1997/11/27[木]〜11/28[金]
大分→南宮崎間最後の寝台特急富士に乗る
1999/08/03作成
1999/08/11作成
※1997/11/29の旅行記が完成したので、
リンクを設定
1997年11月29日[土]に、JRグループはダイヤ改正を行いました。
東海道・山陽新幹線に500系のぞみ号がデビューする一方、東京から九州南部へ走る寝台特急は運転区間が短縮されることとなりました。
私は、その最後の下り南宮崎行・富士号で下ることとしました。
この日の朝、遠出のための荷物を持って出勤。
定時より少し早めに会社を出て東京駅へ。
最後の南宮崎行という割には乗客も少なく、寂しい出発となりました。
翌朝、下関駅でその先頭にたったEF66
41号が切り離されます。
関門トンネルは、EF81
410号が先頭を勤めます。
大分駅へ着きました。
明日以降、ここから先で富士号を見ることはできません。
1番線に入るにちりん号に道を譲るのも、今日が最後です。
途中の駅では、写真展が行われていたところがありました(津久見だったか?)。
旅路もいよいよ最後が近づき、宮崎駅では最後の東京行・富士号とすれ違います。
ついに、終着の南宮崎へ着きました。
空も富士号へお別れしているのか、雨模様になっていました。
このあと、宮崎空港へ行き、折返しにちりんシーガイアで大分へとんぼ返りします。
大分であえて降りたのは、ソニック号に乗りたかったから、ということもあります。
振り子車両ということもあり、かなり高速に走ります。夜ということで車窓はあまり楽しめませんでしたが....。
博多で、大急ぎで有明号に乗り換えて熊本へ向かいます。その車内で、非常に不愉快な出来事に遭遇します。
週末ということでかなりの混雑で、デッキに立っていました。乗った有明号はハイパーサルーン車両だったので、客室は前後2つに分かれており、中間にデッキがあります。
乗った車両は禁煙車だったのですが、突然中年のおやぢがタバコを吸い始めたのです! それも、両客室が禁煙の狭いデッキで!!
車内アナウンスで再三、「禁煙車のデッキも禁煙です」と放送しているにもかかわらず!です。
私は嫌煙論者ですので黙っておられず、「ここは禁煙だ。迷惑だからタバコをやめろ!」と一喝し、喫煙をやめさせました。
が、このおやぢが嫌な奴なのです。
「どこに禁煙と書いてある?!」
などとひつこく迫ってきます。確かに、掲示はないかもしれないが車内アナウンスで何度も放送しているし、そもそもデッキには灰皿がない!にもかかわらず、です。
やむなく、検札に廻ってきた車掌に訴え、喫煙車へご同行願いました。
久留米を過ぎたあたりで車内も空いてきて、座ることができました。この列車は八代行だったので、眠らないようにするのに苦労したのを記憶しています。
熊本で宿泊したホテルで、明らかに宿泊料金が10000円未満にもかかわらず、壱万円を請求され一瞬戸惑いました。実際には、翌朝返金があったのですが....。
余談ですが、熊本ではこの週末に大規模な集会が行われており、旅行代理店では全く宿が空いていなかったのですが、インターネットでの予約でどうにか滑り込みました。
翌日、熊本では超低床電車に乗ります。
いずれは文書と写真を増やそうと思っています。