありませんか!
停車したところで、SLのところへいってみると、SLが給水中でした。
なるほど、これなら喉も潤うことでしょう。
元気を取り戻したC57180何となく、C57180も元気が出てきたようです。
本当に、車内放送で「SLも元気を取り戻しました」と言っていました。
津川駅駅名標・レトロ風津川駅の駅名標その1:レトロ風です。
津川駅駅名標・狐の嫁入り写真入り津川駅の駅名標その2:写真入りです。
「狐の嫁入り行列」の写真入りです。
新津駅へ到着したC57180そしてついに、C57180のふるさとともいえる新津に到着しました。
もうすっかりと陽も暮れてしまっています。
隣のホームには、SLリレー号が待っています。車両は、MLえちごの165系電車でした。
が、あえて五泉へ引き返し、最終日前日の蒲原鉄道を、下見も兼ねて乗りに行くことにします。
廃止前日の五泉駅ホーム夜とはいえ、まだ前日ということで五泉駅もまだ静かなものでした。
電車も、1両で充分でした。
鉄道線廃止告知の貼り紙廃止を告知する貼り紙を見ると、やはり寂しくなるものです。
村松まで往復したあと、新潟へ行ってホテルにチェックインします。その頃から雨の降りがやや強くなっていました。
食事どころを探して、万代バスセンターあたりまでさまよっていたところ、越後の地ビールを出すレストランを見つけたので、また飲んだくれてしまいました。
グラスとはいえ5杯も飲んだはずなのですが、お勘定を見ると4杯分しかついていませんでした....。
10月3日[日]は、いよいよ蒲原鉄道最後の日となりました。
8時過ぎに新潟駅へ行くと、ちょうどSLリレー号が停まっていましたので、それに乗り込んで新津へ向かいます。
SLばんえつ物語号の花嫁昨日、会津若松から乗ったSLばんえつ物語号が停まっているのですが、先頭の客車には花嫁が乗っていました。
この列車で結婚式が行われるのか、それともこの列車で式場へ向かうのでしょうか。
SLばんえつ物語号発車直前@新津駅まさに発車直前のSLばんえつ物語号です。
この列車に乗ると、五泉で蒲原鉄道に接続するのですが、指定券が惜しかったので乗りませんでした。
そうすると報いがあって、次の磐越西線上り列車は2時間ほど間が空いてしまうため、信越線で加茂へ向かうことにしました。
(信)加茂駅表口(信)加茂駅です。
ここへ来たのは、かつて加茂まで延びていた蒲原鉄道の過去の廃止区間を偲ぶという意味もあります。。
(信)加茂駅西口こちら側は、いわば裏口に当たる(信)加茂駅西口です。
かつて蒲原鉄道が開設した出口ですが、廃止後は閉じてしまうわけにもいかず、JRがあとを引き継いでいます。
この区間が廃止になってから、すでに14年経ちますが、何か当時を偲ぶものが残っていないかと探してみると....。
蒲原鉄道の遺産?!の車止め蒲原鉄道の敷地内だったと思われるところに、車止めが放置されていました。
これも、蒲原鉄道のものだったんでしょうか。
蒲原鉄道バス村松行き表口へ戻ると、蒲原鉄道バスの村松行きが停まっていました。
言わずとしれた、鉄道の代行バスです。
上大蒲原経由は途中、とんでもない細い道を通っていきましたが、鉄道の跡はよくわかりませんでした。
最終日の村松駅前鉄道最終日の村松駅前です。
テントも出て土産物も売っていました。
村松駅駅舎内・昼すぎこれが昼過ぎの村松駅の駅舎内です。すでに多くの人たちが訪れてきています。
村松駅駅舎内・グッズ屋や郵便局も出店駅舎内には、新潟交通最終日にも見かけたグッズ屋や郵便局も出店していました。
この先が加茂につながっていましたかつて、加茂まで延びていた線路の跡です。今は、月極駐車場として使われている箇所もあります。
村松駅構内・きれいに塗装された貨車たち駅構内には、貨車も留置されていました。保存が決まったということで、きれいに塗装し直されています。
村松駅構内・きれいに塗装された貨車たちこの日は、終日3両編成の運行となっていたようで、村松側にはモハ71、五泉側にモハ41、その中間にクハ10という編成でした。
まずは、五泉へ向かうことにします。
ED-1構内には、ED-1もいました。
車内の風景車内の風景はごらんのとおり、3両編成でもこれほどの混雑ぶりでした。
今泉駅名標今泉駅の駅名標です。
五泉駅名標こちらは五泉駅の駅名標ですが、なぜか今泉駅が「いまいみ」になっています。
五泉駅ホーム/最終日昼五泉駅のホームです。ただでさえ狭いのに、物販や郵便局の出店があって、ますます狭くなってしまっていました。
五泉駅出札口/昼五泉駅の出札口は元々狭いということもあり、非常に混雑していました。
「かんてつクン サヨウナラ」の大文字ここで、今泉駅に向かって歩いていくことにしました。
途中、おそらく籾殻で書かれたと思われるかんてつクン サヨウナラという大きな文字を見つけました。
南公園付近にて南公園のあたりで、五泉行きの電車を待ちました。
踏切の警報音が聞こえ、やがて電車が現れました。そして、なんと最後尾にはED-1が連結されていたのです!
