遠い旅




 それから三日ほど馬車の旅が続き、いよいよ北の大国の王都に到着した。
 例のごとく華やかな夜会が毎夜繰り広げられ、リカルドとジーナは優雅に楽しみ、ヘルムートの機嫌はまた降下しつつあった。
 降下しつつあったのは、ヘルムートの機嫌だけではない。若い女性たちがヘルムートに秋波を送るために、袖にされた大国の貴公子たちも機嫌が悪いというのがもっぱらの評判だった。
「公爵、ぜひとも女性を虜にする秘訣を教えていただきたいものですな」
「左様、まさか爵位と麗しい容貌だけで女性を魅了されているわけではありますまい」
 夜会で酒杯を片手に同じ年頃の貴族たちに当てこすられて、ヘルムートはじろりと彼らを見返した。
「別に僕は好きでご婦人がたを独占してお相手をしているわけではありませんが。貴公らがご婦人がたにもっと積極的になられてはいかがですか。僕は妻を愛しているので、他のご婦人がたの相手を熱心にするつもりはありませんよ」
 あけすけな物言いに、貴公子たちは鼻白んだようだった。
「それほどまでに大切にされているのに、此度の外遊で妃殿下のお供としてお連れにならなかったわけですか」
「身体が弱いので、旅に耐えられなかったのでね。妃殿下もご承知です」
「ほう……そんなにひ弱な奥方では、跡取りのお子など大変でしょう」
 ヘルムートの眉がぴくりと動いた。
「……僕にとっては、跡取りなどよりも妻のほうが大切ですからね。跡取りは一族から出来のよい人間を選べば済みますが、妻はそういうものではないでしょう」
 まだ未婚の貴公子たちは黙り込んだ。
 そこに、別の若い声が割り込む。
「なるほど、愛しい奥方と言えど、御身のお子を生んでもらいたいとは思わないわけですな」
 銀髪に薄青い瞳、という、ヘルムートともリカルドとも違う色彩の美丈夫がやはり酒杯を片手に立っていた。殿下、と貴公子たちが一礼をする。
「妻は、子どものころから今まで二度ほど病で死にかけていますので」
「ほう」
 国王の数多い甥の一人である大公殿下は驚きの表情を浮かべた。
「彼女を失うことは僕には耐えられませんからね。そんな危険を冒すくらいなら、子など生んでもらわなくても良いのですよ。出来るだけ長く彼女には僕の傍に居てもらいたいですから」
 さらりとヘルムートは言ってのけた。
「だが、それなら別の女性にお子を生ませるというのは無いのですかな。それこそよりどりみどりでしょう」
 薄青い目が酷薄な視線でヘルムートを眺める。
「なにせ、貴公はこの宮廷ですら年頃の女性をほぼ全員魅了している。ましてやお国では、足許に身を投げ出す令嬢も多いのでは?」
「自分の直系にそれほどの意味を持ちえてないので、愛してもいない女性をそのようなことに利用する気もありませんね。殿下のような高貴な血筋でもありませんし」
「おやおや」
 口許に皮肉に満ちた笑みが浮かんだ。
「わたしが聞いた噂では、貴公は結婚前も結婚後も女性を手玉にとって遊蕩に耽っていたという話でしたがな。まぁ噂話とはそういうものでしょうし」
「全く傍迷惑な噂です」
 ヘルムートは平然と頷いた。
「では、我が姫が嘆きの手紙を寄越したのは何故でしょうな」
 大公の口調が詰問調になった。
「殿下の許嫁の姫君……ああ、妻のお守りの事ですか」
 ヘルムートの麗しい顔に冷笑が浮かんだ。
「こちらもたいそう困りましたよ。母の形見の上に妻の心がこもった物を欲しいとねだられてもね。姫君も、こう言ってはなんですが、もう少し人の心の機微というものを解していただきたいものです。殿下からもよくお伝えいただければありがたいですな」
 二人の周囲の貴公子たちが息を呑むのがわかった。まさか王族に喧嘩を売るとは予想もしてなかったのだろう。そして大公の顔色も、一瞬青ざめ、続けてどす赤くなった。
「そなたは我が花嫁を侮辱するのか」
「とんでもない。僕は妻の愛情に心から応えたいだけですよ」
 大公が歯軋りするのがはっきりと聞こえたが、ヘルムートは平然と見返しただけだった。
「……失礼する」
 言い捨てると大公は顔を背けて立ち去った。ヘルムートは無表情にそれを一瞥しただけだった。