これは折返し乗らねば、と今泉駅へ急ぎました。
五泉自動車学校の送迎車 どこかで見かけたような?!五泉自動車学校の送迎車が止めてある駐車場に、どこかで見たようなふそうエアロスターKを見つけました。
もしかすると、元大阪市営の南港シャトルでしょうか。
今泉駅前にあるウオロクようやく今泉駅にたどり着きました。駅前にはウオロクというスーパー?がありますが、その前に「今泉ウオロク前」という停留所が設置されていました。
今泉駅ホームに「今泉」停留所が....今泉駅のホーム上に、今泉停留所が置かれています。明日からは「今泉ウオロク前」に変わるのでしょう。
村松行きの先頭に立つED-1今泉駅で待っていると、電車とは違う甲高い汽笛とともにED-1を先頭に村松行きが現れました。
村松駅売店再び村松駅へ戻ってきました。売店も蒲原鉄道と運命を共にするのだそうです。
売店にも53年と5ヶ月の歴史あり鉄道線には及びませんが、売店も53年と5ヶ月の歴史がありました。
単行で五泉へ向かうED-1ED-1は電車から切り離されたあと、五泉まで単行で往復するとのことで、すぐさま1番線から出発していきました。
車内の風景;夕方近くさて、最終列車まではまだ時間があります。それに、気温がかなり下がってきました。
そこで、一旦新潟へ戻ってホテルに置いてきた上着を取ってくることにしました。
クハ10の車内も、非常に混雑しています。
すっかり陽も暮れた五泉駅再び五泉に戻ってきたときには、すっかり陽も暮れていました。
夜の車内風景車内もすっかり暗くなってきていました。
最終電車まではあと数本あります。
こちらも陽が暮れた村松駅村松駅もすっかり暗くなっていました。
商売熱心もあとわずかで幕....村松駅内の出店も、最後の商売に精を出していました。
このあと、最終電車の1本前で五泉へ行き、五泉駅で最終電車を待ち受けることにします。
最終電車を待ちわびる五泉駅五泉駅では、狭いプラットホームにブラスバンドまで出て、最終電車の到着を待ちわびます。
そのブラスバンドは、電車の到着前はバックドラフトのマーチ
最終電車が五泉駅に到着した瞬間そして到着の瞬間にはロッキーのテーマを演奏しました。
最終電車は、夕方までの3両編成に加えて、村松側にED-1/五泉側にモハ61を連結した4+1両編成でした。
ホームに入りきれず、線路敷跡にまであふれたたくさんの人たちに見守られ、定時より8分遅れの21時28分、蛍の光の演奏に送られて、蒲原鉄道ほんとうの最終電車は村松へ向けて出発しました。
本当の最終電車の車内電車は4両といえども、さすがに最終電車ということで、どの車両も大変な混雑でした。
村松駅最終電車到着直後そして21時40分、蒲原鉄道の最終電車は村松駅に到着しました。
村松駅最終電車到着式(1):花束贈呈そしてほどなく、最終電車到着式が始まりました。
最終電車の乗務員に花束贈呈、
村松駅最終電車到着式(2):ハンドル返還そしてハンドルが運転士から社長へ返還されました。
村松駅最終電車到着式(3):式典を見守る人、人、人村松駅でも、多くの人たちが式典を見守ります。
村松駅最終電車到着式(4):社長からの挨拶続いて、社長からの挨拶がありました。
途中からマイクの調子が悪くなって、よく聞こえませんでしたが....。
最後に、利用者代表の方の挨拶がありました。声はすれども姿が見えず、と思ったら、マイクの調子が悪くなったので駅事務所のほうのマイクを使っていました。