 数日後の事だった。
 国内の風光明媚な土地を国王らと巡って王都に戻ると、リカルド達が返礼の茶会を催す事となった。
 そのための料理人も職人も同伴してきたので行事そのものは滞りなく終了し、国王を筆頭とする客人たちを送り出したあとに、会場とした庭園の東屋から宿舎となっている離宮へと自分たちも戻るべく、散歩がてらぞろぞろと庭を歩いていると、大木の木陰に数人の貴公子たちが立っていた。
「おや」
 その中に先ほどの顔ぶれを見つけてリカルドは立ち止まった。
「大公、いかがされた」
「王太子殿下」
 銀髪の大公が親しげに歩み寄り、一礼した。
「先ほどは楽しい時間をありがとうございました。じつはご親友のラングレー公爵にいささかお時間をいただきたくて待っていたのですが、彼をお借りしてもよろしいでしょうか」
「お約束いただいてましたか」
「いえ……」
 ちらりと振り返るとアメジストの瞳が平然と見返してくる。
「なんでしたら、離宮にご一緒されますか」
「いえ、それほどのお手間はとらせません。気持ちのいい午後ですし、どうぞ先にお戻りください」
 頷いた。
「ではゆるゆると先に戻っていよう。公爵、大公殿下に失礼の無いようにな」
「御意」
 大公たちに歩み寄るヘルムートを一瞥すると、リカルドはジーナを見おろした。
「では行くか」
「そうですわね。ごきげんよう、殿下」
 ジーナが左手を差し出すと、大公は恭しく手の甲に口づけた。
「本日は、妃殿下にお目にかかれて光栄でした。またお目にかかれればと存じます」
「ええ、わたくしも楽しみにしておりますわ」
 一行がぞろぞろと歩み去るのを礼儀正しく見送ると、大公は傲然と顎をそびやかしてヘルムートに向き直った。
「さて公爵。ちょっとお付き合い願おうか」


「今度はあの大公に喧嘩を売ったらしいな」
 リカルドはぼそりと呟いた。「あいつらしくもない」
「ヘルムートはエリスが絡むと、頭に血が上るみたいだよ」
「だからって、お守り一つでいちいち腹を立ててたらきりがないぞ。大公もあれだが、それを巧くあしらえと言っといたんだが」
「女の子たちを五月蝿がってたのもあるんじゃないかな。こないだの夜会でも他の男の人たちに絡まれてたようだし」
 リカルドはちょっと考え込んだ。
「……もしかしてあいつ、集団リンチにでも遭うのか?」
「まさか。いくらなんでも王族とか貴族同士で? せいぜいで決闘じゃないの?」
 ちらりと随員を眺め渡して、リカルドは侍女に目配せした。
「なんでございましょう、殿下」
 走り寄ってきた侍女が尋ねる。
「すまんが、大事な用事を思い出した。ヘルムートを呼び戻してくるように」
「はい、かしこまりました」
 侍女が早足で去ると、ジーナは呆れた顔で夫を見上げた。
「お節介だね」
「おまえ気付いてなかったのか? 大公以下、お出迎え連中は帯剣してたぞ」
「じゃあ決闘だね」
「訪問先で決闘とかごめんだ」
 だが乱闘かもな、とリカルドは内心呟いた。