この方は学生の頃から蒲原鉄道を利用していて、就職後も新潟へ通勤するのに利用されていたそうです。その頃は、仕事の関係で最終電車に乗ることもしばしばだったそうで、『そのときの最終電車は、また次の朝になれば電車は走ったのに、今夜は本当の最終電車です』との言葉に、目頭を熱くした人も多かったことでしょう。
村松駅最終電車到着式(4):最後の三本締め最後に、三本締めが行われました。
これで、蒲鉄は77年の歴史に幕を下ろしました。
かんてつクン ありがとう!!
気がついたら、かなり肌寒くなってきており、上着を取りに戻ったのは正解だったようです。

さて、その余韻に浸りっぱなしでは、新潟へ戻れなくなってしまいます。
村松駅のタクシー乗り場へ行きましたが、止まっているタクシーは予約済みばかりでなかなか来ません。おまけに、村松駅近辺はこのセレモニーを見にきている車が多いのか、渋滞していました。
タクシー会社に電話して配車してもらったときには、すでに五泉に戻っても間に合わない時間になっており、仕方なく新津まで行きました。しめて4840円也。ホテルに戻ったときには、23時半近くになっていました。
それにしても、あの村松駅へ来ていた人たちはどのようにして帰ったのでしょうか、気になります。

10月4日[月]は、新発田から赤谷を回って村松を目指して局めぐを行ないました。局めぐは五泉市内で時間切れとなり、そのあと旧・村松駅へ向かいました。
静まり返った「旧」村松駅昨日までは多くの人たちでにぎわった「旧」村松駅も、ひっそりと静まり返っていました。
役目を終えた電車たち役目を終えた電車たちも、静かに休んでいました。
踏切も使用中止、お払い箱に....踏切も「使用中止」、鐘が鳴ることも遮断機が下がることも、もうないことでしょう。
冬鳥越のスキー場跡このあと、前日バスで辿った村松~加茂間を逆方向に向かいます。
冬鳥越のスキー場跡です。ボンネットバス?の斜体を利用したリフトの待合所は、そのまま残っていました。
旧七谷駅舎 現在は公民館に旧七谷駅舎です。現在は、地元の公民館の建物として利用されています。
七谷駅ホーム跡七谷駅のホーム跡です。ここを列車が行き来したのはすでに15年以上前のこととなってしまいました。
旧東加茂駅跡 今や全く面影ナシ旧東加茂駅跡と思われる場所ですが、区画整理で新しい道路ができてしまい、駅はもちろん線路の跡もわからない状況でした。

このあと、R8を北上して新潟市内へ戻ったのですが、白根市内でなんとディーゼル機関車が置いてあるところがありました。ハンドルを握っていたので写真は撮れなかったのですが、あれは解体工場だったのでしょうか?
閑古鳥が鳴くあさひ号のビュフェレンタカーを返却して駅へ行くと、大宮のみ停車の速達版あさひ号にも間に合う時間だったのですが、あえて1本あとのあさひ号に乗りました。というのは、周遊きっぷのおかげで長岡までは特急券なしで乗れるのと、ビュフェ車が連結されていたからというだけのことでした。
この旅の初めに、東北新幹線で乗ったビュフェも寂しい限りでしたが、あさひ号のビュフェは時間帯も良くなかったためか、閑古鳥が鳴いているというどころか、通りがかる人もほとんどいないという状態でした。


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