「貴様のような者が姫の心を弄んだことが許せん」
 庭園の奥にぞろぞろと移動すると、大公は吐き出すように言った。ヘルムートは片眉を上げた。
「貴様のような、顔と爵位だけで女性を弄ぶような……」
 唐突に向き直ると手が襟首に伸ばされたが、ヘルムートはそれを払いのけた。
「僕が好きで女どもを侍らせてるとか思ってるわけか」
 ヘルムートは舌打ちをした。
「香水臭い馬鹿なハエどもに、いつもいつもまとわりつかれてみろ。こっちは社交儀礼で相手はするが、いい加減うんざりだ」
 大公は顔を強張らせた。
「女どもから子どものころから公爵家の嗣子だからと擦り寄られ、顔がいいからと迫られる」
 ヘルムートはいらついた口調で続けた。
「いつまでも五月蝿いから結婚するまでしばらくはちょっと一晩相手をしてポイ捨てで国では片づけてたがな。外国でそんなことをしてたらややこしいから適当に社交の場で相手をして終わりに決まってるだろう」
 周囲の貴公子たちも大公も呆気に取られたようだった。
「だが、おまえの許婚は、今回の外遊で会った女で一番馬鹿だ」
 アメジストの瞳を底光りさせながらヘルムートは唸った。
「他の女どもは、僕が妻を置いてきたが愛してやまないと言うと納得してくれるが、おまえの許婚ときたら……火遊びはしたがる、エリスが僕のためにと贈ってくれたお守りは欲しがる、こちらがあの女の言いなりにならないとなればヒステリーは起こす、あげくに自分の貞操はかなぐり捨ててあることないことを許婚に吹き込んで、か。しかも許婚がそれを鵜呑みにする大間抜けと来ている」
「貴様……言うに事欠いて」
 佩剣をやおら抜くと、ヘルムートに切りつけた。それを躱すと皮肉な笑みを口許に浮かべる。
「おやおや。この国では、国王陛下の賓客の随員に、王族が剣を突きつけるのか」
「貴様のような無礼者は、手討ちにしてくれる……!」
 振りかぶった剣を再度避けると、脇で呆気にとられていた貴公子の一人の佩剣を奪い取って刃を交える。その音に、数人の貴公子たちが我もとばかりに剣を抜く。そちらにちらりと目をやると、大公に向けて鋭い太刀さばきを浴びせる。ヘルムートは普段から剣を使うが大公はそうでもなかったのだろう。振り回す剣はやがて疲れてきたのか鈍くなってきた。剣の腹で大公の手をたたくと、呻いて剣を落とす。
「殿下……!」
 一斉に貴公子たちが剣を振りかぶってヘルムートに襲いかかる。それに向かっているうちにさすがのヘルムートも疲れがたまってきた。歯を食いしばって剣を振り上げた脇腹へ、誰かの刃が突き刺さる。さらに背中からも切りつけられる。
 ぐ、と呻くとヘルムートはよろめいて背を丸めた。押さえた腹部が見る見るうちに赤く染まる。
「いいざまだ」
 冷笑すると大公は剣を拾って振り上げたが、そのとき女の悲鳴があがった。
「きゃあぁっ、ひ、人殺しぃっ」
 見れば若い盛装した女性が……どう見ても客人の一行の一人が立ち尽くしていた。
「なっ」
 人殺しと叫ばれて全員が我に返った。
「だれか、だれか! 公爵様が暴漢に襲われていらっしゃいます! どなたか!」
 女性が駆け去る背を、貴公子たちは呆然と見ていたが、慌てて大公に向かって跪いた。
「殿下、剣をお引きください」
「これ以上は陛下にご迷惑をおかけしてしまいます」
「……此奴を手討ちにせねば俺の気が済まぬ……!」
「なりません、これは陛下の賓客の随員です。怪我を負わせたところで良しといたしましょう」
「わかった。……公爵、これで懲りたろう。今後は行動も口も慎むのだな」
 剣で身体を支えているヘルムートに傲然と言い放つと、大公は貴公子たちを連れて立ち去っていった。
「馬鹿め……」
 ヘルムートは苦しい息の下で呻いた。「僕を殺せば良かったものを、半端に生かすとはな……」
 ぐらりとよろめいて膝を突く。
(エリス……)
 遠く離れた家に残した、誰よりも愛しい妻を思う。
(ごめんエリス……きみに心配を……)
「ヘルムート!」
 耳に馴染んだ親友の声を聞いて目を開ける。平気さ、と言おうとして目の前が暗くなった。




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